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5 石を投げるひとたち(後)

 帰宅していちばんに、わたしは涼二の部屋に行った。涼二に今日のことを話すと、涼二はかるく頭をかかえて、ため息まじりに首を振った。

「麻衣は、ほんとこういうの苦手なんだな。どんなやつだろうと、男にはプライドってもんがあるんだぜ。相手が異性だと話はまたちがってくる。ノブテルのプライドはもう、意識不明の重体なんだろうなあ」

「なら、どうすればいいの。ノブテルを強くすればイジメが止まると思ったんだけど。わたしのやりかたって、そんなに間違ってるのかなあ」

 わたしたちは二人してうなってかんがえた。涼二が宙を見あげながら言った。

「昨日、河原でノブテルを見ながら思ったんだが、ノブテルは、構造からしてそもそも無理なんだと思う」

「構造?」

「そう。どうやって強くなるだとか以前に、やつは構造上から無理なんだ。日本人が欧米人のように屈強な骨格を持てないのと同じように、ノブテルも、人間的に強くなれるようにはできていないんだ」

 説得力があるような、無いようなだった。

「じゃあどうすればいいの?」

「おまえら、もうすぐ卒業だよな」

「それがなにか?」

「そのイジメられ具合だと、ノブテルも田畑たちと同じ高校に通おうだなんて思っちゃいないだろ。だったらあとはこっちのもんだ。卒業までほっときゃいい」

 わたしはまったく納得していなかったが、「そうかもね」と言って、涼二の部屋を出た。


 自室でいくらかんがえても、のどの奥には異物が引っかるような感じがのこっていた。

 田畑や涼二の話は、表面的には的を得ているようで、実際どこかがずれている。根本の解決がなっていない。上下関係のすえに成長するとか、逃げきれば勝ちだとか、その程度のことでノブテルの環境が一新するとはかんがえられなかった。

 ノブテルみたいなやつはきっと、どこまで逃げても、どれだけ自分の弱さを自覚できても、変わりはしないだろう。

 かといって、わたしにいい案があるわけでもなかった。それに、だんだんどうでもよくなってきた。べつにこのままでもかまわないんじゃないかと。自分にいい案が浮かばないから、田畑や涼二の意見に片足をつっこみはじめているのかもしれない。

 わたしは、こういうのは苦手だったんだ。これ以上ややこしいことをあれこれ考えたくない。


 翌日。惰性的に、わたしは進路指導の先生にたのみこんで、うちと七組のクラスの進路希望一覧をもらった。ノブテルと田畑たちの志望校は、まさに第三志望まで、まったく一致していた。進路指導の先生はうんと首をひねった。

「しかし変だよな。ノブテルの偏差値なら、もう二ランクは上の高校を目指せるのに。西江、おまえノブテルと仲いいか? もしそうだったら、西江からもあいつのこと説得してやってくれ」

 わたしはさりげなく否定しながら、さらに頭を混乱させた。ノブテルはいったい、なにをかんがえているんだろう、って。



 その日は土曜日だったので、図書館で歴史と数学と英語の勉強をして、野草の本を借りた。

 帰り道はちょっと遠回りをして、お気に入りの川沿いの土手を歩いた。

 野草図鑑を開きながら歩いていると、河畔土手の草むらで待宵草を見つけた。日が落ちたころに花を咲かせ、午後にはしなびてしまうという一夜花である。こんなまっ昼間から見られるなんて運がいい。

 わたしはしゃがんで待宵草をながめた。花弁は鮮やかな黄色。おしべは八本。花はピンと上を向いている。こうして見ていると、昼間のうちにしぼんでしまうなんてとてもじゃないが想像できない。本来の性質も、骨組みも、そして昼夜すらも関係なく、この花は日光にあらがっていつまでも咲きほこっていてくれそう。

 土手の先から涼二がやってきた。涼二は背後にノブテルをしたがえていた。二人は釣り道具を抱えていた。

 涼二はあれから、ノブテルを子分のようにあつかっている。今日も、折りたたみ椅子やクーラーボックスなどの重たい道具は、ぜんぶノブテルに運ばぜていた。涼二の図々しさにはあきれものである。

