表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

* 少女との出会い *

城の静かな庭園に、紅茶の香りがふわりと漂っていた。

アレクシスと聖女が、木漏れ日の下で向かい合っている。


包帯を巻かれた右手で、アレクシスは静かに紅茶を口に運んだ。

湯気越しに彼女を見つめながら、ひとつ息をつく。


「聖女様……本当に、明日も出陣なさるのですか?」


低く静かな声には、拭いきれない迷いが滲んでいた。


ティーカップを置いたルクレツィアは、少しだけ眉を下げて微笑む。


「もう、そう堅苦しく呼ばないでって言ったでしょう? ここでは“ルクレツィア”よ」


ふわりと笑ったあと、毅然とした口調で続けた。


「ええ、もちろん出陣するわ。民を苦しめるわけにはいかないもの」


けれどアレクシスは、納得しきれない様子で問い返す。


「……しかし、お体にご無理を重ねれば……」


その言葉に、ルクレツィアはさらりと笑い、軽やかにカップを掲げてみせた。


「大丈夫。この通り、元気よ」


柔らかな笑顔。その笑みの奥を、アレクシスは探るように見つめていた。


百五十年前、先代の聖女は聖なる光を放つたび、数日間は床に伏したという。

だが――


今代聖女、ルクレツィアは違った。

彼女は何度でも、休むことなく、聖なる光を放ち続けた。

幾千の魔物を、瞬きの間に焼き尽くしてきた。


その圧倒的な力ゆえに、人々は彼女をこう呼ぶようになった。


――歴代最強の聖女、と。


ルクレツィアはそっと紅茶を口に含み、ふう、と静かに息を吐いた。

その瞳に、かすかな陰りが落ちる。


「……それに、今日のように突然、大量の魔物が現れる現象……最近、増えてきているの。心配だわ」


アレクシスの表情も引き締まる。


それは、ここひと月ほど続いている異変だった。

前触れもなく、裂ける空間から魔物が出現し、村や街を襲う。

抵抗する間もなく滅んだ集落も、すでに複数あった。


だが、ルクレツィアの“予知”により、いくつかの村は救われていた。

彼女がいなければ、犠牲はさらに広がっていたはずだ。


アレクシスはふと思い出し、問いかけた。


「……“厄災の魔女”が関係している、と……?」


ルクレツィアは静かに頷く。


「ええ。あの者は、かつて塔に封じていたのだけれど……ひと月ほど前に脱走してしまったの」


ふっと視線を落とし、言葉を選ぶように続ける。


「早く捕らえなければ、また犠牲が出るわ……」


アレクシスは考え込むように眉を寄せた。


「それほどの脅威であるなら……倒すべきでは?」


その問いに、ルクレツィアはゆるく首を振った。


「……無理よ。どれほど攻撃しても、死なないの」


その声には、僅かな苛立ちと戸惑いが混じっていた。


「だから、捕らえて封じ込めるしかない。けれど……近づくことさえ、兵士たちには難しいのよ。"あれ"には、何か不思議な力がある……」


ほんの一瞬だけ、彼女の目元に、不安にも似た揺らぎが見えた。


「……今は何とか食い止めているけれど。いつか……わたくしにも牙を向けるかもしれないわね」


その声はあくまで淡々としていたが、言葉の端に、微かに割り切れない響きが残っていた。


まるで、自分でも言いきれぬ何かを、胸の奥にそっと抱え込んでいるかのように。


アレクシスは黙ってその声を受け止めた。

やがて、静かに彼女を見つめ、迷いのない瞳で言葉を紡ぐ。


「――ルクレツィア様。俺が、魔女を捕らえます」


ルクレツィアの瞳が、かすかに揺れた。


「……お辞めなさい。危険すぎますわ」


だが、アレクシスは揺るがぬ声で応じた。


「いえ。この命に代えて、あなたを守ります。それが、俺の務めですから」


それは強く、真っ直ぐな言葉だった。


ルクレツィアはしばし沈黙し、やがてゆっくりと顔を上げる。


「――ふふ。頼もしいのね、アレクシス。期待しておりますわ」


やわらかな笑みを浮かべながら、ルクレツィアはそっと手を差し出した。


アレクシスは黙ってひざまずき、その華奢な手を両手で包む。

そして、慎ましく、しかし深い敬意を込めて、その甲に唇を寄せた。


それは忠誠と、誓いと――

そして、ほんのわずかに滲んだ、言葉にならぬ敬愛の証。


春の光が柔らかに降りそそぐ庭園に、静かな誓約の時が流れていた。



* * *



翌日の昼下がり、アレクシスは、魔女が現れたという村に到着した。


噂に聞いていた“厄災の魔女”――

だが、その姿は、アレクシスの想像とはまるで違っていた。


粗末なノースリーブのワンピースをまとい、痩せ細った手足は傷と痣で覆われている。

幼く、あどけない顔立ちはどう見ても十歳前後。とても、“魔女”とは思えなかった。


アレクシスは言葉を失い、ただ距離を保ったまま、静かに少女を見つめていた。


少女は、村の外れをあてもなく彷徨っていた。

誰にも近づかず、ただ遠くから村の様子を眺めているだけ。

