* 魔道具師を救え *
洞窟の奥、ひんやりとした空気の中に、一筋の水音が響いていた。
「……ここが、例の湖ですね」
アレクシスが剣の柄に手を添え、静かに辺りを見渡す。
ヴェルは目を輝かせて湖面をのぞき込んだ。
水は確かに澄んでいたが、どこか不穏な気配が漂っている。
「きれい……でも、なんだか重たい感じがします」
その時、――。
水面が不気味に揺れ、黒い影が飛び出してきた。
湖の水面から、ぐにゃりと黒い影が這い出した。
それはスライムにも似た不定形の魔物だった。
全身が黒く濁り、触れただけで魔力を吸い取られそうな禍々しさを放っていた。
「……なんだ、こいつは」
「まさか……これが、魔道具師さん達が困っていた原因……?」
言い終わる間もなく、魔物が襲いかかってきた――。
アレクシスが剣を抜き、勢いよく斬りつけた。
肉を裂く感触が一瞬走る――が、すぐに。
斬ったはずの部分が、ぬるりと音を立てて再生していく。
「……効かない……?」
ヴェルはそっと胸元で両手を重ね、静かに息を整えると――
ふわり、と優しい光が零れ落ち、アレクシスと自分を包むように結界が張られた。
魔物の黒い粘液が跳ね飛ばされ、二人を傷つけることはない。
そのまま、ヴェルは静かに魔物を見つめた。
焦ることなく、怯えることなく。
ただ、じっと――観察するように。
「……なんだろう、あの中……」
黒い体の奥に、ほんのわずかにきらりと輝く光が見えた。
「アレク様。……あれ、何でしょう?」
その問いかけに、アレクシスの瞳が鋭く光る。
「……核か!」
再び剣を構え、魔物の懐へと踏み込む。
黒い粘液が絡みつこうとするが、迷いなくそれを払いのけ、
一閃――その中心にある核を正確に切り裂いた。
魔物の体が崩れ、黒い液体が静かに湖へ溶けていった。
「やりましたね!」
ヴェルがそっと声を漏らす。
アレクシスは剣をおさめ、微笑みながら振り返った。
「ああ、君のおかげで気づけた。ありがとう、ヴェル」
湖の水は、澄んだ色を取り戻していた。
だが――
「……あれ?」
ヴェルが湖の向こうを指さした。
遠くの岩陰――
黒い影が、ぬるりと這い出してくる。
しかも、そいつは湖の外から、地面を伝ってこちらに向かい、ためらいなく湖の中へと身を滑り込ませた。
「……湖の中に入った?」
アレクシスが驚きに目を細める。
さらに別の方向からも、似たような黒いスライムが現れる。
一匹、二匹、三匹……次々と湖に向かい、音もなくその水面に吸い込まれていく。
「どこから表れているのでしょう……?」
ヴェルは辺りを見回した。
その時、アレクシスがはっと気づく。
「……これは、外から入り込んで、湖の中で合体していたんだ」
湖の魔力を汚していたのは、湖に棲む魔物ではなく、
どこからともなく湧き出すスライムが次々と侵入していたからだった。
「このままだと、倒してもキリがないな……」
ヴェルはしばらく湖を見つめ、考え込んでいた。
そして、ふっと顔を上げると、ぱっと明るく声をあげる。
「思いつきました!
アレク様、魔物を湖から追い出します。
援護お願いします」
「分かった」
両手を胸の前で組み、目を閉じた。
次の瞬間――湖の周囲に、見えない壁が張り巡らされた。
すると、湖の中に潜んでいた黒いスライムたちが、まるで押し出されるように次々と水面から弾き飛ばされた。
「来るぞ!」
アレクシスは剣を抜き、飛び出してくるスライムを一体残らず切り伏せていく。
風のように素早く、雷のように正確に――次々と黒い影が断たれていった。
やがて、最後の一匹を倒した時、湖は静寂を取り戻した。
「アレク様ー!」
湖のほとりから、ヴェルが手を振って呼びかける。
「どうした?」
アレクシスは剣を収め、ヴェルのもとへ歩み寄る。
「よし、人は入れますね」
ヴェルはほっと息をついた。
「……一体、何をしたんだ?」
ヴェルは少し誇らしげに微笑んだ。
「結界を、湖の周囲に張ってみました。
私たちは通れますが、魔物は弾かれる……そんな仕組みです。上手くいって良かったです」
アレクシスは感心したように湖を見渡す。
「なるほど、これなら魔物の侵入を防ぎつつ、安全に水を汲めるわけか」
「はい。何度も弾き返されれば、魔物たちもそのうち近づかなくなるでしょう」
ヴェルは静かに湖の水面を見つめ、その清らかな輝きに微笑んだ。
* * *
エルデンハイム――魔道具師ギルドの本部、その重厚な扉の向こう。
二人は今、ギルド長の部屋にいた。
「……本当に、よくやってくれた」
50代半ば、分厚い胸板と鋭い眼差しを持つ男――魔道具師ギルド長が、深く頭を下げた。
無骨で威厳あるその姿が、今だけは素直な感謝に満ちていた。
「おかげで、我々の命の水源が救われた。あの湖がなければ、この街の魔道具づくりは成り立たねえ。皆、どれほど安堵していることか……」
アレクシスとヴェルは、まだ状況が飲み込めず、顔を見合わせる。
ほんの数時間前、洞窟で魔物を倒し、湖を浄化したばかりだというのに――
街へ戻ってみれば、街の入口にはすでに多くの人々が集まり、二人を見つけるなり歓声と感謝の声を浴びせかけてきた。
どうやら二人の様子を見に行った街人が、先に報告してるようだった。
「まさかこんなに大騒ぎになるなんて……」
ヴェルが少し困ったように微笑む。
「……まったく、騒がしい連中だ」
アレクシスは肩をすくめるが、悪い気はしていなかった。
そのまま二人は人々に押されるようにしてギルドまで連れて来られ、
こうしてギルド長自らが出迎え、礼を述べることになったのだった。
ギルド長は、ふう、と深いため息をついた。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。
「……本来なら、あの湖の魔力水だけで十分だったんだ。
だがあんな事になってな。
最近は仕方なく、ずっと遠く離れた北の湖から水を買ってたんだ。輸送には馬車を何台も使うし、護衛も必要だ。金も、時間も、かかる。
もともと儲けなんてほとんどない魔道具屋だ、そんな出費を続けてたら、そりゃ食えなくなる」
肩を落とし、苦笑するギルド長。
その顔には、この街を支えてきた者ならではの苦労が刻まれていた。
「最近は……もうやってられねえ、って店をたたむやつも出てきた。
このままじゃ、街から魔道具がなくなる。便利な道具がなければ、人々の暮らしはどうなる?