 ノブテルもノブテルだ。年下だからって、むやみに先輩の言いなりになんかならなくていいのに。わたしは、足もとで花を咲かせる野草と、情けないノブテルとを見比べて、ちっとはこの待宵草をみならえ、と心の中で悪態をうった。


 涼二は裸足なり、ズボンのすそをまくって川瀬に立った。釣り針に餌をつけるのはノブテルの役目である。

 餌がついたことを確認すると、涼二はリールを巻いて糸をたぐりよせた。

「お前も、ウキの反応に注意して見てろよ」

 涼二の命令にノブテルは二、三度うなずいた。

 わたしは折りたたみ椅子を開いて、ノブテルの隣に座った。彼はわたしの存在に気づくと、「こんにちは、西江さん」と慌ててあいさつした。わたしはむすっとして野草図鑑をひろげた。

「おお、麻衣じゃないか」

 釣り竿片手に涼二が手をふった。わたしはちょっとだけ顔をあげた。

「なあ麻衣。長期戦になるかもしらんし、ポカリを二、三本買ってきてくれ」

「やだ」

「なんだよ。歩いてたった五分のところに自販機があるぞ」

「やだってば!」

 涼二はちぇっと舌打ちして、ふたたびウキへと目をもどした。

「涼二は調子にのると、ああやってひとをこきつかうんだよ」

「そうみたいだね」

「イヤじゃないの?」

 ノブテルは曖昧に笑うだけだった。わたしは周囲の野草と図鑑とを見比べた。むらさき色の咲かけのコスモスを見つけた。秋も深まったころに開花するのに、また珍しいものが見られたなと思った。

「花が好きなの?」

 そういうノブテルの質問を無視して、わたしはたずねた。

「どうしてノブテルは、田畑たちと同じ高校を受けるの?」

 ノブテルはとたんにそわそわし出した。いったんその場にしゃがみ込んだかと思うと、次の瞬間には立ち上がり前髪をいじっていた。一回せき払いをし、頬をさすって、また髪をさわった。おそろしく挙動不審だった。

「田畑たちに命令されたんでしょ。同じところを受験しろって。高校でもおもちゃにしてやるとか、そんなこと言われたんでしょ」

「ちがうよ」

「じゃあなんで?」

 そのとき、涼二が「あぁっ」と声をもらした。

「餌だけもってかれた! ノブテル、もっかいつけて」

 そして釣り針をきように彼のそばに落とした。ノブテルは釣り糸を拾おうとしたが、わたしは「まって」とそれを制止した。

「涼二なんかの言いなりになることないよ。ほんとうはあんた、今日は家でゆっくりしたかったんでしょ?」

「こら麻衣、よけいなこと言うんじゃねーよ。今日はな、ノブテルの方からついてきたいって言ったんだぞ」

「うそばっかり。ねぇノブテル。わたし、あんたのこと見てるとね、すごくいらいらするんだよ。どうして自分の意志くらい主張できないの」

 ノブテルは中腰のしせいのまま固まっていた。悲しそうな目をしてした。

「その証拠に、きみ、ちっとも楽しそうじゃない。いつも困ったような顔してる」

 わたしはいつの間にか折り椅子から立ちあがっていた。自分でも信じられないくらい、わたしは歯がゆい思いをしているらしかった。

 ノブテルは小刻みに首をふった。

「ちがうよ。ぜんぜんちがう。ぼく、困ってなんかいない」

 彼は手を伸ばし、釣り針をとった。いそいそと餌をつけはじめた。

「高校は自分で選んだ。田畑くんにも、どこのだれにも、命令なんかされていない。ぜんぶ自分の意志できめたんだ。これがぼくの居場所だと思うから。ぼくは、田畑くんみたいなひとから相手をしてもらえなくなると、ほんもののひとりぼっちになるんだから」

