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14 わたしの友だち

 喫茶店で、『週刊春光』のお父さんの記事をながし読む。第322回、50歳のぼやき。よくもこんなにつづくものだと思う。

 お父さんは『家族想い』としてのキャラクターを確立していて、読者から寄せられる家庭のお悩み相談もつきない。今週の記事も、わたしが成人したことと、涼二が柄にもなく公務員を目指していることをネタにしている。それについては、もうなんの反抗心もわかない。勝手にすればいいよ、としか思わなくなってしまった。

 週刊誌をたたんで、ミルクたっぷりのアイスコーヒーを飲む。喫茶店内で流れているのはオーケストラのクリスタルな旋律。シューベルトのアヴェ・マリア。以前、大学の友だちとここへ来たとき、彼女がおしえてくれた。

「アヴェ・マリアって?」

「マリアさまへのごあいさつだよ。アヴェ・マリア。儀礼的にじゃなく、愛ある信心をこめて」

 わたしにはよくわからなかった。日常にはびこる崇高な信仰心は、わたしには理解できなかった。

 ガラス窓の外では秋雨が降りすさいでいる。数千の雨粒が風にのり、小麦粉をまぶすように空気を白くする。

 これじゃお店から出られないな、とわたしは思う。今日は傘を持ってきていなかった。ちかくのコンビニでビニール傘を買うこともできたが、お金がもったいないし、買えなかったら買えなかったであちらからむかえにきてもらえばいい。

 もし、むかえに来てくれなくても、わたしはここでずっと待ちつづける。傘がないなら待ちつづければいい。あけない夜がなければ、あがらない雨もないのだから。

 週刊春光の5ページを開いて、既読の記事を読みかえすことにする。

 そこには、カルト宗教が起こした事件の後日談が載っていた。いま、日本をおおいに騒がせている事件のひとつである。

 その宗教法人が起こした数々の暴力行為は、内部告発をしようとした反対者へ行われたようだった。信者からあつめた多額のお布施金で伊豆に道場施設を建て、宗教団体は、そういった反対者を叱責するためだけの隠し部屋をつくった。

 警察の調べでは、彼らが行うのはなにも肉体的な暴力だけではなく、反対者や脱会者に対して、脅迫状、怪文書、いたずら電話などの嫌がらせも散見されたという。施設の地下からは十名ほどのミイラ死体が見つかった。その状況から、反対者の一部は拉致監禁の被害にまであっていたのではないかと推測されている。

 そうまでして反対者、脱会者に圧力をかけたのは、その背景に、麻薬を用いたイニシエーションが行われていたからだった。信者の食事に幻覚剤を混ぜ、そのうえで修行をする。修行中に神秘的な幻覚を見せることで、より熱心な信奉者にしようというものであった。くるったマインドコントロール。薬物過剰摂取によって、命をおとした信者もすくなくない。

 そこまで狂信的な信者をつくりあげて、彼らはいったい何をしようとしていたのだろう。わたしには想像できない。どこかべつの世界の出来事のように思えた。

 その記事には、容疑者として逮捕された幹部の実名が載っていた。


 ――教団幹部の実の娘であり、弱冠20歳にして同じく幹部に名を連ねていた市松久美花も、同日13日、例によって伊豆の施設内で会合を行っているところを県警察により逮捕された。久美花容疑者は、件の拉致監禁、薬物使用に関与していたことを全面的に認めており――


 そこで、バッグの中で携帯電話がふるえた。通話ボタンを押すと、涼二の声が聞こえた。

「おまえなあ、駅前の本屋でおちあうって約束だっただろう。まったくどこにいるんだ」

「だって、傘がないんだよ」

「傘?」

「傘がないから、喫茶店から出られないんだ」

「あぁ」涼二は納得する。「どこの喫茶店だ。むかえにいってやる」

 十分後、喫茶店の前にまっ白なミニバンがとまる。お父さんのおさがりで、涼二はつねづね「乗りづらい」と不満をもらしていた。わたしはギンガムチェックの布バッグに週刊春光を入れ、喫茶店を出る。雨に濡れるのはたいへん不本意なので、小走りで車へ向かい、いそいで助手席に乗りこんだ。

