表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/21

* エルフの村 *

霧が濃く立ち込める世界樹の森。

足元の枯葉を踏みしめる音が、緊迫した空気を煽る。

アレクシスとヴェルは、迷いなく森の奥へと駆け込んだ。


その背後――

複数の足音が、土を蹴り、枝を払って迫ってくる。


「くっ……追ってきたか」


アレクシスが低く唸った、その時だった。


――ドン、と地が鳴る。


「……!」


土煙が舞う。

前方の木立が不自然に揺れ、鈍く唸るような音とともに、何かが――巨体が姿を現した。


漆黒の瘴気に包まれた異形の魔物。

樹の幹ほどもある脚が地を叩くたび、大地が軋む。

口からは滴るように黒い涎が垂れ、鋭く伸びた牙が月明かりを受けて鈍く光っていた。


「くっ……!」


アレクシスは即座に剣を抜き、前に出る。

が、目の前を覆うように立ち塞がったその巨体に、逃げ道は完全に塞がれた。


背後から――


枯れ枝を踏み割る音。土を蹴る足音。

すぐそこに、追っ手が迫っていた。


「いたぞ!」


木の影から兵士たちの姿が現れる。

剣を抜き、こちらにまっすぐ駆けてくる。


「……ヴェル、後ろは俺が守る。君は……!」


「はい、結界をはります!」


ヴェルが一歩下がり、両手を胸の前で組む。

その手のひらに、柔らかな光が宿る――


だが、その瞬間だった。


「――こっちよ!」


鋭い女の声が、森の右手から突き刺すように響いた。


はっとして視線を向けると、苔むした巨大な木の幹。

そこに、不自然に歪んだ空間がぽっかりと開いていた。


「入って!」


声が、歪みの中からこちらを呼ぶ。


「行こう!」


アレクシスが迷いなく叫び、ヴェルの手をぐっと掴む。

そしてふたりは、追っ手と魔物の咆哮を背に、歪んだ空間へと飛び込んだ。


一瞬、空間がきらめく。


そして――


何事もなかったかのように、木の幹は元の静けさを取り戻す。

風も止み、ただ古木が、黙して立ち尽くしていた。



* * *



巨木が連なる森の奥、ひときわ大きな一本の木の根元に、緑に包まれた村がひっそりと広がっていた。

苔むした木の幹に、丸く削られた扉や窓。木の中に溶け込むようにして建てられた家々が、静かに息づいている。

空には蛍にも似た光る虫たちが、ふわふわと舞い、辺りを淡く照らしていた。

鳥のさえずり、虫の音、木々のざわめき――すべてが調和した、幻想的な癒しの空間だった。


そんな静けさの中に、異質な気配がひとつ。

村の一角、巨木の根元に腰を下ろし、アレクシスとヴェルが肩で息をしていた。

逃げ切った直後の緊張と疲労が、二人の呼吸を乱している。


「ふう……危なかったわね」


涼やかな声が、静かな森の空気を揺らした。

顔を上げると、そこには女性がひとり立っていた。


「ヴェルとアレクシスだったわね。

はじめまして」


そう言って、ヴェルに手を差し伸べる。


すらりと伸びた肢体に、動きやすそうで洗練された装い。

高く結ったポニーテールが肩越しに揺れ、尖った耳がちらりと覗く。

大人びた顔立ちに、凛とした気品を宿しながらも、どこか軽やかで自由な雰囲気をまとっていた。


ヴェルは差し出された手を一瞬見つめ、そっと掴む。

立ち上がると、少し見上げるようにして問いかけた。


「あなたが……伝説の魔道具師様ですか?」


女性は目を瞬かせ、困ったように頭をかいた。


「あー、その、“伝説の”ってやつ。

やめてくれる? なんかむず痒くて。

エレノアでいいわ」


そう言って、ヴェルの前にビシッと人差し指を立てた。


「エルフって、五千年くらい生きるから、よく歳を聞かれるんだけど、そこはノーコメントよ。

あと、堅苦しいのも嫌いだから。よろしく」


「ああ、よろしく」


いつの間にか立ち上がっていたアレクシスが、自然な調子で応じた。


それにならい、ヴェルもぺこりと頭を下げる。


「よろしくお願いします」


「うんうん。んじゃ、とりあえず――」


エレノアはにかっと笑みを浮かべ、奥にある木の家を親指で指した。


「うちに行こうか。

お茶しながら、ゆっくり話そ」


木々の間を吹き抜ける風が、三人の背をそっと押した。



* * *



樹齢千年を超えるという巨木の中に造られた、自然と調和した穏やかな空間。


リビングの中央に据えられた大きな木製テーブルには、色とりどりのハーブティーと手作りのクッキーが並べられている。

温かな湯気と甘い香りに包まれながら、三人は和やかにティーカップを傾けていた。


ヴェルが小さく息を吸い込んでから、口を開いた。


「あ、あの……!

