♪、41 事務室で・・・③
更新・・・。
視線で人が殺せるのなら、私は確かにこの時殺されていただろう。
「あら、すみれ先生、どうしたの?そんな怯えたような顔なんかしちゃって。」
表情を固まらせたまま、園庭を臨める窓を見つめていた私を気にかけてくれたらしい所長が、私と同じ方に視線を滑らせ、そして、納得した風に頷いた。
「知り合いなのね・・・?すみれ先生」
「・・・っ、」
「言わなくても判るわ。でもね、すみれ先生」
――貴女は今、どんな立場にいるか、立っているか解ってる・・・?
その所長の忠告にも等しい言葉に、私は乱れかかっていた心を急いで組み立て直した。
(情けないわ・・・。)
覚悟をしたはずだったのに、こんなにも簡単に心を乱されるだなんて。
(何のために見た目を変えたと思ってるの?)
髪はバッサリと切り栗色に染め、化粧も以前より濃いめにして、度入りのカラーコンタクト(翠)にした。服装も以前とは百八十度違うモノを身に着けている。
ネイルだってしているのだから、判る筈がない。
(大丈夫、大丈夫。私は強い、平気。)
深呼吸を数回繰り返し、表情を切り替え、窓を開けるべく椅子から立ち上がった。
ゆっくりと、一歩一歩窓辺に近寄り、カラカラと音を奏で窓を開け、にっこりと微笑んで見せる。
「こんにちは。良いお天気ですね。見学の方ですか?それとも転入希望の方でしょうか」
年相応に見えるように浮かべた微笑みは、皮肉にも暗黒の子供時代に身につけた遺物。
穏やかに、誰からにでも好かれるように。
これも立派な自己防衛術だと思えたのも、あの家で学んだこと。
「すみれ先生、その方達は転入希望の方々ですよ」
斡嶋先生の「方達」と言う言葉に、私は初めて侑里音さんの他にも、人がいる事に気付いた。
落ち着いて良く見れば、確かに他にも人がいた。
しかもその内の二人は、私の良く知る人達だった。
一人は侑里音さんの弟で弁護士の紘人さん。
そしてもう一人は、不安な瞳をしたあやめちゃん。
そのあやめちゃんの瞳は、自分を否定しないで欲しいと訴えていた。
だけど。
「あら、お嬢ちゃんは確か、この間、逢ったわね。」
「お姉ちゃ、」
「あらあら、何を泣いているの?」
ふんわりとした、温かみのある微笑みをあやめちゃんに向けた私は、そのまますばるちゃんの方を向き、飲み物を淹れてくれるように頼んだ。
11月ともなれば、いくら温暖化著しいとはいえ、東京でも肌寒く感じる事だろう。
「外はお寒いでしょうからお入り下さい」
「・・・、どうして・・・?」
その侑里音さんの呟きを笑顔でかわし、四人を事務室に招き入れた。
転入ともなれば、その手続きのなんだかんだの仕事は、事務である私と、経営である所長の仕事。
すばるちゃんが飲み物をそれぞれの前に置くのを確認してから、私は改めて口を開いた。
「初めまして、【ひなた保育所】の事務員、平と申します。この度はご転入とお伺致しましたが?」
ノートを開き、手許の書類を捲る。
「転入の理由をお話願えませんか」
一言転入したいと言っても、こちらも一応商売である。
慈善事業で経営している訳ではないから、希望者全員を受け入れられる訳ではない。
ましてやここの保育所は、万年保育士の人員不足である。
私の流れるような口調に、それまで黙っていた侑里音さんは、突如怒りが爆発したように大きな声を出した。
「良くも図々しく初めましてだなんて、私達の前に顔が出せたものねッ、この裏切り者、恥知らず!!」
怒りと恨みが綯い交ぜになった声と瞳に、私は僅かに心を軋ませたけど、それは表には出さず、首を傾げた。
ここで動揺してしまっては、全てが水泡に帰す。
最後まで油断は出来ない。
「あの、私、貴女方とは初対面の筈ですが・・・?そちらのお嬢さんは二度目ですが・・・。」
「嘘よ、だって・・・っ!!」
激昂した侑里音さんがソファーから立ち上がりかけた時、それを制止したのは、何と、あのあやめちゃんだった。
「やめて、ママ。せんせいはちがうよ。だって、せんせいの目、みどりだもん。お姉ちゃんの目はまっ黒だったし、せんせいには、赤ちゃんもいるもん。」
必死なあやめちゃんのその声で、私はあやめちゃんが私の事を知っているのに気付き、あやふやに微笑んだ。
「ありがとう、あやめちゃん。先生はいじめられてないから大丈夫よ。優しい良い子ね?」
そう言うと、あやめちゃんは大きな瞳から涙を零した。
ウルウルとしているその大きく黒い瞳は、宝石より、夜空に輝いている星達よりも美しく、綺麗だった。
移転前の作品を知っている方からすれば、大分話が変わっている事と思いますが、申し訳ありません。
ですが、重要な大筋は決して変えませんのでご勘弁下さい。