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イーブルスター

 廊下はひんやりと涼しく、僕の靴音だけが響いていた。


『誰もいないのか?』

『授業中なんだと思う。教室にいけば、クラスメートがいるんじゃないかな』


 クラスメートっていうのは、一緒に授業を受ける仲間で……と説明しかけたところで、三島さんと正吾の顔が頭を過ぎる。どうか肋骨が二人ではありませんように。二人に刃を向けずに済みますように。階段を一段ずつ祈りながらそっと上る。

 自分のクラスの教室へ続く廊下に足を踏み入れると、不快な笑い声が、男子トイレの方から聞こえてくる。不良たちだ。抵抗も出来ないまま蹴られ殴られた記憶に、心拍数が上がる。男子トイレの前を通らずに教室に行くルートはない。

 僕は立ち止まって、深呼吸をした。塔の中で全身切り刻まれたのに比べれば、殴られるのなんて大したことないだろ。なにより、今の僕にはライが付いてる。最悪、囲まれても何とかなるだろう。見えない敵と戦った時に範囲攻撃も編み出したし。

 大丈夫。自分に言い聞かせて、男子トイレの前を通り過ぎた。


「え、お前何しに来たの?」


 背後から声をかけられる。教室まであと十メートルほどだ。無視してやり過ごせる、そう判断して僕は何事も無かったかのように歩き続けた。


「おいテメェ聞こえてんだろ!?」


 襟ぐりを急に掴まれて、投げられる。緑色でツヤツヤした床に叩きつけられる。不良達が歩いてくる。僕を殴った三人組だった。位置関係的にモヒカンのデカいやつが僕を投げたらしい。僕は血の混じった唾をぺっと吐き捨てて、立ち上がった。


「僕、君たちに何かした?」

「あ?」


 モヒカンのデカいやつが、僕の顔を覗き込んだ。死ぬ前の僕なら、怖くて何も出来なかったと思う。でも、今は不思議と何も感じなかった。


「なんでそんなことするの?」


 すると、後ろにいる金髪の痩せてるやつと緑髪のピアスがゲラゲラ裏声混じりに大声で笑い始めた。


「え、キッモこいつ」

「イキリ陰キャじゃん」


 僕は真っ直ぐに彼らを見て、息を浅く吸った。

 

「そうだよ」


 三人組はピタリと笑うのを辞めた。張り詰めた空気が廊下を支配する。

 

「え? 何? 開き直り?」


 おどける金髪を、僕はじっと見た。金髪がわずかにたじろいでいるのに気づいた。僕は問いかけた。

 

「そうだよ。だから、どうして僕に話しかけてきたの? 君たちはここで何してるの?」


 予想外の反応だったようで、三人組は数秒間黙った。

 

「お前調子乗んなよ!」


 堪えられなくなったのか、緑髪が凄む。レオンを掘り起こしてたことに気づいたウィズの方が殺気出てて迫力あったな。


「スカしてんじゃねえよ!」


 緑髪に殴られる。鼻を斬られた時の方が痛かったな。


「なんで殴ってくるの?」

「は、こいつ、」


 金髪が腹に蹴りを入れてくる。一気に塔を駆け上った時の方が、苦しかったな。


「僕、君たちになにかした?」

「……テメェが存在するからだよ」


 モヒカンのデカいやつが、僕の頬に拳を入れる。そのまま、モヒカンは僕の上に馬乗りになって吠えた。


「テメェみたいな雑魚は死ぬしかねェんだよ! さっさと死なねェから俺らがテメェのこと殺すんだろォがよ!」

 

 金髪と緑髪の笑い声をバックに何度も何度もぶたれて、僕はやっと理解した。こいつらの論理はシンプルだった。

 弱ければ何をしてもいい。弱いやつは強いやつに殺されて当然。だから、僕がこいつらに何をしてなくても、視界に入っただけで絡まれて殴られるんだ。


 ――なんで、やり返さない。

 ――やり返せよ!


 僕は生前、正吾に言われたことを思い出していた。


 あの時、僕には選択肢がなかった。でも、今は。三人組は、宙に浮くノートを認識していないようだった。羽根ペンは金色に輝いて滑り出す。


 ――俺は戦士だ。

 ――向かってこようなら、魔物だろうが神獣だろうが人間だろうが……どんな奴でも叩き斬る。


 ライの台詞を頭の中でなぞる。そうだよな。そう来なくちゃ。僕のなりたい僕は。

 

『ライ、今、敵に組み伏せられてる!』


 僕はただ、少しやり返したかっただけだったのに。

 

『分かった――雷光斬!』


 塔でもずっと鎧にそうしてきたように、ライは躊躇わない。一閃。剣の軌跡に沿ってスカイブルーとレモンイエローの電撃が舞う。鎧をも貫くその斬撃は、とてもじゃないけど丸腰の、生身の人間に使うような技じゃない。生暖かい、赤黒い雨がぼとぼとと飛び散る。


「あ、あ、」

 

 モヒカンは目をかっぴらいたまま、それ以上僕を殴ることはなかった。僕は早く離れたくて、這いずり出る。何度もよろめきながら壁に手をかけながら立つ。モヒカンの上半身と下半身は、完全に分かたれていた。

 ここまでするつもりじゃ、なかったのに。僕が……ライへの伝え方を間違えた。せめて、あのとき。もう一人の僕に雷を落としたときに、変なプライドなんか捨てて、相手は普通の人間なんだって、伝えておけば……こんなことには……

