♪、89 父の最愛
仕事から帰ってきた私が見たのは、パパ改め、お父さんと智が、同居してる糸帆さんの寝顔を覗き込んでいる場面だった。
それを少し注意した後、再会を喜んだ私は、どうしてお父さんがここにいるのか疑問に思った。その素朴な疑問を解決してくれたのは、お父さんだった。
「離婚の話をしている時に、智君が家に訊ねてきてくれてね、折角だから久しぶりに話をしようと言う事になって、ここに連れて来て貰ったんだよ。」
「え?離婚されるんですか?お義父さん」
お父さんの離婚と言う言葉に敏感に反応したのは、実の娘の私ではなく、智の方だった。私はと言えば、お父さんの気持ちが少しだけ判るような気がした。きっとその気持ちは今の智になら判ると思う。
お父さんが今も大切に持っているだろう、お母さんの写真。
「お父さんは、香也乃さん、――お母さんしか愛せないのよね?もう、苦しいんじゃないかな。お母さん以外の人と一緒にいるのが。」
心を偽るのは凄く辛くて痛くて悲しくて。
心が引き千切られるんじゃないかと思うくらい苦しい。
心を偽って生活する苦しみは、心身ともに疲弊させる事を私は体験して知っている。
「無理、しなくてもいいんじゃない?お母さんも許してくれるよ。仕方ないわね、先生はって」
「吉乃・・・」
「お母さんも素直じゃなかったんじゃない?私と一緒で。」
似ているのならきっとそうだと思う。
幸せになってと望みつつ、ずっと自分の事だけを思っていて欲しいと言う矛盾する本心。
どれも真実だけれど、出来ればずっと自分だけを思っていて欲しいのだ。女と言うモノは。
お腹をゆっくり撫でていると、ポコリと蹴られたような気がした。
「この子もお父さんの想う通りにしたら?って言ってるみたいよ。」
うふふ、と声を立て笑えば、お父さんは小さなパスケースを見て、懐かしそうな眼差しでそれを見ていた。
智はそれを横から覗き見て、ビックリしていた。
「そっくりですね・・・。吉乃と。」
「そうだろう?ここまで似ていたのに、親子だと気付かなかったなんてね。私は何処か逃げてたのかもしれないね」
お父さんの最愛の人、それは私を産んでくれた香也乃さんだけで。
無理に忘れなくてもいいと思う。
だって・・・。
「あなたの最愛は私だけで良いって、お母さん書き遺してるもの」
私のこの言葉は、二人に聞こえてないようだったけれど、それはそれで良かった。
お父さんの最愛の人はお母さんだけで良い。
私は小さな欠伸を噛み殺し、目を閉じた。