♪、55 聖なる宣誓。
建川視点。
泣き過ぎと、今までの疲労の蓄積で、ベッドの中でぐったりとしている彼女は、本当に彼女の母親と瓜二つだった。
寂しい時、人の服の裾を掴む癖もどうやら遺伝したらしく、私の服の裾を未だに離そうとはしない。
「香也乃、私達の子は生きていたよ・・・。君とあの子が守ってくれたんだろうね・・・。ありがとう」
熱が出た事で昏々と眠り続ける、最愛の妻が残し、護ってくれた愛娘の髪を撫でてやりながら、先に逝かせてしまった彼女に感謝する。
それにしても。
「紘人君、と、言ったね。君は彼女の弁護士である前に、彼女のなんだったのかな?」
助けて下さい、貴方と最初の奥様の子の命が、危険なんです。と、突然掛かってきた電話。
明日になれば(電話が掛かってきた当初。)また渡欧する予定だった私は、それを最初なんの冗談だと思った。
悪戯にしても悪質すぎる言葉に、思わず眉を吊り上げ掛けた。
が。
――お願いします。彼女を、吉乃ちゃんを助けて下さい!!
その悲痛な叫びと、吉乃と言う名前に引っかかりがあり、とりあえず指定された場所へ行く事にした。
悪戯や、強請の類なら警察に通報すればよいと思いながら。
「父さん?何処に行くんですか?今日は結真の誕生日なんですよ?」
「・・・、急患が出たらしい。食事はお母さんと三人で行ってきなさい」
そう言われれば、そううだったなと、思いながらも、心は既に今の家族にはなかった。
彼女が死んでから2年が過ぎた頃、勤めていた病院の上司から、その上司の娘との見合いを進められ、何もかもが義務的にしか感じられなくなっていた私は、特に抵抗もする事無く、それを受け入れ、流されるまま結婚した。
彼女でなければだれでも同じ。
彼女でなければ意味がない。
彼女でなければ、私の心は満たされない。
そんな事を胸に抱きながら、義理と義務で子供は二人作った。
けれど、それだけ。
私の跡を継いでくれるのか、はたまた祖父の為なのか、医学の道を選んだ長男は、家族思いの良い人間に成長したようで、家族の誕生日を何よりも大切にしていた。
そんな彼の精神に付き合う義理は、私にはなかった。
今、自分の心にあるのは、最愛だった彼女と瓜二つの容姿を持ったあの女性の事。
家族など、どうでもよい。
正直、結真と言う娘が、本当に自分の子なのかも疑い深い所なのだから。
妻にした上司の娘が、隠れて男と密会しているのは結婚当初から知っている。
それを本人に言わなかったのは、束縛されるのが嫌だったからで、結婚生活自体がどうでも良かったからだともいえる。いや、それが嘘、偽りのない自分の本音だったのだろう。
その証拠に、今は非常に気分が和らいでいる。
長男の引き留める言葉に耳も傾けず、電話の男性から指定された所へ急ぎ着けば、そこは個人病院で、産科婦人科の病院だった。
慌ただしい声に怒号、幼い悲鳴。
それだけで大方の予想はついた。
案の定、呼び出され、告げられた言葉は、流産に伴うショック性の出血が止まらない、心肺も停止と言うものだった。
既に一人の輸血提供者が、輸血ギリギリのまで提供してくれたが、それでも足りないと言う。
もう少ししたら、輸血センターから輸血用の血液が来るので、どうかお願いしますと言われれば、拒否は出来なかった。
そして、特別にその患者と対面を許されれば、そこには27年前に喪った彼女がいた。いや、正しくは、そっくりな、蒼褪めた顔の若い女性が手術台に横たわっていた。
「すみません、本当はお知らせするつもりはなかったんです。吉乃ちゃんは、貴方にはもう既に新しい家族がいるからと。」
長すぎる追憶から私を連れ戻したのは、件の彼だった。
複雑そうでいて、それでも、何所か安堵をおぼえている彼の表情は、同性ながら美しいと思った。
「吉乃ちゃんは憶えてないかと思いますが、実は私、いえ、俺は彼女の幼馴染だった頃があるんです。その頃はまだ、彼女は菜々宮の親や姉が、自分に何をしているのかを知らなかったんでしょう。でもそんな偽りに満ちた日常は続かない。彼女は忽然と俺の前から姿を消し、俺の家は引っ越しました。それは彼女が5歳の時でした。」
再会した時には、自分の事は忘れていたのだと、彼は寂しげに微笑んだ。
二つ年下の、離れてみた事で、初めて守りたいと思った子は、自分の事との過去を忘れ、親族のトップの家の息子の妻となっていた。
それでも、彼女に逢えた事は嬉しかったし、単純に彼女は幸せなのだと思っていた。
が、実際は。
「事情を知りもしない綾橋の親族は、無意識の内に彼女の精神を蝕み、姉に至っては、彼女を言葉の暴力で命に関る発作を引き起こさせた。何も知ろうとはしなかったクセに、ですよ。好きで彼女は、吉乃ちゃんは、一人を選んだ訳じゃないのに。」
愛しい者を守れなかった、という、後悔とそれに対しての憤りに満ちた声は、彼女を誰よりも愛している、と、同意に取れた。
「三度目はありません。もし、三度目が明らかになった暁には、彼女が何と言おうが貴方から奪います。貴方は、これから死ぬ日まで永遠に後悔と償いに苛まれながら、彼女と暮らせばいい。彼女が謝ったからと言って、赦されたと思うなよ。」
それは紛れもない宣誓布告だった。
同じ女を愛したが故の、彼らしい、彼なりの。
そして、その彼から布告された男は。
「思わない・・・。一生を掛け、謝り続ける。」
こちらも彼なりの決意を胸に、短くもはっきりと言葉にしたらしく、既に瞳には動揺が見られなかった。
願わくば、真実そうでありますように。
高熱でうっすらと額に浮かぶ汗を、濡れタオルで拭ってやりながら、私は27年ぶりの再会を紘人君に感謝しつつ、最愛の彼女との我が子が目覚めるまで、付きっ切りで看病をし続けた。
パパは若干、紘人贔屓。
娘と香也乃が命なので。