 就職活動の帰りなのか、涼二はスーツを着ていた。着ているというか、ムリヤリ着せられてるって感じだったけど。

「七五三みたいだね」

「そんないい笑顔でばかにされると、こまる」涼二は照れくさそうに言った。「で、どこだっけ」

「東京拘置所」とわたしはこたえる。クミカはそこにいるのだ。

 涼二はなにも言わず、わたしの顔も見ず、慣れない手つきでカーナビを操作した。

「だいじょうぶだよ、涼二」

「なにが?」

 ミニバンが車道に乗ると、わたしは窓の外を見つめながら言った。

「あがらない雨はないんだよ」

「そうだな、たしかにあがらない雨はない。麻衣、おまえはあれだろう。メタフォリカル的な表現でおれを慰めたいんだろう。だけどな、おれがおまえに慰められるのは、ちょっとちがうと思うんだよ。立場が逆ならわかるけれども」

 まったくそのとおりだ、とわたしはうなずく。

 わたしはクミカのことを思った。頭の中でアヴェ・マリアをながしながら。クミカにも、クミカの信じる崇高な神さまがいたのだろうか。キリストの福音のようなものがクミカに訪れたのだろうか。愛ある信心の対価は、はたして得られたのか。そんなことを考える。

 彼女に会うのは六年ぶりとなる。中学二年生のときケンカ別れしてそれっきりだから、たぶん六年ぶり。

 六年という歳月を経て、子供だったわたしたちは、大人になってしまった。堂々とお酒をのんでもいいし、タバコを吸いまくってもいい。選挙になれば投票所への立ち入りがゆるされる。もし犯罪をおかせば、週刊誌の記事に実名が載ってしまう。

 あけない夜はない。あがらない雨はない。そして、大人にならない子供はいない。たとえ大人になりきれない子供がいたとしても、わたしたちが生きている限り、それは逃げられないことだった。



 涼二のあとにつづいて東京拘置所の門をくぐる。

 面会受付用紙にクミカの名前と性別を記入する。名前を正確に書かないと面会拒絶のおそれもあるらしいので、「市松久美花」とただしく書く。わたしはちゃんと、クミカの名前がどういう漢字を使うのか覚えていた。

 整理表を受けとり、待合室に入る。固いソファーに涼二と並んですわる。前方にあるテレビを見ながら、ときおり、その上の電光掲示板にながれるテロップを気にした。

 やがて、整理番号が掲示板に表示された。無愛想な係員さんがやってきて「接見時間は三十分以内となります」と説明した。けっこうみじかい。

 涼二がわたしの背中を軽くたたく。

「おれは口はさまないから、しゃべりたいだけしゃべれ」

 うなずき、面会室へと向かった。


 一つの部屋を大きなガラス窓が両断していた。せまい間取りがよけい息苦しく感じる。ガラスのむこう側の机では、職員さんがかたくなにパソコンへ目を向けていた。

 わたしはパイプ椅子にあさく座りながら、所在なげにあたりを見回していた。ななめうしろの涼二は目を閉じ、腕をくんで黙っている。

 クミカが入ってきた。凛とした女性刑務員をうしろにたずさえ、背筋をしゃんと伸ばし、しっかりとした足取りで扉をあける。

 中学のころとくらべると髪が長くなっているが、前髪はぱっつんのままだった。まるっこかった輪郭が傾斜をつよめ、やけに顔だちを大人っぽくしている。クミカは一度わたしたちにほほえみかけ、ガラス向かいの椅子に腰をおろした。

「クミカ」わたしはつばを飲み込んでつづける。「ひさしぶり」

 クミカはなにも言わない。首をちいさく傾けて、うなずいただけだった。

 わたしは頭の中で、今日のためにシュミレーションした話題を引きだそうとした。しかし、それらの予行練習はジャスイであったように思えた。

 だってクミカは、ぜんぜん変わってない。いくら顔が大人になったって同じ。クミカの笑顔を見ているだけで、わたしは幸福なきもちになれる。かしこまった話なんていらない。それだけは変わらないみたいだった。

