♪、46 崩壊の時。
義母・さくら視点
(あなた・・・、どうしてなの・・・。)
膨大なジュエリーデザイン画に紛れ、今、自分の机の領土の殆どを占めている写真は、愛し、愛されていると信じて疑わなった人の裏切りの瞬間の写真。
あの人と一緒に写っている女性は、自分との間に生まれた娘と同年代くらいの女性。
おかしいと思い始めたのは、あの子と吉乃さんの離婚が正式に決まったと、紘人君から聞かされた後くらいから。
日に日に遅くなる帰宅時間に並行するように、私を見なくなったあの人の瞳。
こんな事は結婚してから初めてだった。
お見合い当日でさえ、あの人は私を正面から見ていてくれたのに。
「奥様、旦那様からご伝言が。夕飯はいらないとのことです。」
怒りと悲しさと遣る瀬無さで、ふるふると身体を震えさせる私を、更なる境地に突き落す言葉を伝えに来たのは、吉乃さん付きだった、確か糸帆さんと言う名前だったメイド。
彼女は吉乃さんを敬愛していて、彼女が家を出て行った後などは、感情を失ったかの様のに、笑わず・泣かず・喚かず、人間を辞めてしまったかのようだった。
それが以前の彼女のように戻ったのは、10月の下旬の頃だった。
もっと詳しく言えば、あの子、――智と吉乃さんの結婚記念日で、最近では率先して執事の川幡さんと交互に、保育所に万菜と言う子供を送り迎えをしている。
「奥様・・・?」
「・・・っく、」
「・・・・・・!!」
私が涙を流し、何も言葉を発っさなかったのを不審に思ったのか、彼女は机の傍に近づき、落した視線の先で息を飲んだかのように、一瞬、呼吸を止めた。
動揺を必死で押し隠そうとする彼女の気配に、私は顔を上げて、彼女を正面から見据えた。
「あなた、知ってるのね?そうなんでしょ!!この人の事知ってるのね?」
「ぞ、存じません。私は、何も・・・」
「嘘おっしゃい!!」
ぐしゃりと、握りしめた写真が、私の右手の中で醜く歪んでいく。
そのよう椅子を震えながら、そして何故か悲しそうに見つめながら、彼女は尚も知らないと必死に言い張った。
「本当です。私は、その御方の事は、全く存じ上げません。」
「嘘よ。あなたは知っている筈だわ!!」
ガシャンと、机の上に置いてあったランプが、写真を薙ぎ払った時に一緒に落ちたらしく、独特な音を立て、割れた。
知っている筈なのだ。
彼女はこの女の正体を知っていて、それでも知らないと嘘をつき、隠している。
なのに、どうして・・・。
「とにかく、私は知りませんので、」
知らない、見た事もないと繰り返す彼女に激しい怒りが湧きたった時、新たな人物が割って入った。
「糸帆さん、ここでしたか。」
「紘人さん」
硬質な印象を与える銀縁の眼鏡を掛け、薄手のコートを羽織り、携帯を左肩と左耳に挟んだ青年、――紘人君が、糸帆さんを見つけるなり、まるで私から庇う様に自分の胸元に引き寄せた。
「失礼、彼女をお借りしても?」
ちらりと床に落ちている何枚もの写真に目を落した紘人君は、苦り切った表情を一種浮かべた後、明かに軽蔑と侮蔑に満ちた眼差しを私にむけてきた。
そして。
「堕ちましたね、綾橋の総帥でもあらせられる方の奥様とは、到底思えません。本質も見抜けなくなるとは・・・、あなた方はこのままでは、本当に守るべき人達を見失ってしまいますよ。糸帆さん、行きましょう。こんな処で貴重な時間を潰していては、奴らに逃げられてしまう。」
本家に対して、反旗を翻したとも思える彼の言動に、更に頭に血を昇らせ掛けた時、彼は止めを刺すように私を鼻先で嗤った。
「所詮、貴女もこの腐りきった綾橋の傀儡ですか。写真の彼女の本質をも見抜けずに、何が【綾橋を変えてみせる】ですか。貴方も跡取りの御曹司もそうですから、あの方は壊れた。いえ、自由を求め、解放への道を自ら切り開き、飛び立ったんです。」
冴え冴えとした鋭い眼光は、私を、この家を、確かに嫌悪していた。
「あぁ、利依さんとの婚約の件ですが、辞退させて頂きます。私も今日限り、こちらのお屋敷には足を運びませんので。では糸帆さん、行きましょうか。」
荷物は運び終えましたので、と言う彼の言葉で、漸く家の中がいつもと少し違う事に気がついた。
窓から眼下を見下ろせば、海藤グループの引っ越し業者が、次々と段ボールを積載している所だった。
それを意味しているのは・・・。
「あの荷物は・・・?」
「この屋敷に不必要なものです。お気になさらずに。もうこのお屋敷に戻って来る事はありませんので」
紘人君のその言葉に、ガラガラと何所かで音を立て、なにかが崩れ、壊れていくような気がした。
そしてそれは間違いなく、何かが壊れた瞬間でもあった。
最後に紘人君は本当に忌々しげに私を見て、糸帆さんの手をぎゅっと握ると、荒々しい足取りで出て行った。
この時、感情に左右される事無く、真実を見極め、彼の忠告に耳を向けていれば、違う未来が待っていたのに、私は、私達は、誤った道を選んでしまった。
それが悪魔の様な彼女の思惑とも知らずに・・・・・。
新たに創作した話なので、前作からのお付き合いの方々には、きっと判って頂けると思います。
どうして彼女があそこで~したのかと言う事が。
まあ、補完です、補完。