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筋肉質な人間湯たんぽを召喚した魔術師の話  作者: 陽花紫


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2/2

報いを受ける

 ある日の朝、私は薪割りの音を聞きながら魔法陣の補修を行っていた。

 塔の中に書き連ねられたそれは、ゴウの快適な暮らしを維持するためのものでもあった。

 しかし今では、その線は薄く消えかかっていた。魔力の流れに、大きな乱れが生じていたからだ。


 その原因は、わかっていた。

 ゴウを召喚したあの夜から、私の魔力の循環に歪みが生じてしまったのだ。私利私欲に塗れた召喚は、稀にそれ相応の報いを受けることがある。

 これまでの私は、本来はそのようなものに手を出すような人間ではなかった。しかしあの日、私は寒さでどうかしていた。


「ユウ、そろそろ休憩したら?」

 熱い茶を手に、ゴウが私の名前を呼ぶ。

「すまない、あと少しで終わるはずだ。先に休んでいてくれ」

「わかったよ」

 ゴウは、気の利く男でもあった。

 私とは違い、言葉も多く、表情も豊かだった。もちろんその身に纏う筋肉も、これまで書物の中で目にしたどのものよりも大きく、躍動感があった。

「触るか?」

「ああ、頼む」

 そして私の筋肉好きは、もはやゴウも周知の事実となってしまっていた。

 栄養を補給するために、私は遠慮なく腹部へと手を伸ばす。もともとは冷えた手を温めるために行っていたのだが、それもいつしか私の欲望を昇華させるためだけの好意へと変貌を遂げていた。