早速なのですが……

この首輪、外せますか?」


ヴェルがローブの襟元を少し開き、古びた黒い首輪を見せた。


「どれどれ、ちょっと見せてね」


エレノアは椅子から立ち上がり、ヴェルのもとへ近づくと、しゃがんで丁寧に首元を覗き込む。


慎重に手を伸ばすと、黒い金属の継ぎ目や、宝石の周囲に施された魔術式を指先でなぞるように調べた。


「……うん、これならいけるわ」


少し笑って立ち上がると、手をひらひらと振る。


「準備するから、待っててくれる?」


ヴェルはパッと顔を輝かせ、嬉しそうに「はい!」と返事をした。


「よし、じゃあ明日、朝から始めるわよ。

今夜はゆっくり休んでね」


そう言いながら、エレノアは部屋の奥を指差す。


「部屋はあそこで、二部屋好きに使って。

バルコニーからの眺めはサイコーよ!」


弾むような声に、ヴェルとアレクシスは思わず顔を見合わせ、そっと微笑んだ。



* * *



エルフの村を一望できる高台のバルコニー。

苔むした巨木の葉が月光を弾き、蛍のように光る虫たちが空に漂っている。

遠くで、森の鳥がひと鳴きした。


ヴェルは手すりにもたれ、風にそよぐ髪をそのままに、幻想的な景色を見つめていた。


木製の扉が静かに開く。


「ここにいたのか」


振り返らずにヴェルは微笑む。


「はい。すごく綺麗で……ずっと眺めていられますよ」


アレクシスが隣に立ち、しばらく二人は言葉を交わさず、景色を眺める。

夜風が静かに吹き抜けた。


「ヴェル、あのとき……結界を張ってくれただろ」


その言葉に、ヴェルははっとして振り向いた。

だがすぐに、小さく肩をすぼめ、申し訳なさそうに目を伏せた。


「……勝手に外に出て、ごめんなさい」


小さな声。

咎められると思っていたのだろう。

アレクシスは、ふっと苦笑して首を横に振った。


「心配してくれたんだろ? 助かったよ」


かすかに笑みを浮かべながら、そっと手を伸ばす。

風に揺れる髪を、優しく撫でた。


その仕草に、ヴェルは驚いたように目を丸くした。

けれどすぐ、瞳がふわりと緩んで、安心したように微笑んだ。


その笑顔が――

アレクシスの胸に、またひとつ火を灯す。


「ヴェル。……首輪、光っただろ?」


彼の声が低く落ちる。真剣な響きだった。


「そろそろ……来るんじゃないか?」


「あ……瘴気……」


怯えるように呟いたヴェルの声に、アレクシスはすぐさま腕を広げる。


「おいで」


その一言に、ヴェルは一瞬だけ迷い――そっと彼の胸に身を預けた。


温かくて、広くて、確かで。

その腕の中にすっぽりと包まれるだけで、不思議と心が落ち着いていく。


黒い瘴気が静かに現れ、ヴェルの周囲を覆い始める。

だがその刹那、ふたりの間に生まれた淡い金の光が、やさしく世界を包み込み、瘴気を音もなく霧散させてゆく。


「よし。もう大丈夫だな」


囁く声が、そっと耳元に落ちた。


ヴェルはそのまま目を閉じた。

この胸のぬくもりを、心の奥に深く焼きつけるように。


やがてゆっくりと瞳を開けて、彼を見上げる。


「……アレク様。ありがとうございます」


そして、もう一言。


「……それから――」


唇がかすかに動きかけて、けれど言葉になる前に、止まった。


アレクシスは優しく目を細める。


「ん?」


ヴェルは小さく首を振った。


「ううん、なんでもないです」


その仕草が、どうしようもなく愛しかった。


だが――その瞬間だった。


アレクシスの中に渦巻いていた想いが、堰を切ったようにあふれ出す。


(もし――間に合わなかったら)

(もし、あの場でヴェルを失っていたら)


胸の奥が焼けるように熱い。

言葉にできない感情が、息苦しいほど詰まっていた。


「……ヴェル」


低く、絞るような声で名を呼ぶ。


抱きしめる腕に、自然と力がこもった。

彼女の存在を確かめるように。

もう絶対に、離さないと誓うように。


「アレク……様?」


不安げに顔を上げたヴェルに、アレクシスはぽつりと呟いた。


「……無事で、……よかった……」


その言葉は、静かだった。

けれど、彼の背中が小さく震えていた。

声には出さない涙が、彼の心から溢れていた。


(こんなにも……私のことを)


ヴェルは驚いた。

ここまで深く、強く、心配してくれていたのだと。


そして――胸が痛んだ。


(……こんなにも優しい人を、私は傷つけようとしてる)


それでも、自分が消えなければ、彼は幸せになれない。

可哀想な魔女がひとりいなくなったところで――この人なら、いずれ笑えるようになる。


(……聖女様と結ばれたら、きっと、もっと幸せになれる。私のことなんか……すぐに忘れてしまうわ)


――だから、少しだけ。

悲しませることを、どうか許して。


そんな願いを込めて、そっと呟いた。


「……ごめんなさい。大丈夫ですよ」


ヴェルもうっすらと涙を浮かべ、アレクシスをなだめるように、そっと腕をまわす。

彼が傷つかないように。

自分がいなくなっても、いつかまた笑えるように。


優しく、優しく――抱きしめた。


蛍光が舞い、木々がささやく。


世界は、美しく、そして――切なかった。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。


次回エピソード

* すれ違いの果てに *


よろしくお願いいたします。


---

7/19 伝説の魔道具師の名前を変更しました。

 ミレイア → エレノア

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