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19/21

* ヴェルの過去 *

※残酷な描写あり

ルミナリア王国の中庭。

春の陽射しがやわらかく降り注ぎ、風に揺れる花々が甘い香りを運んでいた。


ヴェルは一人、回廊を歩いていた。

ふと、目の前の花壇の向こうに、小さな男の子の姿が見えた。


金色の髪が、陽に透けてきらきらと光っている。

その髪はまだ幼いのに、どこか整っていて、品があった。

風が吹くたび、ひかりの粒が飛び散るように見えた。


その子は、まっすぐ前を見つめて立っていた。

澄んだ碧の瞳。まだあどけない顔立ちなのに、不思議と強さがあった。


ヴェルは、立ち止まって見つめた。


――どうしてだろう。

胸が、ほんの少しだけ、きゅっとなった。


遠くから見ているだけなのに、何か、懐かしいような、ずっと前から知っていたような……言葉にできない想いが胸の奥に広がる。


――その静けさを破ったのは、甲高い悲鳴だった。


「きゃあっ、魔物よ! だれか――!」


叫んだのは、花壇のそばにいた少女。七歳のルクレツィアだ。

その隣にいた、美しい衣をまとった王妃も目を見開き、慌てて娘を庇うように抱き寄せた。


「衛兵を呼んで! 魔物が……!」


その声に、ヴェルもはっとして顔を上げる。

視線をやった先、中庭の木立をかき分けるようにして、黒い影が飛び出してきた。


魔物――。


息が止まった。


想像よりもずっと恐ろしい姿。全身から黒い瘴気を撒き散らし、唸り声をあげながら突進してくる。


その行く先に――あの子がいた。

さっき、陽の光のなかで優しく立っていた、金髪の少年。


少年の前に現れた護衛の子が吹き飛ばされる。

魔物はそのまま、少年に襲いかかった。


――次の瞬間、耳に飛び込んできたのは、肉が裂けるような音と、悲鳴のような叫びだった。


右腕を抑える少年の姿。

噛みつかれたところから、真っ赤な血が噴き出していた。


「――っ!」


小さな悲鳴が喉にひっかかる。

怖い。動けない。けれど――


(このままじゃ、あの子が……!)


胸の奥で、何かが弾けた。


次の瞬間、手のひらが熱くなった。

眩しいほどの光が、身体の中心から広がっていく。


――守らなきゃ。


その想いだけで、気づけば身体が勝手に動いていた。


まばゆい光が、魔物を包んだ。

闇の塊のようなその存在が、音もなく塵となって消えていく。


やがて光が収まると、少年は倒れかけていた。

右腕からは血が流れ、顔は真っ青だった。


ヴェルは駆け寄り、そっと膝をつく。

アレクシスの腕を見ると、深く裂けた傷口から血がにじみ出ている。

ひどい傷――見ているだけで、胸が苦しくなる。


どうしよう。こんなの……どうしたらいいの?

助けたいのに、何もわからない。けれど――


(……なんとか、できる気がする)


理由も根拠もなかった。

けれど、不思議と確信があった。


「……だいじょうぶ?」


そっと傷口に手をかざす。

ぽうっと温かな光が灯り、血が止まり、傷が少しずつ癒えていった。


少年が、うっすらと目を開ける。


「……いたくない」


その言葉に、ヴェルは思わず、ほっと微笑んだ。


「よかった」


そのとき、少年の顔に、安堵の色が浮かんだ。

そして、ゆっくりとまぶたを閉じる。


しん――と静まり返った中庭に、王妃の声がぽつりと落ちた。


「……これは……聖女の力……?」


その声はかすかに震えていた。

悔しさと屈辱が、声の端々に滲んでいた。


ルクレツィアが顔をひきつらせ、震える声を漏らす。


「なんですって……?」


じっと、ヴェルを見つめる。

その瞳に宿った感情が、静かに憎悪へと変わっていくのを、ヴェルははっきりと感じた。


「どうして、アンタが……」


呟きながら一歩踏み出すと、彼女の表情は見る間に歪んだ。


「ありえない! ありえない、ありえないっ!!

卑しい血のアンタが……なんで……なんで聖女なのよっ!!」


その声は鋭く、叫びに近かった。


そのとき。


ふ、と胸の奥にざらりとした違和感が走る。


(……?)


それが何かは分からない。

だが、体の奥底が、危険を察知していた。

魔物に似た何かが迫ってくるような、そんな気配。


(このままここにいたら……)


