♪、93 あなたと恋に落ちたら
12月15日の夕方、私と智の間に無事に生まれてきてくれたのは、目鼻・顔立ちが整った可愛い可愛い女の子だった。
体重自体は2600g弱と、少し軽く、小さかったけれど、それでも一生懸命生きようと生まれ、高い泣き声を上げる赤ちゃんは、まさしく天使だった。きっと、私はこの日の事を永遠に忘れる事は無いだろう。
「奥様、おめでとうございます。可愛らしいお嬢様ですね。」
「川幡さん、有難うございます。」
分娩室から病室に戻された私は、川幡さんからお祝いをベッドの上で受け、少し休んでいた。
「今、若旦那様にご連絡いたしましたところ、至急こちらに向かうそうです。」
「あら、もう連絡してしまったんですか?折角驚かそうと思ってたのに」
「奥様、若旦那様は既に大変し驚いてらっしゃいましたし、悔しがっておられましたよ。出産に立ち会えなかったと。」
意地悪気に笑む川幡さんは、自分は役得だと言い、あれこれと世話を焼いてくれた。まるで自分の子供か孫が生まれたかのようなその働きぶりは、同室となった妊婦さん達の笑いを誘った。
智が病院についた時には、もう夕日が落ち、すっかり暗くなっていたけれど、智は息を切らししたまま、半ば駆けこんで来る様にして病室に滑り込んできた。私はその時丁度夕飯時で、鉄分とカルシウムが豊富な食事を食べていた。
「吉乃、子供は・・・、子供はどっちだった?」
牛肉のフィレ肉は歯ごたえが適度にあり、飲み込むまで時間が掛る。でも、智にはそんなの関係ない。一度目の子供は流産。そして二度目の今回の子供は、予定より二週間も早い出産。
いてもたっても居られなかったのだろう。
ゴクリ、と、噛んでいたお肉を飲み込み、私は箸を置いて智に答えを返した。
「女の子だったの、ごめんね、男の子産めなくて・・・」
「吉乃、」
智は綾橋家の跡取り。
そして私はそんな智のたったひとりの奥さんで、一生を共にするパートナー。
だからこそ私には、智の為に綾橋家の跡継ぎになり得る男の子を産まなきゃならない。
私の謝罪に智は一瞬言葉を喉に詰まらせたけれど、直に優しい笑顔を私にくれた。
「良いじゃないか女の子で。別に男の子でも女の子でも、俺と吉乃の子供だろ?元気に育ってくれれば、それだけでも充分だ。」
言外に気にするな、と、言ってくれた智の心の優しさ。
私はそんな智の優しさにずっと気付けなかった。
でもこれからは違う。
お互いに手を取り合って、これからは家族4人で生きて行く。
生きていける。
「名前、考えないとな。」
「そうね。智に似て、あの子美人さんよ。」
きっと成長して、お嫁さんになる頃には、絶対泣くだろうな。
うん、絶対泣くか、きっと結婚相手じたい認めないと思う。
「ふふふ、大好きよ。智。世界中の誰よりも愛してるわ」
「吉乃・・・。」
甘い雰囲気が漂い始めた私達の雰囲気を、ありがたくもぶち壊してくれたのは、同室の妊婦さん達だった。
「あ~ら、真冬だって言うのに、ここの部屋だけはまるで南国並みに熱いわね。熱い熱い。」
「本当よねぇ~。あぁ、羨ましいわぁ~。」
生温かくも、微笑ましい眼差しと雰囲気に、私と智は気恥かしくなったけれど、囃し立てる妊婦さん達に請われて、キスをした。
それは慈愛に満ちた神聖なモノだったけれど、私にはそれで充分だった。
一度は喪ってしまった命。
でも、もう一度私達のもとに戻ってきてくれた命。
その命と共に、私達はこれからもお互いに支え合い生きて行く。
そんな意味が込められたキスだったのだと、私は思う。
(ねぇ、お母さん、私は幸せよ)
だから、だからね?
これからも見守っていてね?
お母さんが日記に書き記した、書き遺した言葉【Si je tombe dans l'amour avec vous】の問い掛けの様な文に、私も自信を持ってお母さんと同じ様に答えられる。
――Si je tombe dans l'amour avec vous
――あなたと恋に落ちたら
お母さんの答えは、【幸せ】だったけれど、私はそれは運命で、唯一の恋だったのだと、私は胸を張って断言できる。
きっと、智は最初からそうだったんだと思う。
だからこそ智は、私達の結婚指輪にあの文字を彫って貰ったんだと思う。
「あなたと恋に落ちる事は、最初から決まっていたのね、智。」
生まれたばかりの娘の名前を何にしようかと一人考えていた智は、私の突然の言葉に戸惑っていたようだけれど、私が自分の薬指輪に嵌めてある結婚指輪に触れると、智は柔らかく微笑んだ。
きっと人の数の程、あの言葉には続きがあるのだと思う。
答えは一つじゃない。
答えは人の数ほど無限にある。
最初は絶望と諦めから始まった関係だったけれど、それがあってこその今なのなら、私は自分の運命を憎まない。
大切で、愛しくて、唯一の運命の相手に出逢えたんだから。
「良し、決めた。」
明るく弾んだ智の声に、私は満たされた人特有の笑みを浮かべ、最愛の人が今日生まれたばかりの娘の為に考えた名前を聞き、賛成した。
そして無事退院し、家に戻った私は日記にこう書き記した。
――あなたと恋に落ちたら、あなたと恋に落ちたら、私は天に昇るほど幸せで、運命の出会いに感謝する事でしょう。
と。
〔了〕
一応完結。
リクエストなどがあったら、後日番外編アップします。
今まで、有難うございました。
引き続き、他の作品も応援して下されば幸いです。
篠宮、拝。