♪、31 芽生えた命
更新。
誰もいない、静かで、穏やかに流れる時間。
でも温かさは感じられず、感じるのは寒さだけ。
でも、それも明日で終わり。
いよいよ、明日。
明日になれば私はこの鉄筋コンクリート製の、寒く、閉ざされた鳥籠から、自由な外へと出て行ける。
精神科病棟に放り込まれて、約二ヶ月。
季節は真夏だった8月から、色彩豊かな秋・10月の下旬になっていた。
回診に来てくれる先生達は、日に日に明るくなっていく私を見て安心したのか、はたまた偶然だったのか、とりあえずその話を私にしてくれた時、私は驚き、涙を流してしまった。
先生達はそんな私を笑いもせず、笑顔で「おめでとう」と、祝ってくれた。
嬉しかったのはそれだけじゃない。
先生達は、「お祝いと、君の努力だよ」と言って、今朝の診察で私の退院を許可してくれ、辛く、寂しい入院生活を耐え抜いた事を褒めてくれた。
「因果なモノよね」
そんな言葉と共に、そっと、まだ膨らみも目立たないお腹を慈しむように撫でるようになって、一ヶ月弱。
妊娠を聞かされた時、私がまず一番最初にした事は、紘人さんを通して、綾橋のお義父様を内々に病院へ呼び出し、妊娠の報告と、今度こそ本当に離婚する為の話し合いをする為の事前の話し合いだった。
『言わなくて良い・・・。今まで済まなかったね。』
言い淀む私を見て、お義父様は苦笑し、一枚の離婚届をスーツの内ポケットから取り出し、私の前に差し出した。
それを受け取り、紘人さんとお義父様のいる前で開けば、既に智の署名と捺印が済まされており、あとは私が記入し、役所の窓口に提出するだけになっていた。
『息子が、智が直筆でサインしたものだ。今の息子は、もう以前の息子ではない。君が知っている息子は消えてしまった・・・。』
その言葉に驚き、何も言えない私に、お義父様は、この家から離れ、楽に、むしろ、楽になって、自由になって欲しいと、疲労と悲しげな笑みを湛えた表情で、年下の不出来な嫁だった私に頭を下げ、願った。
そんなお義父様を目にしてしまえば、私は何も言えず、頷くしかなかった。
(あぁ、私はこんなにも思われ、愛されていた・・・。)
短く、歪な夫婦だったけれど。
いたらなく、そそっかしい義娘だったけれど。
それでも確かに、お義父様は私を家族として愛してくれていた。
その想いを無碍には出来ないし、私も後には引けないし、戻るつもりもない。
自分の為と、そして何より、私が初めて心から愛したあの人の為に。
私は智に、温かく、穏やかな幸せと、家庭を作ってあげたかった。
なのに、私はその相手である智に、「疲れた」と言わせてしまった。
そんな私に、智の傍にいる資格はない。
どれだけ出張や会議が続いても、決して不満や疲れを見せなかった智。
詰っても、勝手に家出し、入院した私を責める事なく、迎え入れてくれた優しい智。
その智が疲れたというのならば、智を『私』と言う重い枷から解放してあげるのが、智の幸せの為だろう。
拒否されたと思ったあの日は、暗い絶望に支配され、心はドロドロになったけれど。
でも、今は。
(私は貴女の妻ではなくなるけど。)
それでも幸せになって欲しいとは願い続ける事は出来るし、願い続ける。
『お義父様、今までありがとうございました。この子が産まれたら、一度、逢いに来て下さい。今日まで本当にありがとうございました。私はお義父様の娘になれ、智さんの妻になれ、幸せでした』
別れを決めたからこそ、代わりに得た新たな命。
私の決意を込めた言葉に、お義父様は一切の躊躇いも見せずに涙を流し、それでも嬉しそうに「幸せにおなり」と、言ってくれ、帰っていった。
(本当に私は幸せだった・・・。)
そしてこれからも私は幸せだろう。
私はお義父様と交わしたその約束の為に、そうあろうと、前を向いて歩いて行く事を決めた。