* 想いの終着点 *
ヴェルの手が、そっとアレクシスの右手のひらに触れる。
そこには深く刻まれた傷――
けれど、彼女の指先から溢れ出す光が、それを優しく包んでいった。
不思議な温もりがじわりと広がり、
滲んでいた血はすっと消え、傷口は、まるで最初から何もなかったかのように――綺麗に、癒えていく。
アレクシスが、ふと微笑んだ。
「……この光景、覚えてるか?」
「え?」
「七歳のころ。城の中庭で、同じように、治してくれたろ?」
ヴェルは一瞬目を丸くし、それから――記憶の底にあった光景が、ふわりと浮かび上がってくる。
「あ……あのときの男の子……アレク様だったんですか?」
「そう。癒してくれるときの、この温かさと……君の微笑み、すごく好きなんだ。あの日からずっと、ずっとね」
彼はそっと目を細め、言葉を継ぐ。
「一緒に暮らすようになってから……君は、何にでも心から感動して、誰かのために一生懸命で。
その姿が愛おしくて、ずっと見ていたいって思った。
気づけば、もっともっと好きになってたよ。
だから――ヴェルが、そんなふうに想ってくれてることが……嬉しい」
アレクシスの言葉に、ヴェルは小さく瞬きをして、そっと視線を落とした。
「でも……私は、“厄災の魔女”で……」
その言葉は、静かに落ちた。
胸の奥に沈んでいた不安が、ぽつりと顔を覗かせる。
アレクシスは、すぐに首を横に振った。
「それがどうした。そんなもの、俺にとっては関係ない。
ヴェルだからいい。……君じゃなきゃ、だめなんだ」
真っすぐな瞳で、彼は言い切る。
その真剣な眼差しに、ヴェルの喉が小さく揺れた。
そして、俯いたまま、思い切るように声を絞り出す。
「……でも。あの時……屋敷で、聖女様とお話しなさってた時……
“厄災の魔女と結ばれるなんて、ありえない”って……」
その場面が、鮮明に蘇る。
*
「……分かっています。
魔女に心を寄せるなど――ありえません」
かすかに震える声。
アレクシスは、その揺らぎを封じるように、聖女を――ルクレツィアを、そっと抱きしめた。
「俺が守ると誓ったのは……聖女様、貴女です。
その誓いを裏切るようなことは――決してしません」
*
ヴェルの目が、切なげに揺れる。
「……あの時、見てしまったんです」
アレクシスの表情が、ほんのわずかに曇った。
「そっか……見られてたんだな」
そう言って、小さく息を吐く。
「……俺は騎士だから。
世界や民のことを考えなきゃいけなかった。
たとえ君のことが、どれほど好きでも――その気持ちひとつで、聖女を裏切り、国や人々を背くようなことは……できなかった」
その言葉に、ヴェルの胸が締めつけられる。
ならばなおのこと、自分のような“魔女”は、そばにいてはいけないのだと。
けれど――
「でも――君が、聖女だって気がついてからは、もう……止めるの、必死だった」
アレクシスは、困ったように笑った。
「え……?」
ヴェルが驚いて見上げる。
「わたし……聖女、なんですか……?」
「うん。まだはっきりと証明はできないけどね。
でも、君の使う結界も、治癒魔法も――先代の聖女が使ってた力なんだ」
アレクシスの言葉に、ヴェルの目がわずかに見開かれる。
「……それに、聖なる光も。君は覚えてないみたいだけど、七歳のとき……使ってたんだよ」
「……!」
「いま使えないのは――あの首輪が、関係してるんじゃないかって思ってる。
だから、一緒に旅に出て、調べようと思ったんだ。
君が“真の聖女“だって証明するためにね」
ヴェルの胸が、じんわりと熱くなる。
目の前にいる彼は、今までも、これからも――
ずっと、自分のために立ち止まってくれる人なのだと、静かに気づいた。
「それで、他に心配なことは?」
アレクシスが優しく問いかける。
ヴェルは少し考えて、首を振った。
「……ないです」
「……よし、それじゃあ」
アレクシスが、そのままヴェルをふわりと抱き寄せた。
「……あ、アレク様?!」
突然の温もりに、ヴェルの心臓が跳ね上がる。
「ごめん。……もう、抑えるの、限界で」
「え……」
ヴェルの目が、ぱちぱちと瞬く。
アレクシスは、そっとその頬に手を添えた。