 二分ばっかし見つめあっていたら、クミカのうしろにいた女性刑務員が声を低くして言った。

「お話することがなければ、早めに切り上げさせていただきますけど」

 あわてないように、わたしは言葉をえらんでいく。

「いつもなにを食べているの?」

「五穀米とかお魚とか、おしんこみたいなの。お肉はたまにしか食べられないけれど、へんな食べ物はないよ。でも、今日は祝日だからトクショクが出た」

 声もあんまり変わってないようだ。

「トクショクって、なあに?」

「ぜんざいとか、みつまめとか、おはぎ。特別な日だけ食べられるから、トクショク。甘くておいしいんだよ。そういう日にしか食べられないから、甘くておいしいの」

 知ってる。甘くないぜんざいやおはぎがあるもんか。だけどわたしの口の中は唾液でいっぱいになっていた。なぜだか、無性に甘いものが食べたくなってきた。

 それからクミカは拘置所での食事のことを教えてくれた。わたしは熱心に聞いた。食事以外の生活環境には興味がなかったし、聞きたくなかった。わたしはご飯のことだけに想像をめぐらせ、そのたびによだれをこらえなければいけなかった。

「麻衣ちゃん、へんな顔」

 わたしの胸はどきりと高鳴る。麻衣ちゃんって、ひさしぶりに呼ばれた。

 あることを思いだす。そういえば、二週間ほど前にクミカ宛てに手紙を送ったはずだった。わたしの近況と、大学であったおもしろい体験談と、がんばってねという言葉をつづった手紙。あとは、クミカからもらったサボテンの写真をそえた。サボテンにはちょうど花が咲いていたので、いろんな角度から二、三枚撮って同封していたはず。

「差し入れの手紙、写真が入ってたの気づいた?」

「うん、花が咲いてるやつね。あれ、私があげたサボテンだよね」

 クミカはにこにこして言った。うれしくて、わたしも笑いかえした。

「クミカ、サボテン好きだったもんね。よかったら部屋に飾ってね」

「好きだけど、部屋には飾れないよ」

「飾っちゃだめな決まりなの?」

 クミカは首をふった。

「だめじゃないけど、飾れないよ」

「えーっ。じゃあどうして?」

「だって、やぶっちゃったもん」

 ななめうしろで涼二が腕ぐみをとき、なにかを言いかけたが、やはり口を閉ざした。

 わたしは白くなりかけた思考を正常にとりもどして、おそるおそる尋ねた。

「なんでやぶっちゃうの?」

「私だって、ほんとうはやぶりたくなかったんだよ。でも、手紙読んだらむかっときたっていうか、きもちわるくなって」

 手に汗がにじんできたので、膝うらのストッキングでぬぐった。手紙に書いたことを必死に思いだす。わたしは笑顔をくずさないよう細心の注意をはらう。クミカも、ほほえんだままだからだ。

「わたし、なにかおかしなこと書いたかなあ」

「おかしくはないけど。楽しそうな学校生活とか、なにひとつ不自由していない感じとか? 私がそういうの苦手なのが悪いんだけど、でもやっぱムリなんだよね。あとは、あれかな。サボテンの花が、私の笑った顔にそっくりだよって書いてあったこと」

「だって……似てるから」

「似てないよ。花に似るわけないじゃん。それに麻衣ちゃん、あなた、私がいまどんなふうに笑うか知らないよね。私たち、もう六年も会ってなかったんだよ」

 わたしはクミカの顔を見つめた。昔と今との違いは、わたしにはよくわからなかった。

 クミカは口もとの笑みだけをのこして、まっ黒なひとみをわたしに向けた。

「やめてよ、そうやってひとの顔じろじろ見るの。半年も服役してるんだから、ひとからじっくり見られるの慣れてないの。まして実社会に生きるひとからだなんて」

 わたしは視線をずりさげて、クミカの胸元まで落とした。灰色のスウェットみたいな囚人服。わたしはその裏側、中学のプール裏で見たクミカの白い肌とブラを思いだした。背中にある、アイロンの火傷跡も。

