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Si je tombe dans l'amour avec vous  作者: 篠宮 梢
第一幕:吉乃の入院と病
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♪、4 距離

暗いです。ひたすら暗いです。

 (神様、アナタは意地悪ですね・・・・。)


 退院した私を待っていたのは、以前の生活となんら変わり映えのない毎日と環境で、相変わらず私は一般社員で、あの人は社長で、たとえ会社ですれ違ったとしても、他人のフリ。

 偶然二人っきりになっても、甘い雰囲気にはならない。


 けど、今の私には皮肉だけれど、それが逆にありがたい。


 きっと今以上の関係になってしまったら、私は死ぬのが怖くなる。

 

 もう一度、愛などと言う愚かで醜悪な感情を知らない人形になってしまえば、辛くはない筈。


(大丈夫、大丈夫。私は大丈夫。愛なんて、知らない--。)


「吉乃、大丈夫か?なんかおかしいぞ?」


 鬱々と、自分の思考の淵に沈んでいた私は、心配して私に声をかけてきてくれた類の言葉に、「そんな事ないわよ」と、言いたかったのに、あまりの不安定さに、つい本音を口にしてしまっていた。


「ねぇ、類。私達、なんで別れちゃったのかな・・・。恋人じゃなかったけど、付き合ってたのに、約束までしてたのにね・・・。」


 ――ごくりッ 


 類が息を呑むのが判った。


(ごめんね、類。)


 人生をやり直せるのなら、やり直したい。

 でも、ゲームじゃないんだから、それは叶わない。


 悲しみと絶望にも似た、鬱々とした思考に沈んでいた私を、現実に引き戻してくれたのは懐かしい香りだった。


「なら、なら、やり直すか?お前さえ望めば、いつだって俺はお前を受け入れてやる余裕はある。俺だって、好きで別れた訳じゃない。けどな、お前はアイツと別れられるのか?」


 誰もいない休憩室。

 ほのかに香る煙草の匂い。


 たったそれだけなのに、私は昔を鮮明に思い出した。


 初めてキスした日、映画を見に行った日、照れながら、二人っきりで永遠を誓った日。


「るい、るいっ、類っ!!」


「吉乃、やめろ!!唇が切れるぞ。何かあったんだろ?ほら、話してみろ。誰にも言わないから。」


 唇を噛み、類に抱きつき我慢していた私を、類は呆気なく見破り、優しく背中を撫でてくれた。


「昼休みもそろそろ終わっちまうな。よし。久しぶりにあそこに飲みに行くか?」


 類は意見を聴いているようで、実際は類の中では店に行く事は決定事項。


 そんな些細な懐かしさも相まって、私は自然と頷き、約束のキスを交わした。


 そこに、なんら罪悪感は感じていなかった。



 仕事を定時に終わらせ、久しぶりに行った店は、あの頃と何も変わってなかった。

 

 唯一変わったところと言えば、毎日口喧嘩をしていたオーナーと、バイトの女の子が結婚して、可愛い子供がいた事。


「あ~っ!!吉乃さん、久っしぶりぃ~!!元気だった?」


「おい、仕事しないんだったら帰れ。冬子とうこ


「はっ?ざけんな。このクソ野郎。アタシは吉乃さんに逢いに来たんだよっ!!」


 そう言いながら、頬を真っ赤に染める冬子ちゃん。


(素直じゃないけど、可愛い。)


 吊り目で、私より6歳年下の冬子ちゃんは、喧嘩腰な口調で言い返しながら、大きなタッパーをカウンターテーブルに置いた。


 多分、オーナーの為に作った夕飯だろう。

 きっと、オーナーはなんだかんだ言いながら、それを食べると思う。


 それは、私と智ではありえない関係。


「まぁまぁ、冬子ちゃん、落ち着いて?オーナーは冬子ちゃんが大切なのよ、判ってあげて?」


「だな。コイツの愛情表現は、冬子ちゃん限定で無愛想なんだよ。愛されてるな?冬子ちゃん。」


 私と類にフォローされた冬子ちゃんは、不平不満をぶつぶつ並べ立てながらも、満更でもなさそうに笑みを浮かべた。


 ――カランッ・・・。


 グラスの中の氷が、音を立て奏で溶け、自身の存在をアピールする。


 その懸命な事さえ、今の私には欠落している。


「ところで吉乃さん、結婚したって聞いたんですけど、本当ですか?」


 ざわり、と、何かが総毛だったような気がした。

 多分、それは嫉妬だったのだと思う。


 小さな子供を抱きながら、私の近況を聞いてくる冬子ちゃんを、ほんの少し妬ましかったけれど、私はゆっくりと頷き、自嘲の笑みを浮かべた。


「結婚はしたわ。けど、夫婦間の営みは無いわ。これは内緒だけど、時期を見て離婚するつもり。残された時間くらい、自由に使いたいじゃない?」


 お酒の力を借り、口にした言葉は、涙に濡れていた。


(理由なんて、考えるまで無かったわね・・・。)


