決戦前日
「いよいよ明日ですわね」
眼鏡を掛けた才媛が腕を組んでポツリと呟く。
「えぇ…そうですね…」
ヘンリエッタの視線の先では、今回の全てを計画した青年が、ソファに座ってトレードマークの眼鏡を持ち上げた。
ここは三日月同盟の応接室。
ギルド会館に有るギルドホール、その一室である。
<記録の地平線>のシロエ、直継、アカツキ、にゃん太が招かれていた。
シロエはマリエールの正面に座り、残り三人はその周囲や背後に立っている。
部屋には、マリエール、ヘンリエッタの他に、小竜、セララ、飛燕が居る。
ヘンリエッタと小竜はマリエールの背後に、飛燕は部屋の隅にそれぞれ立ち、セララは然も当然の様に、にゃん太の傍に張り付いていた。
シロエは手を顔の前で組んでテーブルを見つめている。
「何や、うち緊張するわ~」
「あなたが緊張してどうするんですか」
「せやかてぇ」
ヘンリエッタに突っ込まれ、マリエールが口を尖らせる。
明日はいよいよシロエの手番だ。
マリエールとヘンリエッタの戦場はピークを終えた。
次こそが本丸なのだ。
マリエールが緊張しているのは、目の前のシロエの眼光の鋭さ故だ。
ここまでお膳立てして貰って、最後の最後で失敗したら目も当てられない。
皆それを分かっているのだ。
だからこそ、正面に座るマリエールにも、シロエの緊張が伝染したのだろう。
シロエと付き合いの浅いメンバーはそう思っている。
だが、直継、にゃん太、アカツキの三人は知っている。
眼光鋭く沈黙している時、シロエの頭は高速回転し、回答を弾き出している最中だ。
或いは、頭の中でやるべき事を整理しているのかも知れない。
それが終わった時には――
青年がニヤリと笑った。
ほぼ無意識の癖だろうか。
本人は不本意極まりないが、この笑みは悪魔すら恐れを為すと、周囲の何人かは思っている。
この笑みと立てる作戦の所為で、何時の間にか「腹黒眼鏡」などと呼ばれる様になったが、ここに居るメンバーはそれを彼に対する高評価として捉えているのだ。
それに彼らは知っている。
その笑みに隠された青年の本質を。
直継は知っている。
この青年がどれほどの凡人かを。
現実で親交の有る彼は、城鐘恵の素性を知っている。
大学院生だ、自分と同じく、ドコにでも居る普通の若者だ。
だからこそ知っている。
この結論に至るまでに、どれ程のた打ち回り、悩み抜いたかを。
にゃん太は知っている。
この青年がどれほどの研鑽を積んできたかを。
<茶会>時代、カナミに引き摺り回され、幾つもの修羅場を経験して来た。
いつも無茶を言われ、その度に解決法を探り、乗り越えて来た。
だからこそ知っている。
スイッチが入った彼の鋭さを。
アカツキは知っている。
この青年がどれだけ頼もしいかを。
ゲーム時代は一年とちょっとの付き合いだが、時々連れ立ってクエストに参加した。
毎回指示が的確で、まるで未来を見通しているかの様な錯覚に陥った事が有る。
だからこそ知っている。
敵になった時の恐ろしさと味方になった時の心強さを。
マリエールは知っている。
この笑みの裏にどれほどの苦悩が詰まっているかを。
<茶会>が解散してから二年と少しの間、ずっとソロを貫いていた彼にクエストの助っ人などを紹介してきた。
あちこちのギルドの誘いを断り、ソロを貫いてきたのを近くで見てきた。
だからこそ知っている。
彼にとって仲間と街がどれ程大切かを。
ヘンリエッタは知っている。
この青年がどれほど純粋で朴訥かを。
<大災害>以降、接する機会が多くなり、色々話す事も多くなった。
時に相談を持ちかけ、或いは持ちかけられた。
だからこそ知っている。
彼がどれ程腹黒く欲張りになれるかを。
セララは知っている。
