* 少女との生活 *
アレクシスは、この国の隣にあるグランヴァルト王国の王子だった。
将来、ルミナリア王国の聖女――ルクレツィア王女と政略結婚し、婿として迎えられる予定である。
ゆくゆくは自らが治めるこの地を知るため、王都に屋敷を構え、時折滞在していた。
その屋敷に仕える使用人たちは、全員がグランヴァルト王家の精鋭。
日々の雑務をこなす一方で、いざという時には剣を取り、主君の盾となる実力者ばかりだ。
「だから、変な気を起こしても無駄だぞ。……分かったか?」
そう言って釘を刺すと、少女はおとなしく、小さく頷いた。
「よし。今日からここがお前の家だ。……名前は?」
しばらく口を閉ざしていた少女が、ぽつりと呟く。
「……ヴェル」
「ヴェル、か。俺はアレクシスだ」
「……あ、あれく……」
「アレクシス。アレクでいいよ」
「……アレクさま」
「よし。よろしくな」
ヴェルは、まだ不安げではあったが、こくんと小さく頷いた。
「とりあえず、風呂に入ってこい。ナタリー、頼む」
声をかけられた侍女のナタリーは、丁寧に一礼し、柔らかな物腰でヴェルを浴室へと導いていった。
湯の支度を整えながら、ナタリーはヴェルの首輪にそっと手を伸ばす。
「外しますね」
静かにそう告げて留め具に指をかけるが――
カチリとも、緩みもしなかった。
「あら……?」
道具を使っても、力を加えても、首輪はまるで根を張ったかのようにびくともしない。
不思議そうに見つめるナタリーに、ヴェルはぽつりと呟いた。
「……これ、とれないの」
そう言って、そっと自分の首に手を添える。
その仕草には、ほんの少しだけ、寂しさが滲んでいた。
結局、首輪は外れぬまま――
ナタリーはヴェルを湯へと誘った。
*
しばらくして。
湯に浸かり、汚れた布を脱ぎ、清潔な服に身を包んだヴェルが現れたとき――
その場にいた者たちは、皆、言葉を失った。
立っていたのは、確かに痩せた、か細い少女のはずだった。
けれどその姿は、まるで月光を纏ったような、静かな美しさに包まれていた。
銀に近い淡いブロンドの髪が背に流れ、
その瞳は水に溶けた空のように澄んで、どこまでも静かだった。
顔立ちはまだ幼い。
だが、微笑めば春の光のように柔らかく、
黙っていれば雪の森のように静謐で――
この世のものとは思えないほど、美しかった。
ただ、その細い肩や手首に刻まれた痩身と傷痕が、
彼女がどれほどの孤独と痛みに耐えてきたのかを、無言のままに語っていた。
* * *
ヴェルは、アレクシスと並んで夕食の席についていた。
けれど、目の前に並べられた料理には、手を伸ばそうとしない。
ただじっと、どうしていいのか分からないまま、アレクシスの様子を見つめていた。
「こうやって食べるんだ」
アレクシスは笑みを浮かべ、スープ皿にスプーンを添えると、静かに口へ運んで見せた。
それはまるで子供に教える兄のように、優しく、自然な動作だった。
ヴェルは、こくりと小さく頷き、震える手でスプーンを取る。
おそるおそる、スープを一口――
その瞬間、彼女の瞳がぱっと輝いた。
温かく優しい味に、思わずほっとしたような笑顔が浮かぶ。
次にヴェルは、再びアレクシスをじっと見つめた。
「次は?」と言いたげに、小さな瞳が問いかける。
アレクシスは今度、メインのステーキにナイフとフォークを添え、
「こう切って、こう持って……」と手本を示すように食べてみせた。
ヴェルはぎこちなく、でも真剣に真似をする。
小さな手でナイフとフォークを扱い、一口――
その瞬間、彼女の目はさらにキラキラと輝いた。
美味しさに驚き、そして幸福そうに口元がほころぶ。
その様子があまりに無邪気で、アレクシスは思わず吹き出してしまった。
「……はは、そんなに美味しいか?」
ヴェルは少し驚いたように彼を見つめ、
けれどすぐに、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに小さく頷いた。
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次回エピソード
* ヴェルの謎 *
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