ばらばら
市営住宅に引越し自分の部屋を手に入れた智弘はいつも窓から見える高架を眺めながら趣味の読書にふけっている。何度か電車から自分の部屋を意識して凝視したことがあるが電車からは思いの外部屋の中が覗けるものである。和室の部屋に絨毯を敷いてその上に本を装飾している。三ヶ月に一度の割合で気が向いたときに一気に整理をするがまた新しい本で絨毯を彩ってカオスを演出する。
「ふう」とため息を付きカーテンを開き窓枠に足をかけ五分から十分おきに聞こえる電車のレールを走る音を聞きつつ太宰治や芥川龍之介の作品を視界から脳に伝える作業に勤しむ。
中学時代からの友人からこのような話を聞いたことをその時思い出していた。
『太宰治は好きだが太宰治を好きという人間は嫌いだ』
ある小説家の言葉らしいがそれを聞いた智弘は
「そいつ馬鹿じゃねえの」と友人に即座に口を尖らせ皮肉だと分かる口ぶりで返した。読者を批判する人間が文章で飯を食っている。それは読者を馬鹿にしているか、自分が崇高な人間だと信じ込んでいるのか、その両方であるのか、その小説家は売れないだろうとは直感した。
智弘は弘之を殺めていない。殴り殺そうと弘之に襲いかかろうとしたたった一度の機会はみのりに間に入られ未遂に終わった。みのりを跳ね除ける腕力はあり後先を考え無いほど理性の箍ははずれていたのに母親が必死に止めている姿と衰えた体の力、働き詰めで手入れの行き届いていない髪の毛を視野に入れてしまい智弘はなんとも言えない脱力感に襲われ意気を削がれた。みのり人生の折り返しを当に過ぎている。
まもなく弘之は家を出て行き、家族三人でこの家で暮らしていくのかと甘い算段をしていたがその通り甘い算段で弘之は払っていると言っていた家賃を酒代に消していた。一年以上家賃を滞納していると、うどん屋を経営している大家から連絡があった。智之からすれば弘之の紹介でこの家に住むことになったとはいえ、なぜみのりが家賃を弘之を経由して支払わせていたのか腑に落ちなかったが今の家に越して来て冷静に好意を持ってみのりの判断を庇うとすればみのりは弘之を信じたかったという結論に達する。
三人は出ていかざるを得なくなりなんとか世帯収入で家賃が変動する市営住宅に入居ができたのは運が良かったとしかいい様がない。
智之は世間が多少見える年頃になってからずっと自殺念慮を抱いていて三十歳まで生きているとは考えられない。年を重ねるに従って人間不信の性格は層が厚く強固に成り無口で根暗な男に変貌している。女なんて要らないと彼は告白をしてきた女性に冷たい言葉で突き放した。
怖い、怖いのだ。女性と付き合うことが……自分をさらけ出すことが。誰も紀ノ川智弘という人間を受け入れてくれるはずはない。自分は卑しい人間、貧乏で常識知らずの親の不自由な普通とは何かもわきまえていない現代の最下層の人間。
両親とも中卒であることが知られたくない、片親であることが知られたくない、島を捨て親戚もろくにいない孤独な一家であることも知られたくない。
智弘は劣等感を常に抱えて学生生活を送っている。野球部に誘われれば道具を買えなかった中学一年生の頃を記憶に呼び起こし、全国模試でそこそこの点数をとれば大学受験を薦められる。奨学金を貰える成績にはとても及ばない。馬鹿ではないが優秀でもない中途半端に小賢しい少年。まあ、死ぬことを念頭においているのだからそもそも努力しようとしない。
逃げていると言われるのなら、「はいそうです」と平然とこたえられる。
でもそう言われれば、自分と同じ人生を送ってこの世に希望をあなたが持つことが出来ますかと聞き返してやるつもりだ。もっともそうならない為に人との接触を避けて生きているんのだけど。
智弘は晩年の芥川の作品を読んでさらに心が病んでいる。そして芥川の最期に憧憬している。マフラーを使い首吊りの真似事を何度したことか、しかし手が痺れてくるとそれ以上絞めることはしない。
『歯車』を読み終えた智弘は夕焼け空に目を向けて家族とは何かをふと前頭葉を働かす。
庄之助おじいちゃんは会ったことはないが生真面目で優秀な人だったと母は尊敬している。久之おじちゃんは野菜売を廃業し寺の附属幼稚園のバスの運転手をしているという。ちなみに福岡に来てから美智代おばちゃんは妊娠し高齢出産で女の子を産んだ名前は皐月。松子おばちゃんと、初江おばあちゃんは何処に住んでいるか、市内かそうでないかすら知らない。照之おじちゃんは智弘が中学生の時にリストラにあい家を売り払って行方知れずだが奥さんの実家は結構裕福らしい。そして、父は市外で生活保護で暮らしている。母は連絡を生活の面倒を見れるのか役所から電話が来て断った……。
島を捨て、墓を捨てて結局誰が幸せになれたのだろうか?
智弘は神を信じないが先祖に対する畏敬の念は持っている。誰か一人でも島に残り墓を守れば一族がこんなにも無様なくらいバラバラにならなかったのではないか。年に一度の墓参りでもいい。紀ノ川家が集まらざるをえない切掛があればと思うだに後悔が先に立つが智弘には一つも打つ手はない。
ああ、また憂鬱が智弘を支配する。
彼はこれだけはきちんと置く場所を決めている『蜘蛛の糸』を手に取り憂鬱が過ぎるまで一文字一文字じっくりと読み欝の波が収まるのを待つ。
文学という分類にしたけど私自身文学がなにかわかりません。
読んで下さった方ありがとうございます。