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Si je tombe dans l'amour avec vous  作者: 篠宮 梢
第二幕:嵐の予兆
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♪、12 治癒②

更新しました。

 私の薄い微笑みを見て、先生は何を思ったのか、「少し良いかな」と言って、スーツの内ポケットから、パスケースと万年筆を取りだした。


 パスケースは何年も使っているのか、あちこちに綻びがあり、所によっては擦り切れているところがある、年代物を感じさせるものだった。先生はそのパスケースを開くと、普段からそこに入れてあるのだろう写真を取り出し、私に見るように言った。


 その写真を受け取り、私が息をのんだのを見て取ると、先生は昔の記憶を思い出すかのように、瞳を閉じた。


「似てるだろう?きっと、私の娘が生きていたら、多分君みたいに可愛くて、優しい子に育っていたんだろうね。」


(生きていたら、って)


 先生--建川たてかわ 芳寛よしひろ、56歳と名乗った男性--は、私の困惑を肌で感じ取ったのだろう。

 苦い何かを呑む込むかのように、顔を歪め、苦笑を洩らした。


 多分、最初の奥さんと子供の事を思い出していたのだろう。辛そうに歪められた表情が、それを物語っている。


 部屋は妙な静けさに支配されていた。

 建川先生は、その微妙な空気を払う様に、重い口を開いた。


「香也乃、あぁ、死んだ妻の事だけどね、彼女も今の君と同じ歳で死んでしまってね。元々、身体が弱かったのに、どうしても子供を産みたいって強情でね。多分、彼女は寂しくて仕方なかったんだと思う。その時の私は、彼女の様子の変化に気付かないくらい、毎日が忙しかった。元気だったから、いつも穏やかに笑っていてくれたから、彼女の変化に気付けなかった。」


 先生の過去の過ちを懺悔する様な独白は、誰にも止められなかった。


「彼女は、中絶が出来なくなるまで私に妊娠の事実を隠して、出産した。彼女が命を掛けて産んだ子。その子さえ私は守れなかった。娘は生まれて二時間後、息を引き取ってしまった。彼女はそのショックが耐えきれなかったんだろうね。彼女も、香也乃も、私を残して、娘の死を追う様に死んでしまった。丁度、中秋の名月、十五夜の日の、綺麗な満月の夜だった。」


 今でも、香也乃さんの最期の悲痛な謝罪の声が聴こえると、先生は万年筆を手の中で弄びながら、誰に言う訳でもなく、小さく呟いた。


 先生の顔を見れば、表情や瞳を見れば、今でも香也乃さんが好きだと、忘れられないのだと判ったし、雄弁に語っていた。


 私と智、加賀見先生、そして建川先生と内科医の先生の五人がいる部屋は、建川先生の懺悔にも近い独白が終わっても尚、静寂に支配されていた。


 でも、私は心の奥で警鐘が響いているのを聞いていた。


(聞いちゃいけない、これ以上、聴いちゃったら・・・。)


 心はそう必死に叫んでいるのに、頭のどこかが、本能なのだろうか、私はもっと話が聞きたいと強く願っていた。


 どうしてかなんて、解らない。


 ただ一つ判り、感じるのは、建川先生が私の中に、ある感情を感じさせ、植え付けた事。



 カルテを読んだのだろう。建川先生は私の目を見て、強く、はっきり言った。

 

「綾橋 吉乃さん、君の誕生日は娘の誕生日であると同時に、私の妻と娘の命日でもある。それに君は妻に生き写しだ。絶対に助けるから、生きる事を諦めないでくれないか」


 他人には思えないんだよ。と、言う言葉で、私は、古い写真と先生を見比べ、彼が言いたい事を理解した。


 私は生きる事を半分くらい、どこか諦めている所がある。

 建川先生はそれを見抜き、柔らかに指摘した。


 昔から密かに抱いている心の違和感と疎外感、そして、・・・。


 写真に目を移し、写真の中の彼女に問いかけてみる。


(私は生きていても良いの?)


 そう問いかけた時、目の錯覚だとは思うが、笑いかけてくれたような気がした。


 ――頑張って・・・、私の可愛い・・・。



 それだけで私は、生きてみようと決めた。きっとそれが今の私の選ぶ道なのだからと。


 私は建川先生を正面から見据え、深々と頭を下げた。




 三日後、私の手術は秘密裏で行われた。


 秘密裏に、と言っても、私が入院している病院の先生達は、中々こんなチャンスは無いと、やれ記憶しろと、手伝わせろ、見学させてくれだのと言い争い、私の身体を使って実験しようとした。


