表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

12 手あみのお花ヘアピン(前)

 高速を抜け、一般道を車で数十分。二月のある休日のこと。わたしは、ゆりちゃんと二人で温泉街へとやってきた。

 いくつもの源泉やぐらが建ち、町じゅうに白い湯気がもうもうと立ちのぼっていた。それらを取り囲むように、古めかしい湯宿群がならぶ。山間のセイレンな川の流れに沿うように、ゆりちゃんの運転する車はしずかに温泉郷へとはいっていく。試験後の徹夜明けだったわたしは、そのおだやかな空気の変化にようやく目を覚ましていた。

 ガラスごしの町並みを見る。杉皮葺き屋根と黒いカベの湯治場に、わたしは目をかがやかせる。

「すてきなところだね、ゆりちゃん」

「町情緒あふれるってやつね。麻衣がはじめてここにきてから、もう十年になるんだねえ」

 わたしは十年前を思いおこす。そのときも、ゆりちゃんと二人っきりでここへやってきた。わたしは九歳で、ゆりちゃんは三十一歳。

 ぽつり、とわたしはつぶやく。

「そう、そっか。十年、ジュウネン。もうジュウネンになるんだね。なんだか、つい最近のことのようだよ」

「やだ麻衣ったら。おばあちゃんみたい」

 バックミラーに、ゆりちゃんの苦笑がうつった。


 ゆりちゃんとわたしの関係に歴史年表をつけるとしたら、最初の四年間は『冷戦こうちゃく状態』だったはずだ。わたしたちは、はじめから仲よしこよしの義理母子だったわけではない。

 ゆりちゃんはお金持ちのお嬢さま育ちで、しつけには偏った考え方をもっていた。なので、どうしてうちの野蛮なお父さんなんかと結婚してしまったのか、それはわたしの中ではイースター島より大いな謎となっている。

 そしてわたしも、お父さんゆずりの不作法かつ無教養な子供であった。出したものをしまわない。お菓子を食べちらかす。扉やフタをしめない。気に入らないことがあればすぐに暴れたり、大声で泣きわめく。そういう、どうしようもない子供だったらしい。

 その上わたしは人見知りだった。とつぜんやってきた見知らぬ義母と義兄の登場はわたしを混乱させ、無愛想さ具合をさらに増長させた。

 涼二はノーテンキのお気楽くんだったので、新しいペットでも飼うように仲良くなれた。でもゆりちゃんは、わたしにいっさい慣れてくれなかったし、わたしも慣れようとしなかった。

 わたしがいつまで経っても『おかあさん』と呼ばなかったのは、ゆりちゃんを余計いらつかせたようだった。ねえ、とか、あのう、としか話しかけられなかった。

「麻衣って、お父さんに似てないよね」

 たびたび、そう言われることがあった。すごくイジワルっぽく。もっとひどいとき、ゆりちゃんの機嫌がわるいときなどは、

「麻衣はおかあさんに似てるのよね。もう死んじゃったおかあさん。あたしにとっちゃ居心地わるくてかなわないよ。あんた、この家の子じゃないみたいだもん」

 そうやって、お父さんのいないところを見計らって言ってくるのだ。

 わたしがソロバン塾の帰りに万引きしたときもそうだった。七歳のあの日。ゆりちゃんが泣きながらわたしをたたいて、家からしめだしたことは、単なるしつけ意識からではなかった。じっさいゆりちゃんに、義理とはいえうちの子だと思うと、恥ずかしいわ情けないわで……とイヤミっぽく説明された。

 むかしのことを思い出すと、今でも胸がちりちりしてしょうがない。いまのゆりちゃんとの関係をおもうと、当時のことは異国紛争のとおい出来事のように思えた。


 旅館につくと、二人ぶんの重い荷物をあずけて、さっそくゆりちゃんと温泉街観光に出かけた。

 温泉成分たっぷりのトロトロたまごを食べて、まんじゅう屋さんでおやつの茶豆まんじゅうを買った。

 内湯めぐりなるものがあったので、わたしたちも参加することにした。受付で手荷物をあずけ、『通行手形』なるものをもらった。十数軒の浴場を開放してくれるという、とてもすばらしい手形である。

