雑記
僕は受験期の最後の時期には自習室にこもっていることが多かった。午前中に勉強し、午後に長めの昼食を摂って、昼寝をし、勉強して、夕飯食べて、勉強するという流れである。勉強といっても、僕の集中力は極めて短時間しか持続しないものだから、読書をしたり、くだらない考えごとをしたりしている時間が大半である。何をそんなに考えていたかというと、それは色々あるわけだが、その一つに大学に入ったらしたいことというのがあった。華のキャンパスライフ、雪より白い肌とぬばたまの黒髪した清楚可憐な少女と、昼下がり中庭のベンチに腰掛けつつ談笑する。隣に座る彼女の横顔に暖かな日光が柔らかい陰影をつける、爽やかな一陣の六月の風は吹きぬける、白い野良猫が近くの木陰で居眠りをする。 または、夜のドライブ、静かな山奥に車を止めて流星群を見る。または、晩夏に夕焼けを見ながら潮風の匂いを感じつつ、波打ち際を裸足でゆっくり素敵な女性と歩く。彼女は西の空の一際輝く星を指して、「一番星だ」という。僕はそれを見て、君こそヴィーナスだ、と思うのだ。我が妄想、とどまることを知らない。気が付くと分針の角度が180度動いていたなどはよくあることだった。
さてそれらの願望やら妄想がどうなったかと言えば、今になって実現されたものは殆どない。第一、黒髪の乙女と懇意になるなどはてしなく非現実的である。一時はその哀しさ虚しさを山寺だとか杯山のテッペンででも叫んでやろうとも思ったものだ。勿論僕の妄想は最早一種のファンタジーですらあったが、そういう生活があると思って、それがみつからないのは辛いものだ。先月、車を手に入れたばかりで浮かれている友人に誘われ山寺に行った。山寺は山形の有名な観光名所らしいが山形に来るまでは知らなかった。その場のノリで行き先を山寺にしたものだから、着いたころには夕方だった。照明がないから暗くなるまでには帰ってこないと駄目だと受付で言われて、急いで登るハメになった。上に着いたころにはすでに日は没していて、橙色に染まる空と夕暮れの柔らかい光に照らされた町並みと、その町中を三両編成の列車が進んで行くのが見られた。なかなかいいものである。うむ、と満足して(叫びなどせず)帰ることになった。何故好き好んで金を払ってまで坂道の上り下りをしなくてはいけないのかを考えると非常に謎だが、いいものはいいものなのだから仕方ない。この「仕方ない」というやつは、僕、好きである。潔く、仕方ないと言うのは、なんだか逃避のようだけれど、これはなかなか出来ないものだ。
その帰り道で財布を落としてなくした。夜食を買おうとして財布がないのに気づいた。キャッシュカードも学生証も保険証も家の鍵も全て一緒に財布につけて保管していたのに! 何であっても、あると思ったものが、見つからないというのは辛いものである。しかし、これを諦めるわけにはいかない。仕方ないが仕方なくてはいけない。翌日、交番から連絡があり、届けられていた財布を取りに行った。山寺に行ったことのご利益があったのかどうかは良く分からない。財布が見つかったことはいいけれど。