言葉にはならなかったが、何かが自分に告げていた。

「ここにいてはいけない」と。


ヴェルは視線を落とし、小さく震える手を握りしめた。


そして、誰にも何も言わず、静かにその場から立ち去った。



* * *



それから、ほどなくして――

王宮の中で、ある噂が静かに広がり始めた。


アレクシス王子を救ったのは、“聖女ルクレツィア”の奇跡だった――と。


人々は歓声を上げ、称え、未来の聖女に熱狂した。

だがその裏で、ヴェルには「部屋から出ること」が禁じられた。


一年が過ぎようとしていたある日――

ヴェルのもとを、久しぶりに母が訪れた。

品のある笑顔の奥に、どこか翳りが見えた。


「ごめんなさいね、ヴェル……わたくしが、もっと上手く立ち回れたら……こんなことには……」


「ううん。私は……本があれば、平気だよ」


ヴェルはそう言って、そっと母に笑いかけた。


「……また、新しいの、持ってきてくれる?」


「もちろん。待っててね」


母は優しく微笑み、部屋を出ていった。


――その夜。


静寂を破るように、重い足音が響いた。


扉が開かれた瞬間、見慣れぬ兵士たちが部屋に雪崩れ込んできた。

その後ろに立つのは、ルクレツィアと王妃、そして――顔をフードで隠した、背の高い男。


最後に、彼らに突き飛ばされるようにして入ってきたのは、ヴェルの母だった。

その胸元に、冷たい剣が突きつけられている。


「騒ぐな。母親を傷つけられたくなければ、大人しくしろ」


兵士の一人が、無表情のままそう言った。


ヴェルは、呆然と立ち尽くしていた。

目の前で、黒いローブの男――ゼフィルが、古びた首輪を取り出す。


「……やめて、ください……」


母が、震える声で懇願した。


だが、ゼフィルはまるで聞いていないかのように、くすりと喉を鳴らす。

細く笑うその口元は、喜びに歪んでいた。


「……これは特別製なんですよ。

魂に触れ、血の奥深くまで入り込み……すべてを“管理”できる。

どうか楽しんでくださいね、我が“供給源”」


ゼフィルの手が、ヴェルの首元にそっと伸びる。

その動きは、まるで芸術品を飾るかのように丁寧で、同時に残酷だった。


――カチリ。


首輪がはめられた瞬間、赤い宝石が鈍く脈打つように光を放った。

次の瞬間、黒い靄がふわりと立ちのぼり、蛇のようにヴェルの首筋へと絡みつく。


「……あっ……」


冷たいものが皮膚に這い、じわじわと内側に染み込んでいく感覚。

魔力が、まるで水底に沈められるように、じりじりと圧迫される。


ヴェルの瞳が揺れる。

頭の中で何かが軋むような音がして、別の“何か”が入り込んでくる。


「……いや……っ……!」


痛みと混乱、恐怖が一気に襲いかかってくる。

頭痛。めまい。吐き気。自分の体が、自分のものでなくなるような感覚。


小さな身体がふらりと揺れた。

そのまま、床へと崩れ落ちるヴェル。


首輪の赤い宝石が、脈を打つように鈍く輝き、黒いもやが彼女の首筋にぴたりと張りついた。

その光景を、ゼフィルはまるで美術品でも眺めるように、うっとりと見下ろす。


「……美しい。まさに完璧な結合だ……」


低く囁いた声が、狂気を帯びて震える。


「これでようやく、“神の生贄”が完成する……!

ははっ、はははははっ……!!」


笑い声が、部屋に響き渡った。

それは歓喜と陶酔、優越感に満ちた、異様な笑みだった。


――その足元で、ヴェルは静かに横たわり、微かに唇を震わせていた。


(……おかあ……さま……)


世界が、暗く閉じていった。





――気がつくと、そこは冷たく、暗い部屋だった。


硬い床。乾いた空気。微かな血と鉄の匂い。


その中で、誰かが自分を抱きしめている。

あたたかくて、震えていて、そして泣いていた。


「……あなた……だれ……?」


ぼんやりとした視界の中で問いかけると、目の前の人が、悲しげに笑った。


「ヴェル……わたくしは……お母さまよ」


優しく、泣きそうな声で、母はそう言った。


「大丈夫。わたくしが、ずっとそばにいて守ってあげる。何があっても、必ず――」


「おかあ、さま……?」


ヴェルは、その言葉の意味も、記憶の輪郭もよくわからなかった。

けれど、目の前の人が大切な人であることだけは、肌が覚えていた。


母は言葉を続けられずに、ヴェルをぎゅっと抱きしめ、声を殺して泣いた。

その涙は、床に落ちてもなお温かく――

やがて、ふたりの運命を、静かに閉ざしていった。



* * *



「お母さまが亡くなってからは、寂しさと、寒さと、空腹で……毎日のように泣いていました」


ヴェルは静かに語り続ける。


「でも、泣いても、誰も来てはくれなくて……。そのうち、何も感じなくなって……私は、眠るようになったんです」


ふと目を伏せる彼女の声は、どこか遠くを見つめていた。


「瘴気に襲われた時と、兵士が血を採りに来た時だけは……さすがに眠っていられませんでしたけど。

それ以外は、ほとんど――ずっと、眠っていました」


その瞳に、一瞬だけ過去の影が差したが、すぐに柔らかく微笑む。


「……時々、記憶を失う前の夢を見ることができたんです。それが、嬉しかった」


アレクシスは、そっと息を呑む。


「城の中庭で助けた男の子の夢も……何度も、見ました。

アレク様が私を拾ってくださったあと、どうしてもあの右腕の傷を癒したくて……

夢の中で感じた“あの時の感覚”を、必死に思い出しました。

そして、治癒魔法を身につけたんです」


ヴェルは、アレクシスを見つめて、微笑む。


「……それが、まさか……アレク様だったなんて」


その一言で、アレクシスの胸に熱いものが広がった。


彼女がどれほど苦しみに耐え、どれほど孤独の中で想いを抱き続けてきたのか――。

それを思えば、胸が締めつけられる。


彼女の真っ直ぐな心。

決して絶望に染まらなかった強さ。

そして、人のために何かしたいと願い、ひたむきに努力する健気さ。

――そのすべてが、愛おしくて仕方なかった。


目の前の少女を、今すぐ抱きしめたかった。

その小さな体ごと、すべてを守ってやりたかった。


ふたりの視線が、重なる。

ただそれだけで、空気が熱を帯びる。

まばたきも忘れるほど、まっすぐに――ただ、見つめ合っていた。


――パンッ!


突然、乾いた音が響いた。


現実に引き戻され、ふたりはハッと目を瞬かせる。


「はいはい、そんな暇ないからねー」


エレノアが勢いよく立ち上がった。


「さっさと片付けに行くよー!」


彼女の声が、軽やかに響いた。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。


次回エピソード

* 真実が暴かれる日 *


よろしくお願いいたします。

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