♪、11 治癒①
この回から2章になります。
「貴女は助かりますよ、手術さえ受ければね。」
雨が霧のように降る、六月の中旬のとある日。
私はここ1週間の間に、もはや日課に成りつつあった、加賀見先生と智と私の三人でのメンタルケアを含めた面談を終えた後、「病気の事で話があるから。」と、内科の担当の先生に、病室に戻る為にゆっくりと歩いている所を呼び止められた。
その時、私は病室まであと500Mという所にいた。
入院してからの私は、何も気力が湧くはずも無く、動く事をあまりしなかったせいか、身体の筋力は、著しく低下していた。
それを改善し、体力を取り戻すため、リハビリを兼ねた歩行訓練中に話しかけられ、私は側にいた二人に相談した末、話を聞くことにした。
入院してから、毎日体調を見ながら続けている点滴。
その点滴を下げた台の車輪をカラカラと転がしながら、先生に案内されるまま、小さいスクーリング室に、加賀見先生と智、そして私と内科の先生の四人は入り、椅子に座った。
先生は椅子に座るなり、首から下げていたPHSを手に取り、どこかにかけ、二言・三言話し、「では、お願いします」と、通話を切り上げた。そして、5分後、現れた先生がなんの前振りも無く、初頭の言葉を私に言った。
「信じられませんか?でも、貴女は死なない。貴女は進行性の胃癌ではなく、普通の胃癌です。間違いありません。」
あまりにも急な事に、放心しかけていた私は、智が背中を撫でてくれた事で落ち着き、まじまじと先生の顔を見て、先生が頷くのを見て、詰めていた息を吐きだした。
どうやら、私は死なないらしいというのは、本当の事らしい。
(こう言うのって、何て言うんだっけ?青天の霹靂?)
私がまだ話が聞ける状態ではないと見たのか、先生は智に私の家族であるかを確認し、今回の大まかなあらましを説明してくれた。
先生によれば、まず、スキルス胃癌と診断されたのには、病院側のミスだと説明があり、さらにそのミスは、大病院であってもなくても、絶対あってはならない取り違いミスで、私のレントゲン画像と血液が、他の患者のものと取り違えられ、そのまま誰も気付くことも無く、それぞれそのまま病名を宣告されたらしい。
その間違いに気付き、指摘したのは、まだ27歳の若き研修医だったという。
「胃癌だったと言うだけで、今も貴女の身体の中には病巣が根づいてます。近々それを取り出せば、再発の可能性や、転移の可能性は減るでしょう。」
受けますか?と、その道の名医である先生が私に聞き質す前に、智は動いていた。
加賀見先生も、是非にと、頷いていた。
勿論、その話を聞いた綾橋の家族(智が電話で知らせた。)は、迷うことなく即答した。
手術を受けるのは、あくまで私。
なのに、その当の本人の意見も聞かない内に、智や綾橋の家族は、その名医である先生に手術を依頼してしまった。
「愛されてますね。」
にこにこと微笑むその先生は、本来、半年ぶりに休息するために来日(帰国)したというのに、私を見た瞬間、自分は何処まで行っても、つくづく医者なのだと自覚したらしい。
「これも何かの縁だよね。君は私の最初の妻に似ていてね。どうしても助けたいんだ。だから一緒に頑張って、元気になろう。」
(ズルイ。)
そんな事を言われては、誰だって断る事は出来ない。
懇願されるような、子犬みたいな瞳で見つめられた私は、薄い微笑を唇に浮かせた。
疲れたので、続きは後日、日を改めて。