「ヴェル。……キス、していい?」
その声は、ひどく優しくて、どこか震えていた。
ヴェルは、瞬きを止めたまま、ただ彼の顔を見つめ返す。
アレクシスの瞳が、苦しそうなほど真剣で――
抑えきれない想いが、滲み出ていた。
ヴェルの胸が、ぎゅっと熱くなった。
これまで心の奥に閉じ込めていた想いが、堰を切ったようにあふれ出す。
触れたい、彼を感じたい――そんな想いが、ヴェルの背中を押す。
「……はい」
その一言で、ふたりの距離がゆっくりと縮まる。
月明かりの下。
柔らかな風が、髪を揺らす。
光る蛍が、ふたりの周囲をふわりと舞った。
静かに――唇が重なる。
互いの想いが胸の奥で弾け、まるで星が瞬くように、世界が優しく色づいていく。
やがてそっと離れると、ふたりは見つめ合った。
瞳の奥にあるのは、揺るがない気持ちと、寄り添うような微笑み。
そのぬくもりを確かめるように、
ふたりは、ゆっくりと目を閉じ、再び唇を重ね――
「いやー、若いっていいわねえ~。潤うわあ~」
「……!?」
突如として割り込んだ声に、ふたりの動きが凍りつく。
振り向けば、欄干にもたれるひとりの女の姿。
エレノアだった。
肘をつき、ワイングラスをくるくると回しながら、にやにやと口角を吊り上げている。
いつからそこにいたのか――まるで幽霊のように気配がなかった。
「い、いつから……いらっしゃったんですか?」
「んー、あんたが“お母さまのところに行かせて”って泣いてたとこからかなあ」
(えっ、そんな前から!?)
ヴェルの頬がさっと赤く染まる。
「ってかさー。人ん家で死のうとするの、やめてくんない?」
「ご、ごめんなさい……」
ヴェルがしゅんと肩をすぼめると、エレノアはふっとグラスを傾けてひと口。
「ま、そんなことしても、あんたは死なないけどねー」
「え……? 私が死なないのって……首輪のせいじゃないんですか?」
「魔道具にそんな都合のいい効果つけられるわけないでしょ。
あれのせいじゃなくて――あんたが“聖女”だからよ」
「ちょっと待て。聖女は……死なないのか?」
アレクシスの声に、エレノアが目をぱちくりさせる。
「へ? ……まさか、知らなかったの?」
「そんな記録は……少なくとも、文献にはない」
「……はあー、マジかー……」
エレノアは肩を落とし、グラスを置くと、両手で顔を覆った。
「ねえ……これ、世界の命運に関わる話よ?
どうして誰も記録しておかなかったの!?
忘れるなんて、ありえない!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、彼女は手を振り上げ、早口でまくしたてる。
「いい? 不死身な体、治癒魔法、魔物撃破に守護壁―― これが聖女の能力なの! 基本中の基本よ?」
そのまま一息で言い切ると、さらに畳みかけるように手を振り上げた。
「ってことは、魔物撃破を使えば反動がくるのも、忘れちゃったのかしら? 騎士と触れ合えば浄化されることも?」
深いため息をつき、顔を覆ってぼやく。
「ああ、なんて愚かなの……」
唐突に始まり、唐突に締めくくられる、まさにエレノア一人劇場。
「まあ、そこは……あんた達が悪いわけじゃないんだけどさ」
ひと息つくと、ぴしっと人差し指を立て、ふたりに向き直った。
「でも、いい? 世界はキミたちの手に委ねられてるの!
なのに、こんなへっぽこメンタルじゃ困っちゃうわ」
「ご、ごめんなさい……」
ヴェルが小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに頭を下げる。
エレノアはそんな彼女を見下ろし、容赦なく告げた。
「分かったなら、とっとと何とかするよ!
これ以上、無茶苦茶にされてたまるかっての!」
風が通り抜けるバルコニーに、エレノアの怒鳴り声が響き渡った。
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次回エピソード
* “聖女”と“騎士”の真実 *
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