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【9】

 


「このあと少し付き合ってほしいところがあるんだけど」

「今日はバイトないからいいよ。どこ行くんだ?」

「まぁ、行ってからのお楽しみってことで」


 そうはぐらかされると逆に気になる。

 でも妙に嬉しそうにしているところをみると悪いことではないだろう。


 普通にしているつもりだけど、空元気なのは否めない。

 どこまで朝哉に踏み込んでいいか分からず、へたに過去のことを聞いて自分が大事なことを忘れていると知られたくなかった。

 知ったらきっと朝哉は悲しむ。それどころか失望されるかもしれない。それは嫌だ。今でも朝哉に関しては完璧な自分でありたいと思ってしまう。


「ここ」

「え?……ここって」

「早く連れて来たかったんだ」


 二人が初めて会った公園の裏にある住宅街。

 その中に小さな看板が出ている一軒の家があった。知らなければ普通の家と見間違えそうな外観だが、朝哉はためらいなくドアを開けた。控えめな鈴の音が鳴り奥から出てきた女性は、入ってきた朝哉を見た途端頭を下げた。


「お待ちしていました。こちらへどうぞ」


 ドアを開けて中に入るとすぐにショーケースがあり中には美味しそうなケーキが並んでいる。こういう個人経営のケーキ屋なんて入ったことがない。思わずケーキをじっと見ていると朝哉に呼ばれた。


「蓮くんこっち」

「あぁ、悪い」


 靴を脱いだ朝哉を見習って俺も靴を脱ぐ。

 こんなところ入っていいのだろうか。

 レジの裏というか店の奥に入っていく朝哉から女性へと視線を移すと、軽く微笑まれ会釈された。その会釈の意味を肯定だと受け取り急いで朝哉の後を追う。廊下を進んでいくと一番手前の扉が開いていた。中を覗くとすでに朝哉は座っている。


「個室?」

「そう」


 ケーキ屋にしては珍しい気がする。他のところを知らないからかもしれないが……。


「ドア開けておきたい?」

「あ、い、いや。閉めようか」


 別に意識しているわけじゃないが、改まってそう言われると逆に意識するというか。一瞬悩んだが、ドアを閉めて俺も椅子に座った。

 なんとなくそわそわとしてしまうが、逆に正面に座っている朝哉は堂々としすぎだ。これが経験の差なのか。


「蓮くんチョコレート好きだったでしょ?」

「あ、ああ。よく覚えていたな」

「チョコレートを持っていったときが一番嬉しそうだったから」


 いや、あれは……久しぶりに口にした感動もあったんだけど。というかそんな些細なことまで覚えているとは。

 顔が熱くなってきたのを誤魔化すように机に置いてあったメニュー表を広げた。


「え、……すごいな」


 そこに載っているメニューを見て思わず声が出てしまった。

 全てチョコレートを使ったものだけだ。

 ケーキもパフェもすべてチョコレートが使われている。それに一粒ずつ説明がついたものまである。


「蓮くんに喜んでほしくて」


 俺がチョコレートが好きだと覚えていて調べてくれたんだろう。

 ぎゅうと胸がいっぱいになって思わずTシャツの胸元を掴んだ。嬉しい。朝哉から与えられる好意がここにどんどん溜まっていく。それが本当に嬉しいんだ。


「ありがとう。ここにはよく来るのか?」

「なんで?」


 だけどそう気づかれるのはなんだか恥ずかしくて、メニュー表から目を離さないまま会話を続ける。自分の感情を抑え込みながらそう聞くと逆に問われた。


 ずっと俺の顔を見ていたのだろうか。顔を上げると朝哉と目が合ってしまった。


「なんとなく。店員さんが朝哉の顔知ってそうだったから」

「あぁ。あの人、鷹の奥さんだし」

「は?」

「一応ここの経営者俺だから」


 突拍子もないことを言われて間抜けな声が出た。そもそも鷹って誰だ。戸惑う俺に朝哉はクスっと笑いながら続ける。


「蓮くんが喜んでくれたのが嬉しかったから、あれから俺もチョコレート好きになってさ」


 それだけで店って出せるものなのか?

 全然話についていけない。というか、それならこの個室ももしかして……。


「最初は俺が作ったもので蓮くんを喜ばせたかったってだけなんだけど。さすがに全部一人でやるってなると大変で、ちょうど鷹の奥さんがパティシエやってたって話を聞いてスカウトした」

