♪、28 あふれた闇、壊れた心②
次回から4章になります。
(どうして抱きしめてくれないの?
私はそんなにいらない子供だったの?)
私が抱き着いてから、何も言わず、抱きしめ返してもくれない七海を、完全に顔しか知らない母と重ねていたいた私は、七海が私にどう反応していいか困惑しているとも知らずに、まるで幼い子供の様にどうしてかと、しつこく問い掛けていた。
「ねぇ、よしののこと、きらいになったの?だからよしののことみないの?どうしたら、やさしくわらってくれるの?ぎゅっ、て、してくれるの?」
--ねぇ、お願いだから、答えて。
私の執拗で幼稚な言動に、今まで困惑していた七海は、ようやく私が尋常ではないと判断したのか、それを確認すべく、智と部長に意見を求めた。
「ちょっ、ねぇ、コレってヤバいんじゃないの?吉乃、アタシ達の事、誰かと間違ってんじゃない?」
(よしの、まちがってないもん、まちがってるのは、ママたちだもん。)
そんな意味を込め、更に七海の胸に顔を埋めれば、ようやく優しく、労わる様に七海が抱きしめ返してくれたので、壊れた私の心は安心した。
(やっぱり、ママはやさしい。ママはいそがしいんだから、メイワクかけちゃダメなのに。)
でも、嬉しくて。
ほっ、と、安堵の溜め息をついた時、その声は聞こえた。
「吉乃?」
いつも、私を苦しめる、悪魔の様な男の声。
その時の私には、智の全ては、あの忌々しい男となり変っていた。
「いやっ!!よしのにサワラナイでっ、」
いつも、いつも。
あんなに嫌だって言ってるのに。
「こんどよしのにさわったら、おまわりさんにいうんだから!!」
こうでも言わないと、あの男は止めない。
実際は言ったところで、あの男は止めなかった。
何故なら、当時の私はあの人の皮を被っていた人達に、学校以外の外出を禁じられ、半ば監禁されていたので、警察に助けを求めるのは不可能だった。
過去の記憶が蘇り、智に捨てられたと激しく思い込んだ壊れた私は、七海以外の人間を「気持ち悪い人達」と認識した。
どうしてこんな人たちが、ここにいるのかが判らない。
七海に縋りながら、あの男と重なった智の手を打ち払った私は、智をあの憎い男と認識し、激しく拒絶した。
その拒否は、智が抱いていた闇を抉り、知らず知らず傷付けていた。
「・・らい、きらい、きらいっ、みんなだいっきらい。」
いじわるなおねえちゃんも、いつもぶつおかあさまも、へんなことばっかりするおとうさまも。
よしのの本当のパパとママは、きっと何処かにいる。
よしの、きいたもん。
かせいふのひとたちが、よしのがここのウチのこじゃないって。
――あら、吉乃。何をそんなに怯えてるの?
ママは最初から吉乃の傍に居たじゃないの。
不意に聞こえてきた声に、私は驚き、声を追った。すると、一人の女性が艶やかに微笑んでいた。
――なぁ~に?そんな顔しちゃって。
え?
ママと一緒にいたいの?
声にも出してないのに、その女性は、私の心を読み取り、勝手に一方的な会話を続けていく。
――ママは嬉しいけど、我慢してくれる?
ママは嬉しいんだけど、きっと先生は泣いちゃうから。
(先生って、誰?)
心に浮かんだ疑問は、直ぐに答えが返ってきた。
――先生は先生よ。ママの恋人で、旦那さんで、吉乃のお父さん、パパよ。
先生はね、お医者様のクセに泣き虫なのよ?それに意地っ張りで、優しくて、笑顔が素敵なの。
って、あら、吉乃ったら、また泣く気?本当に先生にそっくりね。
勝手に溢れ出した涙を拭いもせず、ただ茫然としていた私の額をビシっ、と弾き、ころころと明るく笑うその女性。
――ねぇ、吉乃。
吉乃はなんでこの人と結婚したの?
ふわりと微笑んだ女性が、ある男性を指差した。
私は本能的に、判らない、と、頭を振って応えた。
「しらない、しらない。よしの、そんなヒト、しらないもん。」
――頑固ねぇ。
でも、子供の貴女には判らなくても、大人のアナタになら判ってるわよね?
