♪、2 キス
短いですけど、更新。
まだ、ダメよ・・・。
まだこちらに来てはダメよ・・・。
私の愛しい---。
生と死の空間で彷徨っていた私を現実に連れ戻してくれたのは、どこかやさしく、慈愛に満ちた知らない声と、頬に感じた痛みだった。
その頬の痛みに目を開くと、そこには何故かアノ人達がいた。
(ど、どうして、いるのよ!!)
いたのは、菜々宮の母と姉。
「吉乃・・・?吉乃!!良かった。あなた、智さん、吉乃が目を醒ましましたわ。」
恐怖で凍りついた私の身体を、母は涙で潤んだ瞳を細め、嬉しげに微笑んで見せ、私の身体を起こし、ベットも起こし、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
傍から見れば、美しい家族愛に見えるこの光景。
私はその光景を守る為に、固まった表情筋を動かし、微笑んで見せた。
「お母さん、私、少し寝過ぎちゃった?」
掠れた小さな声は、母と姉の気に召さなかった様だった。
「吉乃、アンタ憶えてないの?アンタはね、過労で倒れたのよ。智さんが病院に連れてきてくれなかったら、危なかったのよ!?」
姉は私の胸元を、ぐっ、と、力を込め鷲掴み、揺さぶった。
「い、痛いよ、翠ねぇ。分かったから放してよ。」
いつもこうだ。
諦めながら、抵抗しつつもそのまま揺さぶられていた私は、逸らした視線の先で、初めて戸籍上の夫と目があった。
智は何故か酷く憔悴していて、私が自分を見ている事に気付くと、顔を歪め、手を伸ばしてきた。
後から思いだせば、私はこの時初めて、智の顔を見たと思う。
不安そうに歪められた顔は、確かに私を案じていてくれていた。
静に、ねっとりと絡み合う視線。
結婚して、恐らく初めて絡み合った視線。
そしてそれは、私に戸惑いと熱を生じさせた。
「あれ?吉乃、アンタ熱でもあるの?顔が真っ赤よ?」
「ふぇっ!?」
(そ、そんな・・・。)
私は姉の言葉を否定しながら、まるで智の視線から逃げるかのように布団を被った。
だけど、病院の布団は薄くて頼りない。
私はいとも容易く姉に布団を捲られ、姉を恨んだ。
返して、と、繋がる筈だった言葉は、あっさりと固まってしまった。
(どうして、キスされてるの!?)
すっかり混乱してしまっていた私は、抵抗す事さえ忘れ、智から与えられた、熱く、性急なキスに溺れ、気がついた時には胸元が肌蹴られ、ベットの上で羞恥に悶えていた。
キスに溺れながらも、それとなく家族の姿を探したけど、家族の姿は既になく、病室には私の乱れた吐息だけが甘く響く。
「ん・・・、ゃっ・・・。」
思考がついていかない。
首筋に感じた痛みと、ちゅっと、濡れた音で、更に何も考えられなくなった。
「吉乃、吉乃・・・っ。」
フロントホックのブラジャーに、大きな手が掛かった時、甘く、乱れた空気を邪魔するかのように、病院に一人の女性が現れた。
「智さん、迎えに来ちゃった。」
艶やかで、自信に満ちた、私とは正反対の魅力的な女性の登場で、私は瞬時に正気に立ち返っていた。
乱された病衣を手早く直し、ベットから降りる。
淫らなこの身体が、堪らなく嫌だった。
「ちょっとトイレに行ってきます。」
「吉乃、戻ってこいよ?」
「・・・・・・・・・。」
(アナタは何処まで私を苦しめるの・・・?)
私が返事をしない事に、何かを察知したのか、智は私と目を合せ、念を押すように「行ってこい」と言いながら、肩を軽く叩いた。
病室から出た私は、当てもなくなく院内を歩いた。
(どうして抵抗しなかったの?)
答えなら解っていた。
だけど、考えずにはいられなかった。
歩きながら考えているのは、つい先程までの事。
キスされた瞬間は驚きで、段々と深くなっていくキスは、女としての本能が働いてしまったのか、浅ましくも止められなかった。
抵抗できなかったのは嬉しかったから。
(なんだ、嬉しかったの?私は。あんなに嫌だったのに・・・、あんなに・・・。)
報われない恋はしないと、あの時に誓っていたというのに。
自分で自分が情けなくなってくる。
ぼろぼろと勝手に溢れてくる涙で、前が見えなくなってきた私に、神様は私に更なる試練を科そうとしていた。
だからだろうか。
私が気付かない内に智につけられ、首筋に咲いた紅い花は、励ますかのように中々消えなかった。