この青年がどれだけ優しさに溢れているかを。
本来なら無関係である筈の自分を助けに、わざわざススキノまで出向いてくれた。
しかもレベルが低い事を肯定してくれた。
だからこそ知っている。
彼が守りたいモノの為にどれ程苛烈で容赦無く行動出来るかを。
小竜と飛燕は知っている。
この青年の非凡さとその高みを。
レベルは同じ90で、情報交換やセララの救出を通して仲良くなった。
戦闘談義に華が咲いたり、クレセントムーン開業も手伝ったりした。
だからこそ知っている。
彼の才能の下敷きになっている愚直な平凡さを。
そして皆は知っている。
普段は不器用なこの青年が、いざと言う時にどんなに頼りになるかを――。
「む?主君、手が震えているぞ?」
「流石にシロエさんも緊張しますか」
アカツキの言葉に小竜が苦笑いを浮かべた。
明日は総仕上げだ。
そしてそれは、シロエで無ければ演じられない役割でもある。
「まぁ、そりゃそうだよな…あんなメンバー相手に大立ち回りやんなきゃいけねえし…」
飛燕も出席者のリストを見てため息を吐く。
五大戦闘系ギルド、三大生産系ギルド、中小ギルドの代表が二つ、そして今話題になっている三日月同盟。
アキバを代表する彼らを一度に相手にするのだから無理も無いと皆思う。
更にその裏でもう一つの計画を実行すると言う途方も無い話だ。
マリエールとヘンリエッタも心配そうにシロエを見つめる。
セララに至っては、自分の事の様に顔を青ざめさせ、にゃん太の服をぎゅっと握っている。
「いや、コイツは…」
「武者震い、ですかにゃ」
直継とにゃん太はいつもの様にニヤリとほくそ笑んだ。
釣られる様にシロエの笑みが深くなる。
「うん、まぁ、緊張はしてるよ…怖い部分も有る、けど…」
「分かるぜ。懐かしいな、あちこちのレイド行ってよ。そりゃもう、騒ぎまくり祭りだったぜ」
「そうですにゃぁ、戦闘開始前の高揚感は格別ですにゃぁ」
「オーロラ見に行きたいって言われた時はどうしようかと思ったよ」
直継はソファに寄りかかり、にゃん太は直立のままだが、シロエと三人で笑う。
「ははっ、あん時は流石にビビりまくり祭りだったなシロ」
「笑い事じゃ無いよ、現地に行って重要アイテム無くしてやり直したんだからさ」
「カナミっちも無茶を言いますにゃぁ」
口を尖らせるシロエに対し、二人はくつくつと肩を震わせた。
「あのぉ…?」
「まぁ要するにだ」
疑問が渦巻くセララたちに、直継が答える。
「コレはシロの戦場だ。レイドなら昔から日常だったからよ、心配するこたぁねえ。大船に乗りまくり祭りだぜ!」
最後にウィンクをかますと、セララは目を輝かせてコクコクと首を縦に振った。
アカツキも、流石主君だと感心しきりである。
「そうですにゃ、皆シロエちの船に乗ればいいですにゃ。さしずめ我輩はコックですかにゃ」
「む、主君が船長なら物見は私がやろう」
「んじゃ俺は」
「貴様は釣り針の先に付けて海に放り込めば良いだろう」
「おいちみっこ!俺は餌かよ!」
「ちみっこ言うなバカ直継!お前は疑似餌で十分ではないか!」
「アカツキっち」
二人のやり取りに保護者が穏やかな口調で割り込んできた。
「おう、言ってやれ班長、俺にどんな役職が合うかをよ!」
「生きたままなら生餌ですにゃ」
「おお!なるほど!流石は老師!」
「そっちかよ!?班長ひでーよ!俺地味に傷ついたぜ?ハートブレイク祭りだぜ!?」
三人の掛け合いはいつも通りだが、セララや小竜たちは呆気に取られて固まっている。
「おいシロ!お前も何か言ってくれよ!」
「えっ!?僕?!」
苦笑しながら静観していたシロエに直継が泣きついて来た。
「…そうだなぁ…直継は<守護戦士>で、敵を引き付ける役目だから…」