火を灯すにも、畑に水をやるにも、苦労する日々に逆戻りだ」
ヴェルは胸を押さえ、痛ましげに顔を曇らせた。
「……そんな」
アレクシスも、静かに拳を握った。
この街で見た笑顔や暮らし――それが失われる未来を、想像するだけで胸が痛んだ。
「だから聖女様に……」
ギルド長は肩をすくめ、苦く笑った。
「魔物退治の加護でも授けてもらえねえかと、助けを頼んだ。
でも返ってきたのは――大量の謝礼金を用意しろ、って話さ。
金がないなら、自分たちでどうにかしろ、だとよ」
ヴェルは、思わず胸元で手を握りしめる。
あまりに冷たい仕打ちに、声も出なかった。
「聖女が、金で動くなど……
そんな馬鹿なことがあるか」
アレクシスは低く呟いたが、ギルド長は静かに首を振る。
手にした一通の手紙を差し出した。
「現実だ。これが、正式な返答さ」
その紙には、確かに王家の印章が押されていた。
――謝礼金の支払いと引き換えに、聖女の加護を授ける。
丁寧な文面の奥に隠された、冷酷な真実。
アレクシスの胸に、怒りが燃え上がる。
(民を助けるどころか、金で見捨てる気か……
ヴェルを陥れ、民を搾取し、この国はどこまで腐りきっているんだ)
アレクシスは拳を強く握りしめた。
「それで、伝説の魔道具師だが――エルフの村に住んでるんだ」
親方の口から、唐突に語られたその言葉に、ヴェルはぱちくりと目を瞬かせた。
「えっ……エルフの村、ですか?」
「そうさ。アイツは、むやみに人と関わるのを嫌う。だから、俺たちにも他言するなって口止めしてたんだ。すまなかった」
ギルド長は、頭を下げた。
ようやく腑に落ちた。
何軒訪ねても情報が得られなかった理由が、そこにあったのだ。
「……なるほど、そういうことだったのですね」
ヴェルは小さく頷いた。
ギルド長は苦笑し、工房の奥を見やった。
「アイツは俺たちに魔道具作りの知識をくれて、資金も援助してくれている。今のエルデンハイムがあるのは、アイツのおかげなんだ」
誇らしげに語るその言葉から、深い感謝と信頼が伝わってくる。
「だから俺たちは絶対に口を割らない。
だが――」
そこでギルド長は、真っ直ぐに二人を見つめた。
「あんたたちは俺たちの命の恩人だ。湖を守ってくれた恩義を、アイツだって分かるはずだ。
エルフの村は、許可された者しか入れないが……とりあえず、ランデヴァルトの街に向かってくれ。
アイツには俺から話を通しておく」
「ありがとうございます……!」
ヴェルは胸いっぱいの感謝を込め、深く頭を下げた。
アレクシスも静かに頭を下げる。
「ご協力、感謝します」
* * *
ギルドを後にした帰り道、夕暮れの光が二人の影を長く伸ばしていた。
「伝説の魔道具師の居場所がわかって、よかったな」
ヴェルはぱっと笑顔を咲かせた。
「はい。アレク様が魔物を倒してくださったおかげです」
澄んだ水色の瞳が、まっすぐ彼を見つめる。
「大量の魔物を、あんなにあっという間に……本当に、びっくりしました。
さすが、伝説の騎士様ですね!」
その無邪気な称賛に、アレクシスは思わず苦笑した。
「……何言ってるんだ」
ふっと歩みを緩め、ヴェルの方へと向き直る。
彼の碧い瞳は、静かな湖のように澄み、優しく彼女を映していた。
「――ヴェルだって、大活躍したじゃないか。それに……」
アレクシスは柔らかく笑み、静かに言葉を紡ぐ。
「君の優しさが、巡り巡って返ってきたんだよ」
ヴェルは、はっと息をのむ。
――そうだ。
転んだ少年を助け、腰を痛めたおばさんを癒した。
ささやかな善意が少しずつ人から人へ渡り、気づけば彼女自身を助ける力になっていたのだ。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥にふわりと温かい光が灯る。
「……はい」
人に陥れられ、搾取され続けてきた彼女が、少しずつ、人の優しさに触れていく。
その傷ついた心が、少しずつ癒され、豊かになっていくのを――アレクシスは、そっと見守っていた。
(旅に出て、よかったな)
彼もまた、癒えてゆく彼女の心に、誰より深く安堵していた。――その笑顔が、ただ嬉しかった。
ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
次回エピソード
* 観光都市でデート *
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