真っ直ぐと突き刺さってくる視線に、私はハッとなり、自分を顧みた。
私はいつの間にか幼い私と、成長した今の私に別れ、幼い私は、女性のもとへ駆け寄り、泣きついた。
その時、七海は、急に黙り込み、失神した私の身体を慌てて支えながらも、智に噛みついていた。
勿論、その時の私に意識はなかった。
苦しそうに繰り返される浅い呼吸に、私の身体に滝のように流れ落ちる脂汗。
顔色は蒼白く、脈も飛び飛び。
「これだから男はっ!!何が疲れたよ。女一人も守れない癖に、幸せに出来もしない癖に、偉そうなこと言って。それで良くまぁ隠し子やら、浮気やら。そんなんで良く社長なんてしてられるわね。見なさいよ、吉乃はこんなに痩せてるのよ?それに気付かないなんて、アンタなんて、夫失格よ。」
七海の言葉の氷の刃は、智の傷を抉り、尚且つ、そこに塩を刷り込むように容赦がなかった。
でも、智は、その時、小さく呟いていた。「あの女の子供は、俺の子ではない」と。
しかし、その言葉は七海の耳には届いては無かった。
「もし、吉乃が目覚めて、自分が忘れられていても、それは全部自己責任になるんだからね。」
七海はそれだけ言うと、智と部長を一切無視した。
*
ふわふわ浮かんでいた人は、また、ころり、と、表情を変えた。まるでそれが自分の事の様に。
――あら、吉乃、あなた良いお友達持ったじゃない。あの子なら、あなたを解ってくれるし、心の闇も理解してくれるわ。
(え?私の、心の闇?)
――そうよ。あなたの心の闇と、彼女の闇はとても似てるもの。だから、焦らなくても、強がらなくても大丈夫なのよ。
その神々しい程の笑顔に、私は泣きたくなった。
でも、今、私の目の前にいる彼女も、どこか仄暗い色を瞳に浮かべていた。
その瞳に暫く魅入られていた私は。
――ぱちん。
と、突然指が鳴らされた音で覚醒し、かと思えば、傍にいたはずの智の姿が消えていた。
――ねぇ、アナタはどうしたいの?全てを忘れたいと願うの?なら、その願い、私が叶えてあげるわよ?
辛いのは苦しいものね?
そう囁く彼女は、誘いかけるように優しく微笑み、幼い姿の私を優しく包み込む。
私は彼女の言葉に揺れていた。
(楽になれるの?あの人を忘れられるの?もう、苦しい思いをしなくて済むの?)
私はその甘い誘惑に勝てず、彼女に手を伸ばそうとした。
でも。
――愛してる・・・。
あの人の、言葉が、声が、震えるような、泣きそうな声が、した。聞こえた。
それはほんの僅かな躊躇いだった。
時間にすれば、一秒にも満たない程の。
でも、それが私の出して、望んだ答えだったのかもしれない。
その答えが嬉しかったのか、私と瓜二つな女性は嬉しそうに笑った。
――ふふふ、あはは。あ~ぁ。おっかしい~♪
本当に可笑しそうに、愉快そうに笑うその人を見て、私は少し不機嫌になった。
(こっちはあんなに悩んだのに・・・)
――吉乃、判ってるとは思うけど、私はもう死んでいるのよ?だから、最初からそんな魔法使いみたいな事も出来ないし、殺してもあげられない。
でも、死者だからこそ守らなければならない制約や、出来る事もあるの。
それに、私には願いがあるの・・・。その願いを叶える為、今、私はあなたの前に居るのよ。
薄く微笑みながら、それでも柔らかく、強く。
徐々に透き通っていくその人。
その人に手を伸ばし、抱きしめたいのに、私の体は、金縛りにあったかのように動かなかった。
――吉乃、私の愛する、たった一人の娘。
あなたは生きて幸せになりなさい。
自分の為、そして何より―――の為に・・・。
もう、最後の方はあまり聞こえなかった。
もっと一緒にいたかったのに。
頭は拒否しているのに、それを許さないとばかりに、何かかが私を覚醒させようと、現実世界に導こうとする。
――ふわり。
と、浮上する意識を最後に、温かく抱きしめられた事や、交わした会話の記憶は、病室で目を覚ました時には消えていた。