 

「は、なん、で、お前今、何……」


 驚愕する緑髪の頬には、モヒカンの血であろう赤い飛沫が付着していた。


「……君たちが、先にやったんだ……僕は……やり返しただけだ……」


 言い訳のように僕は、緑髪と金髪の奥の壁を遠く見つめながら漏らした。声も手も情けなく震えていて、自分の顔は熱く紅潮している感じがした。

 

「テメェエッ! よくもマサヤをォオッ!」


 緑髪が僕に掴みかかっていることに気づいたのは、殴られてからだった。緑髪は半狂乱で僕の首に手をかけて絞め始めた。


「テメェがァ! テメェが死ねよッ!」


 緑髪の親指が僕の喉に深く突き刺さる。力を振り絞って緑髪の手を剥がそうとするが、体格差で叶いそうもない。意識が遠くなってきた。こいつ……本気で、僕のこと殺すつもりだ。


 ……だったらもう、いいよな。


 一閃。地面に墜落した僕は、酸素を求めてひゅうひゅうと喉を鳴らした。目の前に落ちている緑髪の頭は、ぱっくりと割れていた。

 

 金髪は震えながら少しずつ後ずさっているのか、足で緑髪の血を廊下に擦り付けている跡が伸びている。気がつくと金髪は土下座をしていた。


「俺らが! 俺らが悪かったんです!」


 涙声だった。よく見ると、なにかで廊下が濡れている。涙なんて量じゃない。アンモニア臭。金髪のスラックスが変色している。それは尿だった。


「許してください! なんでも! なんでもしますから!」


 滑稽だった。さっきまで僕に攻撃してきていた相手が、情けなく命乞いしている。

 僕は念じて羽根ペンを動かした。必死に地面に額を擦り付ける金髪頭に、剣で貫いたような傷が現れる。そして土下座のポーズのまま、金髪は二度と動くことはなかった。やってしまった。でも。僕は上がってしまう口角を隠すように手で抑えながら、金髪の死体を見下ろした。取り返しのつかないことをしているのに、正直、脳汁が止まらなかった。

 僕はどうして彼らがシンプルな論理に従っていたのか、もうよくよく理解していた。気持ちがいいからだ。抵抗してこないやつを一方的に攻撃するのは、スカッとするし気持ちいい。それも、今まで散々僕にそうしてきた相手だ。

 三人組の肉と骨は収縮を繰り返し、やがて三本の肋骨となった。ゆっくり漂いながら上昇していく肋骨を見送りながら、三本もまとめて殺せてラッキーだとすら思った。


 突然、カラン、と何かが落ちる音がした。振り返ると、廊下をチョークが転がっていくのが見える。三人組に阻まれてあんなに遠かった教室の扉が、いつの間にか開いていた。


「さ、斉藤くん……あなた……」


 先生の声は、酷く震えていた。

 前方の教室の扉から半身を出した担任の伊勢先生は、両手で口を押さえながら震えている。後方の扉からは何人かのクラスメートたちが、顔面蒼白で僕のことを見つめている。さっきの僕は、さぞ悪魔のように映ったことだろう。


「こ、これは……ッ! こいつらが、先に! こいつらが先に僕のことを殴って……」

 

 我に返った僕は必死に取り繕った。先生の目線に、クラスメートの目線に、串刺しにされている気分だった。


「ち、違う……! 僕は……」

 

 着ているジャージは生臭く、暖かく、赤く、べっとりと濡れていた。


「……人殺し」


 クラスメートの女子の声だった。ざわめいていた廊下は静まり返りピリついた空気が流れる。

 

「違う! 殺すつもりじゃ!」


 クラスメートの後ろで黙って見ていた正吾が出てきた。僕に向かって進む正吾の肘を伊勢先生が掴む。


「寺田くん! 待って!」

「……逃げてください。みんなを連れて」


 正吾は先生に振り返りもせずに、僕を真っ直ぐに見つめたまま歩き続ける。僕は動けなかった。やがて、掴みかかれるほどの距離にまで来た正吾は、僕を見下ろしながら低く言った。


「お前……さっき、笑ってただろ」

「笑ってなんか……!」

「嘘、つくなよ……見えたんだ、お前の顔……」


 正吾は、歯を食いしばり、拳を握りしめていた。


「俺が言ったからだ……やり返せよって」


 悔しそうに漏らす正吾に、僕は何も言えなかった。


「俺、お前のこと、ただ少し勇気がないだけの優しいやつだと思ってた――でも、違った。本当は、力さえあれば人を傷つけて喜ぶような奴で、ただ人を傷つける術がなかったから、大人しくしてただけなんだ……」


 震える正吾の手元に、輝く粒子が集まる。金色に輝くそれは、竹刀だった。正吾は戸惑いもせずにそれを掴むと、剣先を僕に向けて構えた。


「だから……俺が、落とし前を付ける」

「待って! 正吾! あれは、いっときの迷いで……」


 正吾ー! 寺田くーん! と正吾の奥から声援が飛ぶ。クラスメートも先生も、隣のクラスの奴も、みんな正吾の味方だった。

 アイロンのかかったシワひとつないシャツを纏い、金色の竹刀を精悍な顔つきで構える正吾はヒーローにしか見えなかった。返り血まみれのほつれたジャージの僕は……どう見たって、悪役の殺人鬼だった。

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