♪、32 新しい生活①
ご都合主義かもしれないですね・・・。
退院当日、私は小さな荷物を持ち、バッサリと短く切り揃えた髪を秋風に靡かせ、晴れやかな気分と足取りで退院した。
その私の後ろ姿を、二人の人物が、思わしげな表情で見送っていた。
「先生、あの子は本島に良くなったんでしょうか、それに、本当に病気だったんでしょうか・・・。」
そう呟いたのは、私の担当看護師だった関口さん。
関口さんは40代には見えないくらい若くて、良く私を気にかけてくれていた。
その関口さんは、本来は産科・婦人科の看護師だったのだけれど、私の妊娠が分かった日から、特別に精神内科に出向してきた。
それも、今日で終わり。
不安げな関口さんの言葉をどう捉えたのか、関口さんの横に並び立っていた男性医師の北原は、私の後ろ姿を見ながら、言葉を紡いだ。
「さぁね。でもこれだけは言えるよ。あの子は母親になった事で、驚くほど前向きになった。そして、無理をせず、年齢に見合う笑顔が増えた。心の病はそれぞれが一つとして同じモノはない。きっと、あの子はあの子なりの闇があったんだと思うよ。でも、その闇は新しい命が宿った事で抑えられた。多分、大丈夫だよ。あの子はもう、狂わない・・・。」
願わくば、あの子に幸福な温かな日々を、と、私を温かな眼差しで見送っていてくれた二人。
その二人に、その残酷な報せが入ったのは、奇しくもその日の事だった。
時は緩やかに流れ、11月に入り、私は離婚届を役所に提出した。
それは驚くほどあっさりと受理され、それに伴い、紘人さんの迅速な対応と働き、そして紘人さんが熾烈な論争に競り勝ってくれたお陰で、私は特別に戸籍変更が認められ、(最終的には裁判所の判断だったけれど。)綾橋でもなく、菜々宮でもなく、『平 吉乃』になれた。
「これからは二人で生きていこうね」
私のこの呟きが聞こえたのか、窓口で離婚届を受理してくれた人が、私の言動を見て、華やかな微笑みを浮かべ、そして、「おめでとうございます」と言って、真新しい母子手帳をくれた。
その母子手帳に、ネームペンで『平 吉乃』と書けば、本当に新しい自分になれたんだという嬉しい気持ちと、少しだけの罪悪感が湧いた。
平は、私の死んだ母である香也乃の旧姓で、つまり、私は死んだ母の旧姓を勝手に貰い、なおかつ、私は智の為と思いつつ、結局は自分の為に、今は胎動も感じられない愛しい我が子から、『父親』を奪った。
もう、二度と逢う事もないのだから、関係のない人になるのだから、と。
いつかはそれを子供に責められる日が来るとは思うけど、だけど今は――。
「ありがとうございました」
ネームペンを返し、名前を書いた母子手帳を鞄に入れ、頭を深々と下げれば、私の対応をしてくれた役所の職員は、「お気をつけて」と言って、作りモノではない、本物の笑みを見せてくれた。
それに少しだけ心が癒やされた私は、役所を出て、今現在住んでいる家へと帰宅を急いだ。
妊娠が判明した瞬間、私は自分でも驚くほど変わったと思う。
くよくよ悩みがちだった気分は晴れ、性格は前向きになり、体調も良くなった。
一度、病歴を聞かれ、素直に答えた私に、病院側は私の身体を隅から隅まで検査し、【心配なし・異常なし】という結果を私に齎してくれた。
それに少しだけ疑問を感じ、「私の身体はぼろぼろで、出産は望めても、長生きは出来ないんでは?」と、思い切って訪ねてみれば、「そんな事はありません」と言って、それでも、「今後の為にも、念のために定期検査や様子観察は続けましょう」と、私に言葉を返した。
その言葉に、私は嬉しくて泣いてしまった。
ずっと、子供には恵まれても、命には限りがあり、産めないかもしれない、身体がぼろぼろで出産に耐えられないかもしれないと思っていたから。
それが否定された。
こんなに嬉しい事は未だ嘗てないと思っていた私に、さらに嬉しい事は続いた。