 湯の花がうかぶヒノキ造り温泉、リスが見られるかもしれないという野天温泉(ざんねんながら発見できなかった)、大正ロマンあふれる洋館風の室内湯、タイル張りの露天風呂、日本庭園をのぞみながらの岩風呂、計五つ、バリエーションゆたかな内湯めぐりだった。

 手形のスタンプもたまり、受付で記念品の下駄をもらった。旅気分にうかされたわたしたちは、下駄をぱかぱかと履き鳴らしながら旅館へとむかった。

 道中、ゆりちゃんがわたしのほっぺたをつまんで、「お肌、だいぶ良くなってきたんじゃない?」と言った。

 そう、わたしは資格試験に向けた猛勉強と夜ふかしで、お肌荒れまくりだったのだ。美肌とりもどし計画。この旅行のひとつの目的である。

 わたしは自分の顔をさすって、ちょっとだけね、とはにかんだ。


 宿泊先の旅館は、あらかじめ誕生日プランで予約してあった。海鮮料理のあと、デザートでケーキワンホールと赤ワインのボトルが用意される。わたしはまだ未成年なので、瓶のオレンジジュース。

 部屋を暗くする。仲居さん(かっぷくのいい優しそうな女性だ)がロウソクに火を灯してくれる。

 照れくさい思いで、ふーっ、と息をかける。ぱらぱらと拍手がおこった。

「お父さんと涼二が来れなかったのは残念だったね」とゆりちゃんが言う。

「ううん。じゅうぶんうれしいよ。ありがとうねゆりちゃん」

 お父さんは取材で出張しているし、涼二は公務員試験を控えたたいせつな時期だ。それぞれ事情というものがある。わたしもオトナな考えかたができるようになってきた。

「麻衣も、もう十九歳かあ」

 部屋を明るくしたあとゆりちゃんが言った。わたしはうなずく。自分でも不思議だった。もう十九歳。

 ケーキはすごく甘かった。背骨がとけちゃいそうなくらい甘かった。十年前もここで同じケーキを食べたはずなのに、あのころはぜんぜん味なんてしなかった。

「お客さまがた、ご入浴はこれからですか?」

 仲居さんのしゃべりは東北のなまりが混じっている。口をもぐもぐさせるわたしたちに、食べながらで結構です、という仕草でせいする。そして風呂敷を二枚、畳のうえに並べた。紅色とオレンジ色の、『ゆ』と書かれた二枚の風呂敷。

「お外の露天風呂はさむいので、これをぜひ脱衣所でお使いください」

「脱衣所で?」とゆりちゃん。

「ええ。床は板張りですからね、よぉく冷えているんです。この風呂敷を板に敷いて、そのうえでお着替えになるとよいでしょう。脱いだお召しものもこれにくるんで、なるたけ冷えないようにしてください」

 あぁ、とゆりちゃんはうなずく。この旅館の形式を思いだしたようだ。仲居さんはそれから、風呂敷について熱心に語りだした。

 お風呂で敷くものだから風呂敷なのです、と彼女は言う。お風呂以外でも、風呂敷はひろく活用できるのだ、と。あるときは手ぬぐいに、あるときは防寒用に、あるときはお弁当箱の下敷きに、あるときは荷物いれに。

「大は小をかねると言いますでしょう。わたくしはですね、これの語源は風呂敷からきているんじゃないかと、そう思うのですよ。大きな風呂敷は小さなものもつつめますが、小さな風呂敷は大きなものをつつめません。大きな風呂敷ひとつあれば有用性は、ぐう、とひろがります。ひとえにこれが温泉文化であり、古き日本の文化であるのです。それでね、変なことを言うようですが、実はわたくし、お二方に風呂敷の影を見てしまうのですよ」

