♪、58 新しい家
やり直しですからね・・・。
「吉乃、着いたぞ」
車のエンジン音が止まり、智の声が聴こえ、いつの間にか眠ってしまっていた私は、瞼を何度か震わせ開き、自分の目と頭を疑った。
病院から少し離れた所にある有料駐車場まで、結局手を繋いだまま歩き、それからそこに停めてあった智の私有車であろう車に乗り、車に揺られる事およそ30分。
新しい家を用意したからと言われ、それに少し悪いなと思いながらも、私はそれに少しばかりホッとした。いくらやり直すと決めても、綾橋本邸に帰るのは怖くて、心細くて、忍びなかったから。
でも、まさかここだとは思わなかった。
「ここなら、保育所も近いし、あの家も近いだろう?」
近い、近くないの問題ではない。
何しろ、私がつい最近まで住んでいたシェアハウスと新しい住処は、目と鼻の先程度の距離しかなく、職場ともあまり離れていないのだから。
そのせいで、私が中々反応せず、車からも降りようとしなかったせいか、智は少し表情を陰らせた。
「やっぱり、二人で暮らすのは嫌だよな・・・。」
今までの事を棚に上げて、と、後悔の淵に沈もうとする智の服の裾を掴み、小さく囁く。
中々反応出来なかったのは驚いたから。
まさかここのマンションだと思っていなかったから。
まさか・・・。
「ありがとう。嬉しい。これなら、いつでも尚たちに逢いに行ける。」
尚や由貴君。
(・・・・・・!!)
胸の中でシェアハウスで仲良くしていた人達を思い出し、「まさかね?」と思いつつ、慌ててガサゴソと手持ち鞄の中から携帯を取り出し、着信履歴を確認してみれば、やはり桁違いの不在着信が残されていた。
「あぁー、尚に怒られるぅ~。由貴君にバカにされるぅ~、小倉さんに泣かれるぅ~」
この騒ぎさえなければ、昨日は今日の朝方まで飲み明かす予定だった。
尚と私ともう一人の子で料理を作り、由貴君と小倉さんとメガネ神士(あだ名)でパーティーを盛り上げ、部屋替えのゲームを真剣勝負する筈だった。
最下位の人は、罰ゲームとして年末の大掃除だった。
それを無断欠席。怖い。怖すぎる。
「解ってるんなら話は早いわ、吉乃。」
「そうだね。プレゼントまで折角用意してたのに。」
「――、水臭いですよ。吉乃さん」
三者三様の声が聴こえた様な気がするのは、気のせいだろうか。
うん、きっと気のせいに決まっている!!と、私が勝手に判断を下し、車から降りた途端、私を頭から覆う様に被せられてきたダークブラウンのショールとマフラーに、するりと自然に指に通された指輪に、押しつけられた紙袋には、来春発売予定の新しい香水と手作りのバッグ類。
「心配したんだからね!?吉乃は夜になっても帰ってこないし、社長は長期休暇を突然取るし、お陰で寝不足になっちゃったんだから」
「小倉君は泣き過ぎて使いモノにならなくなるし、ルナは暴れた挙句、怪しげな呪いは始め・・・、本当に迷惑でしたよ」
文句を言いながらも、優しく抱きしめてくれる人達。
(あぁ、私は一人じゃなかった・・・。)
それを今、私は実感している。
心がふわふわとして、温かい。
とても満たされる。
それが嬉しくて、たまらなく幸せで。
「ただいま。待っていてくれてありがとう。みんな、大好き。」
荷物をその場に放り出し、尚に抱きついたのは素直に嬉しさを表現する為だった。
けれど、本当は少し男性恐怖症と言うより、嫌悪感が無意識に働いていたのかもしれない。
だけど、そのままでは永遠に私は幸せになれない。
いつまでも過去に縛られていては、あの忌まわしき家の人達の思う壺。
いいかげん、私も幸せになっていいはずよね?と自分に自分で問い掛け、私は真実、あの家の呪縛から解放される為、戦う事を決意した。
「ねぇ、お願いがあるんだけど・・・」
だから、だから、その為に少しだけみんなの力を貸して下さい。
協力して下さい。
私の並々ならぬ決意の籠った声を聞いた智や尚たちは、一瞬驚きはしたものの、すぐに頷いてくれた。
それを見て、私は近い内一つの家が崩壊することを確信した。
(大丈夫、私には皆がいる。)
そう思い、尚に「アンタしつこい!!」と言われるまで、私は尚に抱きついたまま、ずっとそのままでいた。
決心しましたね。