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13 手あみのお花ヘアピン(後)

 温泉から出て髪をかわかし、肌の調子をたしかめる。脱衣所にはすえおきの化粧水と保湿液があったので、使ったことないけど、やってみることにした。洗顔をしてすぐに化粧水をなじませる。そのうえで保湿液をかさねる。顔全体にのばしていく。なんとなく、うるおいが持続していく気がする。そして体重をはかる。ふとってもいないし、やせてもいない、つまらないわたしの体重。

 ゆりちゃんもお肌の手入れをおえて、わたしたちは部屋にもどる。部屋には布団が敷かれてあった。

 ふすまを閉じる。ゆりちゃんは後ろ手にふすまの取ってに手をそえたまま立ち尽くした。

「麻衣、部屋のまん中に座って」

 言われたとおり、わたしは部屋のまん中、二連の布団の中央に正座する。ゆりちゃんに背中を向ける。どきどきする。

 部屋の電気が消される。じんっ、と細かい音がして、あたりがまっ暗になる。カーテンの向こうからやってくる星の光。それは窓の四角形を切り取り、膝もとに静謐とふれる。

 背後でゆりちゃんの気配。

 わたしはじっと待つ。

 膝にかかる平面の星明かりに名残惜しさをのこし、ぴたりと目をとじて待つ。


「一度だけ、麻衣のお母さんに会ったことがあるよ」

 ゆりちゃんが言った。ただしこれは、さかのぼって十年前のゆりちゃん。そしてわたしは、九歳になったばかりの西江麻衣だった。

「わたしの、お母さん?」

 わたしは問いかえす。ゆりちゃんがうなずいた。


 それは九歳の誕生日だった。

 涼二は小学校の集団宿泊に行っていて、お父さんも雑誌の取材で、広島へ出張していた。

 その日の朝、学習机のうえには白い紙づつみの箱がおいてあった。つつみと箱を開くと、中にはヘアピンが入っていた。ぱっちんどめの、ピンクのヘアピン。手あみのかわいらしいお花がついている。

『お誕生日おめでとう』

 添えられていたバースデーカードにはそう書かれていた。それがだれの字なのか、わたしはかんがえたくなかった。

 部屋のゴミ箱に、ヘアピンごと紙包みをつっこんだ。


 わたしは、クラスのコたちからもらったお菓子のプレゼントをかかえ、小学校からかえってきた。家には苦手な義母しかいないことは知っていたし、祝ってもらおうとはみじんも思っていなかった。だから、お菓子を大事に胸にしたまま、すぐさま自室に入ろうとした。

 ところが、そこでわたしは呼びとめられる。

「温泉いきたいなあ」

 それは直言的に呼び止められたというものではなかった。ゆりちゃんのひとりごとで、知らんぷりできたものだった。だけどわたしは無視できない。

 どちらともなく支度をはじめる。言葉もなく。おばあちゃんに作ってもらったギンガムチェックの布バッグに、チョコレートと、がま口財布と、替えの下着をいれる。

 ゆりちゃんが車をだした。わたしは後部座席にむすっとして座り、ニンテンドーDSであそんだ。

 シチュエーションはいまとまるで同じ。

 二人の距離感は、ぜんぜん反対。

 温泉街に着くころには夜も深まりきっていた。旅館に素泊まりで泊めてもらった。べつべつにお風呂にはいる。部屋にもどって、無言でパンとお菓子をかじる。

 電気を消し、そろそろ寝ようかという段で、ゆりちゃんが言う。

「一度だけ、麻衣のお母さんに会ったことがあるよ」

 わたしは純粋な期待をこめて問いかえす。

「わたしの、お母さん?」

 きゅうに元気よく答えた自分にきまりが悪くなり、わたしは口をむすんでそっぽを向いた。部屋は暗かったから、見えなかったかもしれないけど。

「すてきなひとだった。やさしそうなひと。恥ずかしがり屋みたいで、ほお赤くして、あんまり目合わせてくれなかったけど。顔は、そうだなあ、麻衣から子供っぽさ抜いて、ホワイトチョコと煎茶をまぜあわせたカンジ」

 わたしはなにも言わなかった。どうして会ったのか、会ってなにを話したのか。わたしは追求しなかった。あのとき素直にたずねていれば、あるいはもっとお母さんのことを知れたかもしれない。

「あたし、くやしいのよね、たぶん」とゆりちゃんは言う。「あたしは頭ガキんちょだし、麻衣がおかあさんって呼んでくれないのムカつくし、だからあんたのこときらい。でも、せっかく作った仲なおりのしるし捨てられたの、超かなしかったし」

 仲なおりのしるし。わたしは今朝のヘアピンを思いだす。ゴミ箱にいれたお花のヘアピンを、まぶたのうらに映してみせる。

 そのとき、うしろから抱きとめられた。首に手をまわされる。

「あたしがおかあさんなの、イヤ?」

 わたしは、なにも言えない。

「じゃあ、これからは名前で呼んでよ。お姉さんみたいに思ってくれればいいから。あ、もうお姉さんって歳じゃないか。親戚か、近所のおばさんみたいにさ。ね、麻衣」

 口をもごもごさせて、わたしはうつむく。

「お姉さん」とわたしはぼんやり言った。おばさんなんかじゃないよって、とりあえずそれだけ伝えたかった。うまく謝れないくせに、そういうお世辞だけは言えてしまうのだ。わたしはそういう、へそ曲がりな子供だった。

「ゆりちゃん」

 わたしは、わたし史上もっともちいさな声で言った。消え入りたいくらい申し訳なくて、死んじゃいたいくらい恥ずかしかった。

 抱きしめるゆりちゃんの腕に力がこもる。わたしの首すじに顔をおしつけ、ゆりちゃんはかすかにふるえていた。わたしはそっと、彼女へと頭を寄りかけた。


 ぱちっ、と音がした。蛍光灯が点滅まじりに白い光をはなち、部屋が明るくなる。わたしはまぶたを押しあげる。過去は閃光によって消えた。そばにはゆりちゃんが座っていた。

 そしてわたしは、耳が楽になっていることに気づく。かかっていた髪にかるい重みを感じている。ゆりちゃんが手鏡を差し出した。

「また作ってみたんだよね。いまの麻衣にはちょっと子供っぽいかな。同じのあげるのも迷惑かなって思ったんだけど、その、もしよかったら」

 手鏡に映る自分を見る。耳のちょうど上、お花のヘアピンが横髪に留められていた。ピンク色のお花は、ナチュラルテイストに手あみされたものだった。

「かわいい」

「ほんと?」

 わたしはうなずく。

「すごく、かわいい……」

 ゆりちゃんが覗きこんでくる。わたしは顔をかくす場所がほしかった。かんじんなところで素直じゃないわたしは、この情けない顔だけはぜったい見せたくなかった。ゆりちゃんに飛びつき、胸に顔をうずめる。浴衣がびちゃびちゃになったところで、わたしの知ったこっちゃなかった。元気づけるようにわたしの頭がなでられる。

「あのときは、ごめんなさい」

 不思議なもので、そのおかげで案外すんなりと言えた。のどにつまっていた氷がすっぽりととれるみたいに。

「捨てちゃって、ごめんなさい……」

 ああ、やっと言えたんだなって、胸があつくなる。頭上でゆりちゃんが首を横に振るのがわかった。「あたしも……」と、それ以上は押しとどめられた。

 髪に手をやり、お花の手触りを何度もたしかめる。指のはらで生地をつるりとなぞっていく。コットンのやわらかい感触がした。

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