「それこそ釣りの餌だぞ主君!挑発特技が有るではないか!!」
「…あぁ…なるほど…<アンカーハウル>で入れ食いか…」
シロエは、アカツキの力説でその場面を想像し、思わず納得した。
「うむ!ソロランクからレイドランクまで選り取り見取りだぞ主君!食材には事欠かないから老師も腕を奮い放題だ!!」
「おいぃぃぃぃぃぃ!!!」
崩れ落ちる直継とそれをドヤ顔で見下ろすアカツキを後目に、マリエールが目をランランと輝かせて体を乗り出して来た。
「なぁなぁシロ坊」
「えっ、な、何?マリ姉?」
顔が近い。まるで触れられそうな近さだ。
「その船、うちも乗ってエエかな?」
「えっ?」
シロエの目が点になる。
船のくだりは喩え話の派生だ。まさか船の存在を本気で信じた訳では無いと思いたいが。
「あの、マリ姉どう言う事?」
「だってそうやんか、これからセルデシアっちゅう大海原に漕ぎ出すんやろ?この街の舵取りはシロ坊がするんやろ?せやったら、うちらも全員乗組員やで!」
「あぁ、そういう事か…」
ソファから仁王立ちになり、更に両手を広げて、マリエールがシロエを見下ろした。
ノリが良いと直継が親指を立てる。
「じゃあ、じゃあ、私はコック見習いで…」
セララがにゃん太を見上げてはしゃいでいる。
小竜も「俺、直継さんの弟子になりたい」などと言って飛燕を苦笑いさせていた。
「あらあら、皆様、シロエ様におんぶに抱っこですわね」
ヘンリエッタがクスリと笑う。
「そんなに背負えますかシロエ様?」
「いや、多分潰れますよ…」
今度はシロエに皆が背負われるイメージが再生された。
思わず苦笑いが漏れる。
「む、なら背中は私だ。主君の背中は私が守る」
「お、なら俺は前だな。シロの相棒だしな、俺たち二人でおんぶに抱っこ祭りだな!」
「いや二人とも話聞いてた!?そんなに背負えないし歩きにくいじゃないかっ!!」
応接室にシロエのツッコミが炸裂した。
「なんにしても明日だな、シロ」
「…うん、そうだね」
落ち着いたところで、直継がシロエの肩をポンと叩く。
シロエは穏やかに笑った。
「私は断言するぞ。主君の計画は絶対に成功する」
「へぇ、その心は何だちみっこ?」
「ちみっこ言うな。答えは簡単だ。主君だからだ」
「へっ?あの…どう言う意味ですか?」
セララがにゃん太を見上げる。
「アカツキっちも直継っちも、シロエちを全面的に信頼しているんですにゃ。もちろん我輩も、ですにゃ」
「な、なるほど…?」
何だか良く分からない回答だ。
ただ、頼りにしている、信じられる、と言う事だけは分かる。
「ま、明日は宜しく頼むぜ、参謀」
「うむ、こっちは任せておけ主君。存分に暴れるのだぞ」
「俺たちも頑張ります!」
「我輩はシロエちの付き添いですにゃ」
「うん…皆有り難う…まぁ、やれるだけはやるよ」
シロエは周囲を見回し、自らの両の掌を見つめた。
本当に、ここで失敗したら皆に会わせる顔が無くなる。
否。
皆は笑って許してくれるだろう。許せなくなるのは自分自身だ。
ここに居るメンバーだけではない。
ソウジロウたち<西風の旅団>も、他にも、手伝ってくれる者たちが大勢居る。
自分たちが手を差し伸べるのを、必死に待っている者たちも居る。
明日失敗したら、彼らの努力を無駄にしてしまう。
しかし逆に言えば。
(本当に…色んな人が力を貸してくれてるんだな…)
そう思うと、さっきの皆を背負うというのは少し違う。
皆が自分を支えてくれている。
そう、背負うのでは無い、自分が皆に担がれている。
ならばこそ。
明日は決戦だ。
絶対に成功させる。
シロエは、今度は明確に、意識を持って、眼鏡を持ち上げ、ニヤリと笑った――。