「この溝が、素晴らしい」

「ははっ、毎日筋トレしててよかった」

 複数に割れたその溝を、指でなぞる。嗚呼、私はこの溝を流れる汗になりたい。

 そのような不純な思いを抱きながらも、次は手のひらで引き締まった肉を撫でさする。

「くすぐったいって」

「じきに慣れる」

 ゴウは決して、私の要望を嘲笑うような真似はしなかった。むしろ、進んでその身を差し出した。

「ユウの役に立てるなら、俺も嬉しい」

 そのようなことを言いながら、子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。


 夜、相も変らぬそのぬくもりに触れたとき、私は魔力の抜けを察知した。

 指先が、熱を失ったように冷めていく。

「ユウ、どうした?」

 その変化を感じ取ったか定かではなかったが、珍しくゴウが目を開けて私を見た。

「少しばかり、夢見が悪かっただけだ」

 まるで、魔力の根が溶けて流れ出していくような感覚。

 彼に背を向けるようにこの身を動かし、私は指先を何度もさすった。

「寒かったからか?大丈夫だ、俺がいるからな」

 ゴウは、力強く私の身を抱きしめた。


***


 それからも、私の魔力の流れは止まることはなかった。

 魔法陣の線も薄くなり、昨日ついにそのうちの一つが消えてしまう。ゴウには模様替えだと伝えたものの、彼は気にすることもなく笑っていた。

「いいんじゃないか?こういうのも」


 あれほどまでに日夜吹き荒れていた風は、いつしか穏やかなものへと変わりつつあった。

「なあ、ユウ」

 不意に、ゴウが窓辺に寄ってこう口にした。

「春になったら、俺は帰らなきゃいけないんだよな?」

「そのつもりだ。春までと契約したからな。時が来れば、自然に帰還することができるはずだ」

「そうか。……それもなんだか、寂しいな」

 その言葉に、胸が痛む。

 彼の表情は常とは変わらぬにこやかなものであったものの、その言葉だけほの暗く感じられた。

「……今更ながら、その、元の世界に愛する人間でもいたのか?」

 思わず口に出し、悔やむ。

 それを尋ねたとして、私は一体どうしようというのだろうか。

 沈黙の後、ゴウは落ち着いた声で答えた。

「いるわけないって。そういうの、めんどくさくてさ」

「そうか」

「ユウは?」

「……魔術師に、色恋などは無縁なものでな」

「そりゃそうだな。ここでユウは、ずっと一人で暮らしてたんだもんな」

 言葉にしてみると、ひどく冷たい音がした。自らそう言い切ることが、なぜだか苦しく思えた。

「ほら、触るか?」

 おもむろに、ゴウが二の腕を差し出す。

「なぜだ」

「なんか、元気ない顔してるから。こういう時は俺の出番だろ?」

 そして私は手を取られ、ゴウの二の腕を撫でるように動かされていた。

 普段であれば喜びに頬が緩むところではあったものの、今の私にはそのような喜びを素直に感じることもできなくなっていた。

「ユウ、湯たんぽしようか?」

「……まだ昼だ」

「たまには昼寝しても、いいんじゃないのか?」

「昼間に寝たら、夜眠れなくなってしまうだろう?」

「お堅いなあ」

 彼の笑い声が、塔の中に溶けていく。 

 いつの間に、風の音よりもその声を聞くほうが心地よくなっていた。


 夜、外は完全に凍りついていた。

 月の光が、窓を通して床に落ちる。

 魔法陣の線が淡く光り、塔の中の空気がわずかに揺れる。それはまた一つ、魔法陣が消滅したことを知らせていた。

 ベッドの上で、私は息を吐く。

 すぐ横では、ゴウが大きな体を伸ばしてあくびをしていた。

 彼の体温が、空気をやわらかくしているように感じられた。

「なんだか、今日は一段と冷えてるな」

「そのような仕様だからな」

「仕様って?」

「魔力を使う者は、体温が低下する。代わりに、心臓の鼓動で魔力を循環させている」

「どういうことだ?」

「……気にするな、疲れているから体温が下がるのだ」

「そうか。じゃあその分、俺が頑張って温めるからな」

 言葉の終わりと同時に、腕が伸びる。

 普段と異なり、私の身を撫でさするように大きな手のひらが触れていた。私は驚き、その手から逃れようとしたがゆるやかに捕らえられてしまう。

「離せ」

「いつもこうやって俺のこと、触ってるだろ?そのお返しだよ」

「やめろ」

「やめない。ユウ、寒いんだろ?」

「今は、余計に暑い」

「嘘だな。震えてる」

 その言葉に、何も言すことができなかった。

 確かに、私のこの身は震えていた。寒さではなく、なにか別の理由で。


 彼の胸が押し当てられると、その鼓動が耳に響く。聞き慣れてしまったその音が、不思議と安らぎを呼ぶ。


 瞼を閉じると、魔力の流れが緩んだように思えた。


 ──このままでは、いけない。


 そう思うものの、抗うことができない。

「ユウ、」

「……なんだ」

「そう怖い顔するなって、……大丈夫だから」

「怖い顔?」

「泣きそうな顔してる」

 私は、自らの心がほころびかけているのを、必死に押しとどめようとしていた。

 これ以上、私の心に温もりを与えないでくれと祈るばかりであった。


 沈黙のあと、ゴウは私の気も知らずに小さく笑った。

「ま、いいや。そういう顔も、悪くないな」

 その声が、まるで春の予感であるかのように、柔らかに響いていた。


***


 数日後、塔の外では微かな緑が現れる。

 長い冬の終わりを告げるかのように、雪解け水の音が遠くで響いていた。


 私は、いつものように魔法書を広げていた。

 だがその視線は文字を追うこともなく、ページの上の白で止まっていた。

 薪を割る音の合間に、ゴウの声が耳に入る。

「これが終わったら、ご飯にしよう。今日は焦がさないからな」

「わかった、期待しないでおこう」

「ひどいなあ」

 彼の声に笑みを浮かべてしまう口元に、少し驚いた。

 この感情の名前を知ってしまえば、もう後戻りはできないような気がした。


 その夜、一段と風が強かった。

 塔の扉が大きな音をたてて軋み、灯した魔法の炎が強く揺れる。

 寝台に入ると、ゴウは無言で私を抱き寄せる。何も言わずとも、互いの身は馴染んでいた。

 外の嵐の音が、遠くに消えていく。

 胸に触れる鼓動が、ゆるやかに私の心を包み込んでいく。あたたかな腕を撫で、わずかに上下する胸元に額を押し当てた。そして小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。