「念のため、話しておくけれど」

 クミカはせき払いをする。

「私の宗教ね、ひとはみな同じ不幸を共有できるんだ、っていうのが信条だったの。信者ひとりひとりが悩みを打ち明けて、みんなで解決しようってやり方。ほら、宗教って悩みから逃れるための手段でしょう? あそこは祈りで解決するなんて非科学的な意識はうすくて、どちらかというと現実主義だったのね。私、お母さんのコネでいちおう幹部まで上りつめたけど、途中からばからしくなっちゃって。だってそうじゃん。みんな自分のことでせいいっぱいなはずなのに、どうして他人の苦しみまで背負わなきゃいけないのかなあ」

 クミカは、こんなにハキハキしゃべるコだっただろうか。だが彼女は考えさせてくれるひまを与えない。

「宗教にはまるだなんて、心が弱い証拠でしょう。やっぱり私にはひつようなかったんだよ。たしかに私の人生は不幸だったかもしれないけれど、ここまで落ちぶれることはなかったんだよね」

 クミカはもう笑っていない。感情のない目を手もとの台に落としていた。わたしの唇はからからに乾いている。

「クミカは、ほんとうに、麻薬でひとをころしちゃったの?」

「うん。ころした。まぜる薬の量をまちがえて――」彼女はまばたきをしてから訂正する。「わざとまちがえて、ころした。ころそうと思ってころした」

「どうして、ころそうだなんて思ったの?」

「脱会者の中に、ヤなオバサンがいたの。私たちの悩みや苦しみなんて、知ったこっちゃないって。私が借金取りに追われたり、お父さんにいじめられたり、ヤクザに犯されたりしたことも」

 わたしの知らない話もまじっている。いや、事実では知っていた。無粋なニュース雑誌などでは、クミカの不幸な過去が、いかにも共感しあわれむように書かれていた。ただわたしに実感がなかっただけだった。

「そのオバサン、自分の方がヒドい目にあったって言うんだよ。人差し指と中指と親指しかない手とか、かたっぽしかない目を指して、いろいろ話してきた。うざかったからあんまり覚えてないけど、とにかくイヤミな感じだった。それでオバサンね、そんな苦しみを私たちなんかと分かち合えるわけないって、そう言ったの。証拠になにひとつ救われてないじゃないかって。それで、かっとなって、ころしちゃった。いつもの三倍くらい、おおめに薬を盛ってね」

 クミカは息を吐き、おおきく吸ってから言う。

「でも、ころしたあとで気づいたんだ。他人とは不幸を共有できないんだなって。べつにオバサンの意見に同意するわけじゃないよ。不幸をひとつ取ったって、感じ方はひとそれぞれでしょう。もし、オバサンが指をちょんぎられたり目玉をくりぬかれたときの痛みより、わたしが犯されたときの痛みの方がつよかったとしても、それを証明することはできないもの。人間はシリアルナンバーのついたアンドロイドじゃないんだよ。石につまずいて泣くひともいれば、つまずいたことをネタにして、笑いとばすひともいる。見知らぬ男から犯されることに性的興奮をおぼえるヘンタイ女もいれば、翌日に首を吊る女もいる。まあ、極端な話だけどね」

 聞きたくなかった。わたしはほっぺたの裏をかむ。聞かなければいけなかった。

「だから私、もう宗教はキライだよ。よく知りもしないで『ひとを勇気づける言葉』を吐くひともキライ。あのオバサンはヤなやつだったけど、あながち間違ってはいなかったと思うな。『辛いのは君だけじゃない』とか、『アフリカがどうのこうの』なんて言うひとたちよりは、ずっとまとも。もうころしちゃったけど、それを気づかせてくれたオバサンには、感謝しないとね」

 クミカは、今日いちばんの満面の笑みをうかべた。

 わたしは泣きたくなるのをがまんする。どうしてか、クミカといっしょにエコ委員でペットボトルのふたを洗ったときのことを思いだしていた。わかんないけど、なぜだか思さずにはいられない。