 もう、どうせ末期で助からないのだから、と。


 それを聞いた建川先生と智、もちろん加賀見先生もそれを許すはず無く、激しく非難し、守ってくれた。


「医師は、時として残忍な科学者や研究員になってしまう。自分達がどうしてこの道に入ったのかさえ忘れてしまうくらい。」


 哀しい事だと、情けないことだと、野仲先生(私の内科の担当医)は、言った。


 また、それはとても怖く、患者側家族にとっては、理解できないものだとも。



 手術室に搬入される前、ストレッチャーの上に寝かせられ、移動していた私の手を握り、智は私に声を掛けてくれた。


「吉乃、頑張ってくれ。」


 短いけれど、願いと思いが詰まった言葉。

 その言葉に頷き、私は8時間にも及ぶ大手術に臨んだ。

 

 結果は成功。

 私の中に巣くっていた病巣は、見事綺麗に切除された。


 手術が終わった後、私は集中治療室に入れられ、10日間、意識を戻す事無く眠り続けた。


 手術が長引いた大きな要因は、出血量が多く、患部が非常に難しい所にあったからだと、後で教えられた。

 そこはとても微妙なところで、一ミリでも違うところを傷つければ、死に繋がる失敗になるほどの困難な所だと。



 とは言え、それは成功したからこそ言える言葉で、聴ける真実。

 

 それより私の興味が強く惹かれたのは、10日間の眠りから覚めた瞬間、薫ってきた色々な花の香りと、目に飛び込んできた贈り物の数々。


 そして驚いたのは、建川先生の不安そうな表情と、智の憔悴したというより、疲弊した顔。


「どうしたの?疲れてるの?」


 自分で思っている声より、若干掠れている声に 眉を顰めそうになった。

 酸素マスクも邪魔だ。


 そんな私の百面相を嬉しそうに建川先生は見ながら、智の肩に触れた。


「良かった。智君も良かったね。これでもう安心しても良いから、休みなさい。」


 労るような建川先生の視線と口調に、智は気まずげに顔を俯かせた。

 その行動は、少し子供じみていた。


(か、可愛い、と、思っちゃいけないわよね!?)


 笑い出したいのを堪え、無理矢理言葉を捻り出す。


「大丈夫?顔色、悪いわよ。会社は?仕事は?」


 私の頬を言葉なく撫でる智の手の上に、私の手を重ね、問いかける。


 私から見ても疲れているのが見て取れるのに、智は手を離そうとしない。


 どういうことだと、建川先生に説明を求めるように目をやれば、建川先生は苦笑しつつも教えてくれた。


「吉乃さんが心配だったらしくてね、10日間も目を覚まさなかったり、心肺停止も何度かあってね。智君は見ていても可哀想なくらいだったよ。もし吉乃さんが今日あたり目覚めなかったら、智君は発狂していたかもね。眠るのも怖くて、夜が来るたび言い様のない恐怖に駆られて。」


 とても仕事なんか出来るような心理状況になんかなれませんよ。と、言って更に。


「愛されてますね、吉乃さん。」


 面映ゆくなる建川先生の言葉に素直に頷き、私は今の想いを言葉にした。


「はい。私も同じです。たった一人の、特別な人です。いつか、子供も欲しいです。」


 その前に、不妊治療もしなければならないが、それは追々やっていけばいいだろうと、その時の私は、安易に思っていた。


 と、その時、ぽたり、と熱い雫が手に落ちてきて、私は視線を智に戻した。


(え!?)


 見た物が信じられなかった。

 自分で自分の目を疑い、夢かとさえ疑った。それ以外、何も思い浮かばなかった。


 勿論、智も人間だから涙線も感情もある。

 それでも智は、普段は表情を変えない。

 

 その智が泣いている。

  

 私が知っている智は、あくまでも背筋を伸ばし、自信に満ち溢れ、多少傲慢で、常に会社第一主義の人だから。 


 今では優しい所もあると分かっているけど、先に植え付けられたイメージは健在で。


 何とか元に戻って欲しくて、私の口は、石鹸水に洗い流されたのかと疑われるくらい、破廉恥な言葉がすらすらと出ていた。


「私が退院したら、やりなおして。もう私が悲しまないように、たくさん愛して。智の唯一無二の女として、永遠に。」


 だから、今の内に休んで。と。


 意識して未だに私の頬に置かれている智の手を、ギュッと強く握り、微笑んだ。


 私の言いたい事を、伝えたい事を理解してくれたのか、智は艶やかな笑みを浮かべた。

 そして、耳に囁かれた言葉は、私の顔を瞬時に染めさせる言葉だった。


 ――三年分、寝る間もないほど愛してやる。今の内、体力作っておけ・・・。


 建川先生は聞こえていただろうに、素知らぬフリをしてくれ、ただただ、嬉しそうにニコニコしていた。


 

 ――そして時は流れ、2週間後。


 私は無事に退院の日を迎えた。その私の隣には、私が好きな凛々しい智がいた。


長かったら、ごめんなさい。

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