♪、30 目覚めと行動②
紘人視点
話したい事と、お願いしたい事があるから、会いに来て。と、俺の携帯に彼女から連絡が来たのは、彼女が強制入院させられた翌日だった。
その際に持ってきて。と、頼まれたのは主に三つ。
一つは預金などの通帳や、印鑑。
二つ目は衣類。
そして三つ目は、彼女、――奥様の出生に関る重要な書類。
それらを手早くまとめ(綾橋家の使用人には、止めてくれと泣き縋られたが。)、依頼人である奥様こと、吉乃さんに会いに行ったのは、その日の午後。
「良く来てくれたわ。ありがとう。」
ふんわりあどけなく微笑む彼女には、影や悲しみの色もなく、純粋にきらきらと輝いていた。
「奥様、――いえ、吉乃さん、本当によろしいんですか?」
「えぇ、良いの。漸く、漸く私は自由になれるんだから。あの忌まわしき家から解放されるのだから」
俺の問い掛けに、そう嬉しそうに微笑み、髪を切って、色を染め、ストレートパーマをかけた彼女は、もう俺の知っている弱々しい彼女ではなかった。
それに少しばかりの寂しさを感じている俺に椅子をすすめた彼女は、俺から受け取ったA4の茶封筒から数枚の書類を出し、ふっ、と微笑んで、「不思議ね・・・」と、小さく呟いた。
その呟きに俺が顔を向ければ、彼女は朗らかに説明してくれた。
「ずっと家族は別にいるとは思ってはいたけれど、まさか先生が、建川先生と、その最初の奥様が、私の実の両親だっただなんてね・・・。ほんとに、ヒトの縁って不思議ね・・・。」
笑えるわ、と言いながら、彼女の表情は少しだけ苦しそうだった。
「新しい苗字は『平』にしようと思ってるの。だから・・・、」
「えぇ。絶対に認めさせ、勝って、貴女をあの家から解放させて差し上げます。」
いつにない俺の断言に、彼女は表情を和らげ。
「ありがとう、紘人さん」
と、涙をほろりと一つ流した。
その涙も、恐らくは無意識の涙だったのだろう。
事実、彼女はその一粒しか涙を流さなかった。
それを見た俺は、何がなんでも彼女の為に働こうと決めた。
それからの二ヶ月は病院と菜々宮家、そして司法機関の間を行ったり来たりを繰り返し、忙しくしていた。
そんな最中だった。
その報告を聞いたのは。
彼女は嬉しそうに微笑み、本を見ては、にこにこしていた。
幸せになって欲しい。
そう願ったのは恐らく俺だけではないだろう。
なのに。
愛と運命を司る神が、何処までも彼女に対し残酷で、無慈悲なのだと思い知らされたのは、奇しくも身も凍るような雪の降りしきる、聖夜間近の昼過ぎだった。
更新。