再会
塔の中は、ひどく静まり返っていた。
ゴウが去ってから、何日が過ぎたことだろうか。
空の色も風の匂いも、日に日に春めいているというのに、私の心は未だわずかな冬の名残りを抱えていた。
魔力は、もう二度と戻ることはなかった。
手に触れるものに魔法をかけることも、炎を灯すことさえも叶わない。
私は、ただの人間になったのだ。
魔導書を閉じ、窓辺にひとり腰掛ける。
外の畑では、小さな芽が顔を出していた。
あの頃、ゴウが土をいじりながら笑っていた光景がまざまざと思い出される。
その笑い声も、汗も、焦げたパンの香りも。そのすべてが、懐かしくもあり温かかった。
「……ゴウ、」
その名を囁けば、彼は戻ってくるのだろうか。
無理だと知りつつも、言葉にしたくなる衝動があった。
魔力のない生活にも慣れた頃、季節は移ろい、再び冬が訪れた。
今となっては薪割りも、多少時間はかかるものの幾分か様になってきたようにも思う。
よろめきながら抱えていると、ふとその重さが消える。
私は一瞬、夢をみているのではないかと疑った。
「……ただいま、ユウ」
この胸に、懐かしい声が響き渡る。
思わず声がした方を見上げれば、目の前にゴウが立っていた。
軽々と薪を持ち上げては、変わらぬ笑みを浮かべていた。
「なぜ、ここにいる……」
「どうしてだろうな……。ユウに会いたいって思ってたら、ここにいたんだ」
その言葉を耳にした瞬間、胸の奥が熱くなる。
まるで冷たかった冬が、一息に溶けていくような感覚。
魔力を失ったことも、孤独に耐えていた日々も、すべてが意味を持っていたような気がした。
夜になり、塔の中では、いつも以上に大きな灯がともっていた。
ゴウは寝台の上で、腕を広げて笑っていた。
「さあ、湯たんぽの時間だ」
「まだするのか」
「するよ、何度でも。……今度は、期限なんてないからな」
私は、静かにその胸にこの身を預けた。
懐かしい鼓動が、耳に届く。その温もりが、全身を包み込む。
その筋肉の美しさもさることながら、あたたかな温度が何よりも私の心を満たしていた。
──魔力がなくとも、私は、この温もりだけで生きていくことができる。
そのような確信が、静かに胸に広がった。
「ユウ、また小さくなったか?」
「失礼な。これでも、一人で薪を割れるようになったのだぞ?」
「……そっか、たくましくなったんだな」
「……だが、お前のような筋力は持ち合わせていない」
「じゃあ、これからも俺が役に立つよ」
数多の言葉を交わしながら、私たちは互いの温度を確かめ静かに眠った。
***
温かな冬を超え、春の風が窓から入り込む。
朝になり、塔の庭に出るとその芽は大きく育っていた。
ゴウは黙って私の隣に立ち、肩を並べて土を見つめる。
言葉はなくても、互いの存在を感じ合える。
それだけで、世界が満ち足りているような気がしていた。
私は、静かに笑った。
魔力は失われたが、失われたことで手に入れたものもある。
それは、孤独ではない日々。触れ合える体温。そして、心の中の永遠のぬくもり。
「おーい、ユウ!」
声がした方を向けば、ゴウがスコップを片手に畑の中央で立っていた。
両手には、泥だらけの球根が。
「これ、掘り出したぞ!……食えるかな?」
「ああ。もう少し、泥を落としたほうがいい」
「了解!」
いつも通りの、明るくまっすぐな声。
だが私は時折、ふと、思うのだ。
――なぜ、彼が再びこの世界に現れたのか。
召喚契約の期限は、春の訪れとともに消えた。
魔力を失い、私はもう誰かを呼び出すことなどできるはずもない。
だからこそ、目の前に現れた彼を見たときは夢かと思った。
そのようなことを尋ねてみれば、茶を飲みながらゴウは言った。
「死ぬ前に、もう一回ユウに会いたいって思ったんだ。俺、子供を助けようとして、それで車に轢かれて……。気がついたら、ここにいた」
奇跡など、信じてはいなかった。
だがその瞬間、私は世界の理の外側に“愛”という魔法があるのだということを悟った。
「しかし今回は、契約などではないのだ。君は、自由にこの世界で暮らすことができる」
そう告げたとき、ゴウは笑った。
「……だったら、その自由は俺が決めるよ。俺は、ここにいたいんだ。ユウのそばに」
その言葉の意味を、私はすぐには理解することができなかった。
しかしゴウはゆっくりと、まるで風に向かって話しかけるかのように言葉を続けた。
「ユウ、お前のことが好きなんだ。……初めて会ったときからずっと、何度も思ってた。死ぬ間際に思い浮かんだのも、ユウの顔だった」
胸の奥が、熱くなる。
魔力を失った身体の奥で、何かが静かに燃え始めるのを感じていく。
しかし、どう返事をすればいいのかが、わからなかった。
「すまない。私は、その、このようなことには疎いものであるからして……」
「うん、わかってる。ただ、俺が伝えたかっただけだから」
「ひとまず、その、ありがたいとは思う」
「急がなくてもいいよ、待つのは慣れてるし。それに、冬も越えたしな!」
ゴウは、軽やかに笑っていた。
その優しさに救われる一方で、私はある種の戸惑いを覚えていた。
人の心というものがこのように不安定で、しかしこのように温かいものであるとは知らなかったからだ。
その日以来、私とゴウの距離は今まで以上に近いものへと変わっていく。
「……ゴウ。その、なんだ……」
「なんで?前はよく触ってたじゃん」
ゴウは私の手を取り、あの頃のように自らの筋肉を触らせていた。
「それに、また疲れた顔してるし」
それは、恋心というものを自覚してしまったせいだろうか。
あれ以来私は、ゴウを今まで以上に意識するようになってしまっていたのだ。
以前は素知らぬ顔をして触れていたその筋肉でさえも、今となってはゴウの一部だと認識すると途端に手が止まってしまう。
しかし心の底では、豊かな肉の盛り上がりを強く求めていた。
「ほら、悩むより手を動かしたほうがいいぞ?」
そう、私の手が意思とは反して滑っていく。
ゴウの筋肉は、以前よりも質量が増していた。その新たな感触に私は打ち勝つこともできず、ただされるがままに、気づけば夢中になって腕を動かしていた。
「……これでは、いけない」
そう律するものの、以前のように台所に立つゴウを目で追うことはやめられなかった。
「なにが?」
「いや、こちらの話だ」
***
ある夜、私は窓から星空を眺めていた。
ゴウは私の隣に腰をかけ、静かに口を開いていく。
「ユウ、覚えてるか?一番初めに呼ばれたとき……俺、少しビビってたんだ」
「そうであろうな」
「でも今は、ここが俺の帰る場所みたいに感じてる」
その言葉に、私はただ静かに微笑むしかできなかった。
魔力を失い、異世界の存在ではなくなった私にとって、彼と過ごす日々そのものが、何より大切でもあり。
そして、新たな生きる理由になっていたからだ。
「ゴウ……。ありがとう」
「なに、どうしたの?急に」
「以前も、そして今も、私の隣でお前は笑っている。そのことを、私は嬉しく思う」
「うん、俺も嬉しい」
あたたかな風が通り抜け、春の匂いを色濃く運んでいた。
その瞬間、私の胸の奥で何かが弾けた。
それは魔法よりも確かで、言葉よりも温かな、愛の始まりでもあったのだ。