『ねえクミカ、どうしてわたしたち、ペットボトルのふたなんか洗わなきゃいけないんだろう?』

『このペットボトルのふたから、すごいワクチンができるからだよ』

『すごいワクチン?』

『そう。アフリカの子供たちの病気を治すための、すごいワクチン』

『すごいワクチン』

 そういうことか、とわたしは思う。そっか、とも思う。見た目でわかんなくたって、クミカは変わってしまったんだな、って。

「いつから、」声がひっくりかえってしまった。「そんなふうになったの?」

「いつから?」

 クミカは宙をあおいで考えた。わたしのうしろで、涼二が腕時計を確認する。「あと五分くらいだ」とおしえてくれる。

 クミカは視線をあげたまま言った。

「たぶん、私は最初から、根っこのぶぶんがそうだったのかもしれない」

 そして、わたしと目を合わせる。

「はじめから、麻衣ちゃんのことあんまり好きじゃなかったし」

 わたしはクミカのひとみから目がはなせない。そうだろうな、と納得してしまう自分が不思議だった。それとも認めたくなかったのかもしれない。中二のときだって、言葉は違えど、わたしはクミカから突きはなされてしまったのだから。

「その苦労してなさそうな感じ、なにもかもが上手くいってるような感じ。なのに、いいひとの仮面をつけて人助けしようとするでしょう。麻衣ちゃんに助けられたものってあるの? どうせぜんぶ中途半端にほっぽって、結局は自分のシアワセの中にこもっちゃうんでしょ。ちがうかな」

 ノブテルの泣きだしそうな顔が脳裏にうかんだ。利恵のゆがんだ笑みが、エリリのさびしげな横顔がうかぶ。

 もしかして、わたしが成し遂げたことなんて一個もなかったのだろうか。自分の無力を盾に、逃げてきただけなのだろうか。こうして誰かの言いなりになって、もう好きにすればって知らんぷりして、そこにある何かからから目を逸らしていただけだったなら。

 のどをならして、ふとももの上でこぶしを握る。息がつまりそうなくらい辛かったって、言わなければならないこともある。

「わたしが苦労してないって、どうしてクミカにわかるの」

 クミカはぴくりと頬をつらせて、わたしを見つめる。

「わたしみたいな甘えんぼうでも、苦しいと思うことはあった。ないひとなんていなんだよ。さっき、クミカが言ったばっかりじゃん。自分の苦しみがどれくらい大きいか、他人にはわからないって。わたしはたぶん、ぜったい、クミカより苦しい思いはしていない。それでも、誰かをよく知りもしないで決めつけるのは、クミカだって同じだよ。わたしのこと、もっとよく知ってから、それから言ってよ……」

 わたしは頭をたれて涙をかくした。ここで泣くのは格好わるいと思った。

「知ったかぶりでもいいよ。わたしは、もっとクミカのことが知りたいし、クミカにもわたしのことを知ってほしい」

「そういうのが宗教なんだってば」クミカは押しころした声で言う。「私はもう宗教がキライなんだって、何回も言わせないで」

「宗教じゃなくて、友だち」

 わたしは、涙でぬれていくスカートのすそを見ていた。

「幸せとか、不幸とか、もう比べっこしなくていい。神さまもいなくていい。他のなにがあったって意味がないから。そばにいるだけで満たされるから、友だちなんじゃないかなって……」

 ぼんやりした目をあげると、クミカの顔色が変わっていることに気づいた。顔を赤くし、唇をふるわせていた。怒っているようにも、恥ずかしがっているようにも、泣いてしまいそうにも見えた。

「時間です」

 女性刑務員がクミカの腕をつかみ、ムリヤリ立ち上がらせる。クミカは大人しくそれにしたがったが、目はわたしをにらんだままだった。

 わたしはパイプ椅子を蹴るように立つ。

「そこから出たら、また友だちになってよっ」

 仕切り窓にべったりくっついて、大声をあげる。

「ギンガムチェックの夜空って、クミカは知らないでしょ。わたしが見つけたのは中一のときだけど、まだ誰にもおしえてないんだよ。ゆりちゃんにも、お父さんにも、涼二にだってナイショにしてた。見るのはすごくむつかしいし、でも、ぜったいきれいだから、ずっとひとりじめにしてきた。クミカにだけは、見せてあげるから……」

 クミカは唇をかみ、無抵抗に刑務員に引かれていく。

「だから、クミカがナイショにしてることもおしえてよ。誰にも理解できないこと。頭の中だけにしかないもの。わたしもがんばるから、クミカも、がんばって伝えてよ……」

 わたしの声はせまい部屋に反響し、吸いこまれていく。そうして、面会室の扉は閉じられた。

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