「……帰らなければいい」

 その瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。

 魔力の流れが乱れ、心臓が強く脈打つ。


 ──いけない。


 それは、禁忌にも似た感情であった。

 魔術師は、感情によって魔力を支えている。けれども、愛という厄介な感情だけは例外であった。それは、魔力を「蝕む」ものであると聞く。

 私は知っていた。このぬくもりに溶けていけば、いずれはこの力が消えることを。それでも、離れることなどできなかった。


 春まで、あと何日だろうか。

 その短さが、かえって私の思いを強くさせていた。


 翌朝。

 ゴウがいつものように、パンを焦がして笑っていた。

 私はその姿を目に焼き付けながら、黙って受け取った。


 ──焦げた香りですら、いまは愛おしい。


 そう思ったとき、胸の奥で何かが静かに壊れゆくのを感じた。


「あれっ、今日は触らないのか?」

「今日は、必要ない」

「そうか。なにか、俺にできることは?」

「そうだな、昼寝でもするか」

「えっ、珍しい!どうしたんだよ」

「私も昼寝くらいする。さあ、こちらに……」

「いつもと逆じゃん」

 私はその日、初めて魔導書を閉じて昼寝というものをした。

 夜とは違い、あたたかな日差しのなかで眠る行為というものはとても新鮮であった。ゴウの温もりが、熱いほどに感じられた。


 もはや魔力など、どうでもよかった。彼のぬくもりさえあれば、それで充分であった。


***


 春が、近づいてきた。

 それは空気の匂いでわかる。湿った土の香り、遠くで溶ける雪のしずく。世界はゆっくりと目を覚まし、季節は動き出す。


 しかし私の身は、その流れに逆らうように重く沈んでいく。

 魔力の循環が、鈍い。魔法陣を描こうとしても、指先が震える。線を描くこともできず、その気力も続きはしない。


 ──わかっていた。


 原因は、夜ごと彼のぬくもりに溶けていくせいだ。

 触れるたびに、魔力は抜けていく。そのことを理解していながらも、私はやめることができなかった。

「ユウ、落としたぞ」

 ゴウの声がした。

 振り向くと、その手に分厚い魔導書を持っていた。

「すまない、ありがとう」

「大丈夫か?最近、ふらついてるぞ」

「なに、魔力の調整が思うようにいかないだけだ」

「それ、ヤバいんじゃないのか?」

「案ずることはない」

 私は微笑んでみせたが、その笑みがどれほど歪んでいたか、自分でもよくわかっていた。


***


 外の雪が完全に溶けるころ、ゴウは自らの手で塔の裏庭に小さな畑を作っていた。

「帰るまでに、野菜でも育てようぜ」

 そう言いながら、毎日土に触れていた。


 私はその背中を、窓越しに見つめる。土を掘り返すたびに、腕の筋肉が動き、輝かしいほどの汗が滲む。その姿に、思わずほうと息をつく。やはり、筋肉はいい。目の保養だ。


 太陽の下にいる彼は、いつもまぶしい光を放っていた。

 しかしそれと同時に、息が詰まる。召喚の契約が切れれば、彼は元の世界に戻る。私は、それを止めることができない。たとえどれほどこの時間を望んでも、それが契約というものなのだ。


 夜、彼が眠ったあと、私は歪な線で描かれた魔法陣の前に座った。

 灯りを落とし、静かに呪文を唱える。

「契約を、反転する」

 本来、召喚を解くための術式である。だが組み方を変えれば、反対に「帰還を阻む」呪いへと変化する。それはもはや、禁呪に近いものでもあった。

 もし成功すれば、その代償は大きい。


 私は手を伸ばし、光の環に指を入れる。

 その瞬間、頭の奥でざらついた痛みが走る。視界が、白く霞む。

 僅かに残る魔力が、最後の力を振り絞るかのように暴れていた。

「ユウ!」

 気づけば、腕を掴まれていた。

 ゴウが駆け寄り、私の肩を力強く支えていた。

「何やってんだよ!」

「何をしている、離せ!」

「嫌だ、離さない!」

 その声がとても熱く、まるで炎にでもなったかのように私の全身を駆け巡る。

 初めてだった、ゴウがこのように声を荒げて怒る姿を見たのは。

「お前、そんな顔して俺を呼んだのか?あの夜、寂しいからって、命に関わるようなこんな危ないことしてたのか?」

「……そうだ。しかしあの時、私は強大な魔力を持っていた」

「今は、違うだろう?俺なんかのために、大事な力を使わなくてもいいんだ」

 彼は拳を握りしめて、震えていた。

 私は、何も答えることができなかった。


「ユウ、これ以上……自分を傷つけないでくれ」

 その言葉が、心の奥を鋭く貫いた。

 私はただ、呆けたように彼のことを見つめることしかできなかった。


「わかった……。春までの、湯たんぽ。それが君だ」

「わかってる。それまで、ユウを温めるから」

「ありがたいものだ」


 その後、私達は何事もなかったかのように寝台へと戻った。

 もう空が白みはじめていたが、そのようなことは気にしなかった。

 互いに何も言わず、何も聞かず、ただゴウの腕の中で私は抱かれていた。


 そのぬくもりが、痛いほどに近く熱かった。

 鼓動の音が、耳に焼きつく。

 私は、小さく呟いた。

「君が帰る頃には、恐らく、私はもう魔術師などではなくなっているだろう」

「……それでもいい。ユウが生きてさえいてくれれば、それでいい」

 その言葉に、世界が止まる。

 私は、力の限り彼の身を抱きしめた。


 外の風の音すら、遠ざかっていく。

 胸の奥で魔力の灯火が小さく揺らぎ、次の瞬間には跡形もなく消えていた。

 おかしなことに、恐れなどなく穏やかであった。彼の体温が私のすべてを包み、ただその中で深く眠りについた。


 翌朝、外の空は薄く霞んでいた。

 雪解けの水が光を反射し、春の匂いが塔の中に流れ込む。


 ゴウは私より先に起き上がり、晴れた空をひとり見つめていた。

「時が、来たようだな」

「そうだな」

 ゴウは寝台へと近づき、私の髪を撫でた。

「なあ、ユウ。俺、帰っても忘れないから。たぶん、夢に見ると思う」

「では、夢でまた会おう」

「ははっ……。夢でも、湯たんぽするからな」

「それは楽しみだ」


 一際強い春の風が、塔の中を吹き抜けていった。


 そして、彼はその風に攫われるかのように消えてしまった。

 何も言わず、ただ穏やかな笑みを浮かべて。


***


 光が消えたあとも、私の手にはまだぬくもりが残っていた。

「また、君を呼べるだろうか」

 私の心には、消えることのない冬が残っていた。

 しかしその冬はもう、孤独などではなかった。


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