♪、44 幼い涙と悲鳴
超短いです。
すみません。
轟音を事務室中に響かせ、事務室に乱入してきたのは、いつもは悪戯ばかりする男の子だった。
その男の子は私の姿を認めるなり、焦った表情の中にも安堵した表情を浮かべ、私の傍に駆け寄って来るなり、私の着ていたピンク色のエプロンを引っ張った。
「どうしたの?速人君」
「たいへんなんだよッ、れーかちゃんと、まなちゃんが!!」
その言葉に、私は何があったのかを悟った。
でも、まだそれは確定ではない。
それを確実にする為に、私は平常心を心掛け、ソファーから立ち上がり、速人君と目線を合わせる為、腰を低くした。
「本当に、綟花ちゃんと万菜ちゃんだけなの?」
「そうだよ、二人だけだってば。」
私の慎重な問い掛けに、速人君は焦れたのか、大きな声で叫んだ。
その速人君の大きな声に、私は舌打ちしたくなった。
綟花ちゃんと万菜ちゃんの二人は、お昼寝のあとは比較的情緒不安定で、寝起きは特に男性保育士が傍に
いるだけで、酷い時には痙攣を引き起こす。
私はそれを知っていたのに、何も対処していなかった。
これは立派な職務怠慢だ。
「せんせい、早くきてよ。ほかのせんせいじゃダメなんだ。せんせいじゃないと」
「そうよね、早く行かないとね。速人君、知らせてくれてありがとう。――すみません、ちょっと失礼します。」
速人君を抱きあげ、侑里音さん達に頭を少しだけ下げ、お昼寝ルームへと急いだ。
本来なら、来客の人達を放っておく事は許されない。
だけど、私を頼ってきた速人君を無視する訳にはいかない。
無視してしまえば、小さくも柔らかいその心を傷つけてしまう。
そんな事より、今はとにかくお昼寝ルームに急ぐしかなかった。
そして、急いで歩く事3分。
漸く辿り着いたお昼寝ルームでは、何人かの先生達が戸惑い、おろおろしていた。
その中には所長もいて、万菜ちゃんは所長に、綟花ちゃんは小西先生にそれぞれあやされていた。
その光景を後悔の念で見ていた私は、抱きかかえていた速人君に肩をトンっと、軽く叩かれた事で我に還り、所長達の傍に急ぎ足で近付き、そこで速人君を降ろした。
「れーか、まな、すみれ先生つれて来たぞ!!」
私から降ろされた速人君は、泣いて手がつけられない綟花ちゃんと万菜ちゃんに負けないくらいの声でそう言い放ち、指を私の方へとさした。
その速人君の声にいち早く反応したのは、先生達より、泣いている女の子の二人だった。
二人は涙で潤んだ瞳で私の姿を認めるなり、腕を精一杯伸ばし走り寄り、しがみつくように抱きついてきた。
私に抱きついた二人は、しくしく、えぐえぐと、小さな嗚咽を漏らしながらも、その小さな身体を震えさせていた。
体はお昼寝の後だと言うのに、とても冷たく、冷え切っていた。
そんな二人を温めるように私はその場に膝をつき、二人の背中に腕を回し、背中を撫で下ろしつつ、小さく囁いた。
「大丈夫、大丈夫よ。ここにはあなた達を苦しめるヒトはいないわ。だいじょうぶなのよ。だいじょうぶ。」
「っママ、いない?」
「れーかにへんなコトする、おとこのヒトいない?」
(・・・・・っ、)
二人の言葉に、一瞬、忌まわしき過去の扉が開きかけた。
でも、それを無理矢理意思の力で封じ込め、殊更優しい声を心掛け、二人だけに囁いた。
「いないわ、ここにはあなた達をいじめるヒトはいない。だから、泣かなくても良いのよ・・・。」
「「ほんとう?」」
「えぇ。」
二人の声にしっかり頷き、力強く微笑む。
そうすれば二人も泣き止み、顔を上げた。
二人の顔は泣き過ぎたせいか頬が赤かったけど、それ以外はいつものように愛らしかった。
「いい笑顔ね。さぁ、お布団を片付けて、おやつにしましょうか。遠足も近いから、泣いてられないわよ」
遠足、と言う言葉に、綟花ちゃんと万菜ちゃんの二人は、お互い顔を見合わせ、声を揃えて喜んだ。
「流石ね、すみれ先生」
「所長・・・」
そんな事無いですよ、とは言わなかった。
言えなかった。
だって、二人は私と同じだから・・・。
元気良く布団を片付ける綟花ちゃんと万菜ちゃんの姿を見ていた私が、侑里音さん達の事を思い出したのは、園児達におやつを配り終えた後の事だった。
うーん、真っ暗なトンネルが・・・。