 餌をつけ終えると、ノブテルは釣り針をはなした。わたしは、釣り針が水中にもぐっていく様を目で追った。


 家に戻ると、窓際のサボテンの土の入れ替えをした。

 ゴム手袋をしてサボテンをつまみ、もう片方の手で鉢をとんとんとたたく。すると、サボテンは土をからめてすぽっと抜けるので、土を払い、伸びきった根っこをハサミでみじかくした。からっぽの鉢の底には網を敷き、小石と新しい土を入れた。新しい土には、ほんのすこしの水でうるおいを与えた。中央に深いくぼみを空け、サボテンを入れる。湿った土を寄せて根本を安定させた。最後にサボテン用の液体肥料をあたえて、完成である。

 窓から入る西日を受けて、サボテンの頭がカーペットに影を伸ばしていた。

 ゴム手袋ごしにサボテンにふれながら、わたしはクミカのことについてかんがえた。

 中一のころ、きゅうに転校してしまったクミカ。どこかとおくで、彼女はいまでも笑っているのだろうか。むしゃくしゃすると八つ当たりしてしまう父親はどうなったのだろう。小学生のときみたいに、からかわれたりしていないだろうか。ひとりぼっちになんかなっていないだろうか。

 クミカの去っていく姿が、ノブテルの悲しげな背中とかさなる。わたしはただ、指をくわえてそれを見ていた。

 思い通りにならないものは、世の中に数多くあふれている。その節々は少しずつ器から漏れていき、サボテンの根っこみたいにいつか剪定されてしまう。わたしたちにそれを止めることは出来ない。わたしたちの目をぬすみ、望まぬ変化はつねに頭上を通りすぎていく。

 やがて夜になり、わたしは外に出て眼鏡をはずした。

 ギンガムチェックの夜空だけは、相変わらず手の届かない高い場所にあった。ただし、わたしの視力が年々落ちていくためか、ギンガムの網目はひどく曖昧に映っていた。


 わたしたちは中学を卒業した。

 高校生になるに向けて、眼科ではじめてのコンタクトレンズを新調した。眼鏡着用の視力検査では0.7だったところ、コンタクトでは両眼で1.5の度数になるように作ってもらった。

 眼科の帰り、いつもの土手を歩いた。

 河原には、高校のジャージ姿の涼二と、見るもさえない私服姿のノブテルがいた。彼ら二人は交互に川へと石を投げていた。

「ひさしぶり」

 ノブテルの背中をたたいて、彼の隣にならんだ。ノブテルは手を止めたが、涼二の方はわたしに見向きもせず、石を投げまくっていた。

「高校に行ったら、もうほとんど会えなくなるかもね。元気でね、ノブテル」

 ノブテルは両手で、こけの生えた石をいじっていた。ひとさし指とおや指で、こけがぴりぴりとはがされる。そのありさまを彼は見下ろしていた。

「ごめんね、西江さん」

 わたしはなにも言わなかった。どういう意味での「ごめんね」なのか、わからなかったからだ。わからない方がいいと思った。

 わたしは、地面から突き出たひらべったい石を引き抜き、川へと放りなげた。

 とっ、ぽちゃん。

 ひと跳ねして、石は水中に沈んだ。

「ノブテルも、やってみなよ」

 ノブテルはうなずいて、身をかるく沈めて投球フォームをつくった。涼二も投石をやめてそれを見まもった。

 石が放られる。

 ぽちゃん。

 小さな水しぶきがあがった。ひと跳ねたりとも、石は水を切らなかった。

「ぜんぜんだめじゃん」

 涼二が笑い、わたしもつられて笑う。そのときのノブテルの表情は、笑顔と泣き顔の中間だった。

「ごめん、二人とも」

 それから彼は、むちゃくちゃに石を投げた。がむしゃらに投げまくっていた。笑い声はいつのまにか途切れていた。

 わたしは、無言で涼二とうなずきあった。ノブテルといっしょになって、めちゃくちゃに石を投げまくった。

 一時間も、二時間も。日が暮れるまで三人で投げまくった。

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