♪、95 君がいちばん~後~
賑やかな雰囲気に、華やかな同窓生達。
つくづく吉乃を連れて来なくて良かったと思ってしまうのは、仕方のない事だと思う。
「おい、智、智じゃないか。久しぶりだな」
綺麗に、それでいて落ち着いた感じに着飾った利依と腕を組んで会場となる広間に入った途端、明るい声が俺を呼び止めた。この声の主は振り向かなくても判る。
生まれつき色素の薄い焦げ茶色の髪に、茶色の瞳。
身に纏う雰囲気は柔らかで爽やかだが、彼の本質は冷酷非情。その雰囲気に騙され、身を滅ぼした人の数は両手で足りないほど多い。
だが、彼とて人間。彼は一度信頼した人間には何処までも心が広く、また、限りなく優しい。そんな彼と俺は唯一無二の悪友であると同時に、好敵手でもある。
俺は彼の呼びかけに応える為に彼の方へ振り返り、自分の目を疑ってしまった。
俺は夢でも見ているのだろうか。
夢でなければ理解できないとはこんな事を言うのだろうか。
「関、お前、いつ結婚して娘が産まれてたんだ?」
悪友の隣に立っていたのは、どう見ても中学生くらいの少女で、化粧をしていない吉乃と並べたのなら、いい勝負だと思う。いや、辛うじて吉乃は高校生くらいには見えるが。
他意なくジロジロと悪友の同伴者を見ていた俺は、キッと、その少女に激しく睨まれ、悪友には頭をポカリと、軽く叩かれた。
「おい、いきなり何なんだ」
「お前、バカだバカだと思ってたが此処まで莫迦だったとはな。コイツ――美麗は俺の嫁さんで、これでも成人してる女だぞ」
「・・・は?」
俺の耳はイカレテしまったのだろうか。聞き間違いでなければ、この目の前の女性は吉乃と同類のタイプだと言う事になる。正直な話、信じられないと言う想いはあるが、何しろ実例がすぐ傍にいる。信じたくなくとも信じなくてはならないのだろう。
俺が心の家で一人自己完結していると、グイッと腕を横から強く引っ張られた。
こんな事をする非常識な奴は一人しかいない。
「何だ、用があるなら口で言え。お前は幾つになったと思ってるんだ」
「あら、そんな事アタシに言っていいのかしら?姉さんに言いつけるわよ。兄さんが人の奥さんを舐めまわす様に見てたって」
「なっっ、舐めまわしてなんかないだろ!!俺はただコイツの嫁さんが吉乃と同じだなと思ってただけだ。お前は妹のクセして、兄を脅すのか!!」
結婚してからの妹は、間違いなく性格が悪くなった。事あるごとに俺を脅しては、俺の反応を見て面白がり、時にはそれをネタに家族と盛り上がっている。全くつくづく喰えない妹だ。
ああ、だからだろうか。あの粘着質で陰険な義弟と上手くやっていけるのは。
全く、世の中は広いようで狭いな、と、心内で呟いた時、あり得ない声が耳に入ってきた。
「智・・・さん?」
「・・・、っよ、吉乃?」
何故ここにいるんだとか、どうしてだとか、そんな言葉は言えなかった。
吉乃は和解の印にと俺の母さんから贈られた着物を身に纏い、義父と仲良く腕を組んで立っていて、その義父は、あからさまに苦笑を顔に浮かべていた。
どうやら全くの偶然が重なってしまったらしく、回避する事が出来なかったらしい。
そう言えば、吉乃は今夜は前から父に付き合って医学界の懇親会に出ると言っていた様な気がする。その会場がここで、同じホテルで開かれるとは今の今まですっかり忘れていた。
「こんな所で、何してるんですか?」
ヒヤリとした吉乃の声に、俺は両手を挙げて、降参のポーズをとりたくなった。
何の因果があって、愛しい唯一の妻に浮気を疑われなければならないのか。しかも浮気相手だと思われているのは実の妹だ。
吉乃は浮気だと言葉で言ってはいないが、その真直ぐ過ぎる瞳で俺に浮気をしたのか、と、問うている。利依は利依で素知らぬフリを貫いていて、助けようともしない。そんな俺達に興味を引かれたのか、ザワザワと先程から騒がしく、また視線が半端なく多くなってきてはいるが、今はそれに構うよりもとりあえず吉乃を落ちつかせる方が先決だった。
俺は利依の手を自分の腕から離し、一歩、また一歩、しかし、確実にゆっくりとした足取りで吉乃に歩み寄り、ふわりと、その小さくも柔らかな身体を抱き寄せた。
その途端上がる、幾つかの小さな女の悲鳴。吉乃はその悲鳴にピクリと肩を震わせながらも、素直に俺に抱き寄せられていた。
全くどうしてくれようか。
吉乃はあの忌々しい人間とは思えない屑どものせいで、人間の情緒や精神、感情が未発達で、未だに発展の途上にある。そのせいか、ごく偶に子供の様に幼い言動を取る。それがどうにも愛らしくて、可愛くて、言葉で言い表せないほど愛しく思える。
ここが人のいない部屋だったら、今にも吉乃を押し倒してその身を貪っていた事だろう。そんな下心をなんとか抑え込み。
「吉乃、お父さんとのお出掛けは楽しかったか?」
「・・・疲れただけだわ・・・」
――だって、お父さんには悪いけれど智がいなかったんだもの
問いかければ、甘えるように、そして少しばかり拗ねたような口ぶりで、俺の胸元のシャツをぎゅっと掴んだ。
そんな様子の吉乃を暫く堪能した俺は、悪友のわざとらしい咳払いで、ようやくここが同窓会の会場である事を思い出し(俺には途中から吉乃しか見えてなかったのだ。)、吉乃を紹介した。
「悪いな、忘れてた」
「・・・で?」
「急かすなよ。綾橋 吉乃。 正真正銘の俺の唯一無二の妻だ。吉乃、コイツは俺の悪友で親友の関 董真だ。で、その隣にいるのがどうやら奥さんらしい」
吉乃は二人をじーっと観察するなり、ふわりと、それはそれは愛らしく柔らかな微笑みを浮かべた。
そんな吉乃を妬ましそうに睨みつける女共。
世の中には多くの女がいるけれど、俺には吉乃が一番。
君しかいない。キミしかいらない。
だから。
だからいつまでも俺の傍で笑っていて。