「えっ」

「オープンしてまだ一年ちょっとくらいだけど、まぁ順調だよ」

「やっぱり……すげぇな」


 動機はなんであれその行動力に感心する。

 褒められて照れ臭そうに目尻を下げた朝哉が「ほら、なんでも頼んで」とメニュー表を指差した。


 ここまでされたら遠慮する方が失礼だろう。

 端から見ていくが正直選べない。あれもいいし、こっちも捨てがたい。優柔不断ではないのに決めかねてしまう。やっぱり俺チョコレート好きなのかも。


「どれも美味しそうなんだよな。っていうかこれ値段載ってないんだけど」

「俺の店だって言っただろ?値段は気にすんなって」


 サラッと言いのけた朝哉に首を横に振る。


「いや、さすがにそれは。自分の食べた分くらい自分で払うよ」

「じゃあお金はいいから、代わりに食べた感想聞かせて」


 年下に奢られるってことか?いや、でも年下だけどここは朝哉の店だし。正直ご馳走になれるなら助かるが、ここでも俺の小さなプライドが邪魔をする。


「あー……いや、でも」

「蓮くんは俺に格好つけさせてくれないのか?」

「そういうことじゃ」

「ならいいじゃん」


 ね?と言いながら目を細めて笑う朝哉を前にして考えることを放棄した。

 もっと単純でいいのかもしれない。


「分かった。でも、今回だけだからな」

「うん。ありがとう。俺的にはこれが一番おすすめ。でも蓮くんはこっちも好きそうだし、いや、やっぱり全部頼もう。食べきれない分は持って帰ればいいんだし」


 お礼を言うのは俺の方だ。甲斐甲斐しくメニューを指さしながら早口でそう言う朝哉に、どんどん愛しさが込み上げてくる。


「貧乏大学生はそんな贅沢しないんだよ」

「贅沢じゃないでしょ。だってここにあるものは全部蓮くんのことを考えながら、蓮くんのために俺が考案したメニューなんだから」


 さも当然と言うようにはっきり言われて、照れるより先にその素直さと行動力を羨ましく感じた。


「お前……そんなことまで出来るのか」

「それくらい当たり前」


 いや、朝哉の当たり前は俺には分からない。

 けど朝哉も自分の言葉で俺がこんなに一喜一憂しているのは知らないはず。


「でも、それなら尚更大事に食べるよ。こんなにメニューがあるんだから一度じゃもったいない。毎回一個ずつにしようぜ」


 朝哉が最初に指さしたメニューを指す。


「今日はこれがいい。朝哉のおすすめなんだろ?」

「ああ」

「じゃ決まり。で、次はそうだな……これにしよう。で、朝哉はこっちな。これなら半分に出来そうだし、交換して食べたら二個食べたみたいだと思わないか?」


 俺が素直に言えることと言ったらこれくらいだ。素直、というかこれじゃただのチョコレート大好き人間みたいだけど。可愛い女の子でもあるまいし、言った瞬間恥ずかしくなって顔が隠れるようにメニュー表を立てながら続ける。


「次は俺もちゃんと払うからさ。二人でメニュー制覇目指すのも楽しいだろ」


 いっぱい食べたい奴だと思われただろうか。ドキドキしながら返事を待つが何も聞こえない。少しだけメニュー表から目を覗かせると、何故か朝哉が両手で顔を覆っている。


「朝哉?」

「はあ……そういうところ。昔から全然変わってねぇ」

「いや、男が甘いもの好きでもいいだろ。まぁたしかに恥ずかしいこと言った自覚はあるけど」

「もう何が好きでもいい。そういうことじゃなくて」


 朝哉は顔を覆っていた手を下ろして少し眉間に皺を寄せた。

 あまり俺に向けることのない治安の悪い顔に、ドキッとする。視線に纏う色気に気圧されて肌が粟だった。


 そりゃこんな顔をしていれば周りは遠巻きにするしかないだろう。この視線を至近距離で感じ続けるのは朝哉を知っている俺でさえ少々厄介だ。


「当たり前に俺との次を考えてくれるところ」


 自覚はなかった。

 そんなこと言っていただろうか。改めて自分の言ったことを反芻すると、たしかにそう受け取られてもおかしくない言動をいくつか思い出して無性に恥ずかしくなる。


「踏み込ませてくれないくせに無防備で。俺の気持ちも知らないでまったく」

「そんな風に意識してないって」

「当たり前だろ。こんなこと意識的にやられたらたまったもんじゃない」


 ため息交じりにそう言いながら朝哉は背もたれに体重を預けた。天井を見上げ深く深呼吸をしたあと再び俺を見る。


「それがどれだけ嬉しかったか。どれほど助けられたか。蓮くんはなにも気づいていないしさ」

「それを言うなら俺のほうが」

「はぁ?違うね。蓮くんは俺にどれだけ愛されているかちゃんと分かっていないんだ。大事なことは全然話してくれないし、なんかまた勝手に一人で悩んでいるだろ。告白の返事だって……」


 ぶつぶつと不満を口にしていた朝哉がハッと口を閉ざした。


「いや、ごめん。今のは無し」

「朝哉の言う通りだよ……俺の方こそ」

「待って。謝んなよ。本当に返事急かすつもりはないんだ。告白したあともこうして一緒にいてくれるだけで嬉しいからさ」

「ごめん。でも告白が嫌だったとかじゃないんだ。本当に、それだけは誤解しないでほしい」

「無理しなくていい」

「無理じゃない。……俺も朝哉のことは好きだ。けど俺の好きは、その朝哉とは違う、というか。なんというか」


 蓮の優しさに甘えているのは俺だ。俺の好きは朝哉の好きとは違う。

 そんな綺麗なものじゃないんだ。

 だからいまだにはっきりと返事が出来ない。申し訳なさともどかしさが入り交じって目を伏せると「ありがとう」と聞こえた。


「とりあえずメニュー決まったことだし、注文してくるわ」

「あぁ」


 気を取り直してそう言った朝哉に心が痛む。部屋を出て言った後姿を目で追いながら頭を抱えた。朝哉の好きを受け入れたらどうなるんだ?そもそも朝哉は女の子だって好きになれるはず。それなのに俺と関わったばっかりに、憧れに“好き”という名前をつけてしまった。


 ちゃんとした幸せを選べるはずなのに、俺なんかと付き合うことをそう簡単に選んでいいはずがない。


 色々考えて喋っているのに言葉って難しいな。

 もっと上手く自分の気持ちを伝えたかったのにあれ以上どう言えばいいのか分からない。やっぱり煮え切らない態度になってしまい申し訳ないが、今はまだその優しさに甘えさせてほしかった。



ここまで読んでいただきありがとうございました!

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