「わたしたちがですか?」わたしはびっくりする。あとにもさきにも、風呂敷みたいなひとたちだと言われることはないだろう。

「はい。お二人とも、とても大きくすてきな風呂敷に見えますよ。いまのご時勢でお子さまの誕生日のためだけにお祝い旅行を敢行されるお母さま、それに応える健気で謙虚な娘さん。純朴な感覚、やさしく柔軟な発想、ふところの広さ。とっても、風呂敷的だと思います」

 わたしたちは神妙に、感じ入るようにお互い目を見つめた。風呂敷的。しんせんな言葉だなあ。


 仲居さんの推奨どおり、脱衣所の床に風呂敷を敷いて、そのうえで浴衣を脱いだ。たしかに足は冷たくない。浴衣と下着を風呂敷につつんで編みカゴに入れておく。あらかじめ布越しに踏んでおいたせいか、板張りは熱を帯びているようだった。

「ねえ麻衣。世の中にはプラダだのグッチだののファッション性重視のバッグがあるでしょう。バックなんて所詮、お風呂敷さまには敵わないのよ。ああいうのって大概にして容量ちっさいし、背中に背負えないし、こういうのって、柔軟な発想を日本人から奪っていくのよねえ」

 まさかブランド大好きなゆりちゃんからそんな言葉が聞けるとは思わなかった。ワインの呑みすぎだろうか、顔がほんのりと赤い。わたしは適当に返事を返しておいた。

 時間が時間だからか、露天風呂はひとっこひとりいなかった。湯殿や湯船は、ヒノキと十和田石によってつくりこまれている。

 二月の真冬にもかかわらず、濃厚な湯けむりによってさほど寒気は感じなかった。もしここで記念撮影しても、湯気のせいでうまく映らないだろうなと思った。

 せーの、でゆりちゃんといっしょに湯船につかる。肩までゆっくりとつかる。うちがわにあったものが、ぜんぶ外に出て行く感じがした。湯気を思いっきり鼻から吸いこむ。温泉の成分が体のなかに入っていく。

「麻衣、飲泉って知ってる?」

「インセン?」

「温泉のお湯を飲むってこと。効能、滋養強壮が体内まで効いてくるのよ」

「でも、」わたしは抹茶のウイロウみたいな色のお湯を見おろす。「ほかのひとが入ったあとだし……」

「だいじょうぶだよ。ここの温泉、自然湧出だからね。循環泉じゃないから、常に新しいお湯が流れてきてるの」

「くわしすぎるよ」

 でも、ゆりちゃんがだいじょうぶと言うので、わたしはさっそく飲泉をしてみた。

「どう?」

「フツー」

 くすくす、とわたしたちは笑いあう。こういうとき、わたしは明確なものを感じてしまう。この何気ない瞬間こそが、人生最高の出来事のひとつなんだろうなあと。

 他のお客さんがいないのをいいことに、わたしはあおむけになって、ぷかり、と温泉に浮かんでみた。お湯から顔だけが出て、聴覚があいまいになる。髪の毛が海草みたいに湯水にただようのがわかった。頭皮に熱が浸透して、ほっぺたがぽかぽかする。

 ゆりちゃんは、だまって見ていた。わたしは仰臥しつづける。スイレンか、もしくはブルー・ロータスみたいに浮かびつづける。

 夜空には、わが目をうたがってしまうほどくっきりとした星空がある。星々のきらめきが音となって聞こえてきそう。コンタクトレンズを外しておけばよかったと思った。きっと温泉効果かなにかで、すごくきれいなギンガムチェックが見られただろう。くやしかった。いまからはずしてこようかなあ。

「麻衣」

 はっと我にかえる。湯船の底に手をついて、わたしは振りかえった。

「お風呂からあがったら、誕生日プレゼントあげるからね」

 口もとにほほえみを浮かべ、わたしから視線をそらす。そんなゆりちゃんの表情に、わたしは昔を思いだす。十年前の今日、そのときもたしか、ゆりちゃんはこんな顔をしていた。

 あぁ、と思う。プレゼントって、たぶんあれのことなんだろうな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