♪、70 反撃開始、その前に
ちょっと、スランプ気味かも?
「すみれ先生、だいじょうぶ?」
まだ先程のショックから立ち直れずに、ボロボロと涙を流す私を心配した声に、私はその涙を慌てて服の袖で拭い、ゆるく頭を振った。
子供は大人の感情の機微に敏い。だからこちらが気をつけなければならないのに。
(ダメね。判ってたはずなのに・・・。)
子供たちの事も、智とのことも、今回の騒動の事も。
知っていて、何も出来なかった。これでは昔の私のままではないか。
変わると決めたのに、決別すると決めたのに。
「あのね?すみれ先生、まなね、すみれ先生達におしえにきたの!!」
「あやめも聞いて、ビックリしたの!!」
苦い気持ちになった心をなんとか持ち直そうとしていた私の服の裾を、くいくいっと引っ張り、なんとか自分達の方に意識を向けさせた女の子二人は、嬉しそうに、ウキウキしたように微笑んだ。
「あのね?しほさんね?ひろお兄ちゃんとケッコンするんだって!!」
「え?」
「だからね?ケッコンするんだって!!」
結婚、結婚と騒ぎ、ぴょんぴょん飛び跳ねる万菜ちゃんとあやめちゃん。それを見て、私は途端に先程目の前で閉められたばかりの玄関扉を乱暴に開け、マイクや取材陣に囲まれている紘人さんの襟首を引っ張った。
その際に再び目映いほどのフラッシュがたかれたけど、私はそれらの全てを全力で無視した。でも、それだけで納得するほどあちらはぬるくない。
「逃げるんですか!!奥様に、ご家族様に謝罪は無さらいのですか?あなたには倫理や道徳心と言ったものは無いんですか?」
その言葉、そっくりそのまま返したい。でも今はそんな事より。
「私の事を悪く言いたいのなら言えばいい。放送したいのなら放送すればいい。でも、真実が明らかになった時、それを後悔するのはどちらの方かしらね?その覚悟があるのなら、いくらでも騒いで書き立てれば良いわ。取材はこれでおしまいよ。今度ここに来たら、警察に通報して、裁判に持ち込んでやる。」
こんな下らない事に時間を取られている暇はない。
あやめちゃん達の言う事が真実なのならば、いつの間にと言う感じだ。だいたい紘人さんは利依さんが好きだったんではないのか。
私のこの乱暴な言動に、報道陣らは思いつく限りの悪口雑言を吐き、紘人さんはそれを何故か小型の録音レコーダーに録音し、悪魔の微笑みを湛え、満足そうに笑った。
バタンっと、派手な音を立て、再度閉められた玄関に、用心のために鍵とチェーンを掛け、私はサンダルを脱ぎ、リビングへ移動するように三人を促した。
「相変わらず、一度切れると何をしでかすか判んないね、吉乃ちゃんは。」
「あなたこそ、人が悪いわ・・・。ひろ君?」
苦笑交じりにも、嬉しげなその声は、嘗て毎日聞いていた声の面影を確かに残していた。残っていたのに、私はさっきのさっきまで思いだせなかった。
「それに糸帆さんと結婚だなんて・・・。あなた利依さんとは?」
私は紘人さんは利依が好きなんだとばっかり思いこんでいた。
私のその思考をそのまま読みとったのか、紘人さんは実に嫌そうに眼を逸らし、あやめちゃんを抱きあげて、衝撃の真実を暴露してくれた。
「あの人の事は元々好きでもなんでもありませんでしたよ。親の言い為りになっていただけで。それに吉乃ちゃんがそう願っていたからね。知ってた?俺の初恋は吉乃ちゃんだったんだよ?」
「な、な、」
「ファーストキスもしたのに、冷たいなあ、吉乃ちゃんは。」
なぁ?あやめ、と言う紘人君を苛々と睨み、地団太を踏む。
「短気は損気だって教えてあげただろ?」
「でもっ、」
「糸帆さんは一緒にいて安らげる人で、あの人は常に『完璧な従兄の兄』を俺に求めている。息も出来ない人と結婚できるか?俺には無理だね、吉乃ちゃんと違って俺はSでもMでもないから」
「人を変態扱いしないで。誰がMよッ!!」
「Sなのは否定しないんだ?」
ぐっと、私が言葉に詰まれば、紘人さんは爆笑した。
お腹をよじり、涙を流し、壊れるんじゃないかと思うほど、それはそれは盛大に。
昔の彼もいつもそうだった。
彼は私が失敗すればするほど大笑いし、蔑むんでもなく、かといって貶すでもなく。
ただただ大笑いする。そして。
「ほら、こんなに素敵な感情を俺にくれるのは、吉乃ちゃんと彼女だけだったんだよ。確かに糸帆さんとの話は急だったけど、俺は結婚するんなら、糸帆さんしかいないって前から思ってたんだ。この間、漸くプロポーズが出来てホッとしたよ」
最後には綺麗に話をまとめて、私を包め込んでしまう。
昔ならここで簡単に引いたけれど。
(せめて、せめて一太刀でも!!)
そこで私は、私と紘人さんの舌戦をぽかんと見ていた万菜ちゃんとあやめちゃんを見て、不意に思いたった。
これならいけると思った私は、紘人さんに指をさし、無茶ぶりをした。
「なら、来年の6月。」
出来るんなら、やってみろ。
私は多少の意地悪さを覚えつつ、挑戦状を叩きつけた。
「来年の6月、私達と一緒に結婚式を上げれるくらいの費用を稼いで、式場を捜してみなさいよ。そうしたら糸帆さんのドレスはオーダーメイドで私が代金を負担してあげるから!!」
「いいでしょう。その挑戦、受けて立ちましょう。でもその前に」
忌むべき禍根と過去を綺麗さっぱり立ち切りましょう。と、諭され、私は何も考えずに「当然よッ」と息巻いた。
それが明るい未来に繋がる未来の為ならば、そして、憬れのジューンブライドの為ならばと。
そうして、智が面接から帰って来るまで、私と紘人さんのまるで時を埋めるかのような舌戦は続いた。
あ、あれ?また智でて来ず。
智よ、君は仮にもヒーローなのに・・・。憐れ。