 だからこそ、今の私にはお酒と類が必要だった。


「怖いの、類。私、あと、1年位しか生きられないかもしれないんだって。なんで?どうして私なの?」


 スキルス胃癌の可能性があるだなんて、言えなかった。


 あの家族とは自分から絶縁し、智とは会話すらしていない。


 あの人には、私なんかより、キレイで健康な人が相応しい。


(子供も作れない私は、役立たずなのよ・・・。)



 悲しい。

 悔しい。

 寂しい--。


 いつから私はこんなにも弱くなってしまったのだろう。


「吉乃の悪い癖は、すぐに我慢するところだ。今日くらいは素直になれ。ほら、コレモ外して。」


 自然な動作で、あの結婚指輪を外され、バレッタも外された。


 たったそれだけ。

 たったそれだけなのに、私は素直に泣く事が出来た。


 肩を震わせ、想いのまま嗚咽を漏らし泣く私は、とても26歳の大人には見えなかっただろう。


 ただ、ただ、悲しくて、寂しくて。


 髪を優しく撫でてくれる手が、あの人じゃない事も、少しだけ哀しくて。


「なぁ、吉乃。お前はもう誰が一番好きか判ってるはずだ。だからそんなに辛いんだよ。仕方ないよな。好きなのに諦めなきゃなんないんだからさ。」


 私を諭すかの様に話す類は、私が何を思っているのかを全て理解した上で、傍にいてくれる。


 泣いて泣いて。

 漸く涙が止まった時、時間は既に深夜の2時を過ぎていた。


「お。やっと泣き止んだな。もう大丈夫か?今日も仕事だし、そろそろ帰るか。」


 ウィスキーグラスを片手に、穏やかに微笑む類を見上げ、私は涙を袖で拭って水を飲み干した。


 少しだけ吐き気がしたけど、それは知らないフリをした。


「今日はありがとう、類。夏紀ちゃんにもお礼言っといて。」


「あぁ、アイツも喜ぶよ。何しろ、俺と結婚する理由も吉乃が好きだからだしな。」


 類の苦り切った愚痴を笑って聞き流し、私達はそこで別れた。


 結婚指輪とバレッタを、昔の馴染みの店に忘れた事さえ気付かずに。



 家に辿り着いた時、リビングから灯りが漏れていたけど、私は何も考えずに家に入り、そして驚いた。


 リビングには、顔色の悪い智がいた。


 ビールを飲んだのか、リビングにはビールの缶が散乱していた。


「まだ起きてたんですか?珍しいですね・・・。」


 部屋中に散乱している缶を拾いながら、何気なく話し掛けた私は、違和感を感じて、指を見た。


(なに・・・?)


 おかしい。

 何かが足りない様な気がする。


 そして、はっとし、疑問はすぐに解けた。


 他ならぬあの人の言葉によって。


「お前こそ珍しいな、こんな時間まで。」


 確かにいつもより大分遅い帰宅時間だった。


「指輪もしないで、誰といた事やら・・・。」


(そうよ、指輪よっ!!)


 その言葉で、私は羽織っていた薄手のコートのポケットの中に手を入れたり、鞄の中を探ったりした。


 鞄を探った時、密かに役所から貰って、既に記入済みの離婚届が鞄の中でグシャグシャに丸まってしまったけど、その時の私は、とにかく指輪を優先して、探していた。


 そして、店に忘れた事を思い出した時、私は迷わなかった。


(確か、あの店はまだ開いてるはず・・・。)


 拾い集めていた缶を放置し、私は真夜中の外へと飛び出して行った。


  ごめんね。智・・・。



 あの時、一度でもアナタの浮かべた辛そうな表情を見ていれば、私は間違った判断を下す様な事をしなかったと思う。


 けど、その時の私は、指輪が心配で、まさかあの人が、智が、私を酷く切ない表情を浮かべて見つめている事も知らず、再び夜の街へと消えていった。

 

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