何をするでもなく、何かを求めるでもなく――その無表情な瞳が、どこか現実から遊離しているように見えた。


村人たちもまた、少女の異様な存在に怯え、誰一人として近づこうとはしなかった。

厄災の魔女――そう噂されているだけで、怯えるには十分だった。


少女は一言も発せず、何も口にせず、

時には地面に膝をつき、

時には冷えた地面にその身を横たえ、ただ空を見つめていた。


今のところ、危害を加える様子はない。

けれど、それがかえって不気味さを際立たせていた。


彼女は、ただ“存在している”だけだった。

そう思えるほどに、何も起きなかった――日が落ちるまでは。


静寂が破られたのは、その夜。


少女がふと立ち上がり、人影のない広場へと歩き出した。

胸の前で、祈るようにそっと手を組む。


次の瞬間、広場の空気が白くゆらぎ、かすかな光が輪のように広がった。


(……結界か?)


アレクシスの直感が、危機の気配を察知する。


そして。


少女の周囲に、禍々しい気配が滲みはじめた。

黒く濁った瘴気が、どこからともなく湧き上がり、少女を呑み込むように集まっていく。


少女の体がふるりと揺れ、膝から崩れ落ちた。


「っ……あ……!」


押しつぶされるように、胸元をかき抱く。

それは、恐怖か、苦痛か、それとも、理解を超えた絶望か。


「う、うわあああああ……!! ああああああっ……!」


叫びとともに、少女は自らの腕に爪を立てた。

細い肌に血がにじみ、それでもなお苦痛に耐えようと必死に震えている。


誰にも助けを求めることなく、倒れることもせず、ただ――耐えていた。


その姿に、アレクシスの胸が締めつけられた。


思わず駆け寄ろうとする。

だが、目前で透明な壁のような力に弾かれた。


「くっ……!」


何もできない。

ただ、見ていることしかできない。


どれほどの時間が過ぎたのか。

それとも、ほんの数秒の出来事だったのか。


瘴気はやがて消え、少女はその場にぱたりと倒れた。

辺りには、静寂だけが残る。


アレクシスはゆっくりと近づいた。

さきほどの結界は、もう感じられない。


彼はそっと、その小さな体を抱き上げた。


――軽い。驚くほど、軽かった。


服も髪も汚れ、無数の傷に覆われながらも、その顔立ちは美しく整っていた。


その細い首には、古びた黒い首輪がはっきりと巻かれていた。

中央には血のように赤い宝石がはめ込まれ、不気味なまでの存在感を放っている。


触れれば壊れてしまいそうな儚さが、そこにはあった。


「……これが、“厄災の魔女”?」


思わず、腕に力が入る。


その瞬間――


バチッ、と空気が弾ける音がした。


アレクシスの体が突き飛ばされ、地面に叩きつけられる。


すぐに剣を抜き、身構える。


だが、敵意は……なかった。


少女は、小さな体を震わせながら、ただ怯えた目で彼を見上げていた。

その目は、闇の中に置き去りにされた子供のようで。

恐れと戸惑い、そして、どこか諦めの色を湛えていた。


アレクシスは、静かに剣を下ろし、膝をついた。


「……さっきのは、なんだ?」


少女は、びくりと肩を揺らし、視線をさまよわせた。

小さく息を呑んでから、かすかに唇を震わせた。


「……わか、らない……ときどき……なるの……」


風に消えそうな声。かすれた呼吸。


アレクシスは一瞬、迷うように目を細める。


「あれは……誰かを傷つけるものなのか?」


アレクシスの問いに、少女はぎゅっと胸元を抱きしめたまま、怯えたようにかすかな声で答えた。


「……くろいモヤモヤ……でも……さわらなければ、たぶん……だいじょうぶ……」


その声音には、必死に伝えようとする純粋さがにじんでいた。


(……なるほど。瘴気に触れなければ無害。

だからこそ、あの結界で人を近づけなかったんだ)


アレクシスは彼女を見つめ、判断する。

少女に、誰かを傷つけようとする意図は見られなかった。


やがて彼は、ゆっくりと剣を鞘へと戻した。


「……わかった。なら、それは“悪いもの”じゃないな」


少女の目が、かすかに見開かれた。


そして――ほんの小さく、こくん、と頷いた。


アレクシスは息を吐き、穏やかに微笑んだ。


「皆が怯えてる。……お前、俺の屋敷に来ないか?」


少女の肩が、わずかに震えた。


「……こわいこと、しない……?」


その問いは、怯えながらも、どこか信じたいという願いがにじんでいた。


アレクシスは、まっすぐに頷いた。


「ああ。しない」


また、沈黙。


やがて――少女は、小さな声でつぶやいた。


「……わかった」


その声は、まだ震えていた。

けれど確かに、そこには――小さな救いを求める響きがあった。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。


次回エピソード

* 少女との生活 *


よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