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【7】

 

 そうは言っても注目はされるだろうと思っていたが、俺はあまりにも呆気なく一限目を向かえた。視線は感じるがその意味合いが少しだけ違う。昨日に比べて詮索するような空気がなくなったことは明らかだった。


 朝哉はいったい何を言ったのか。急に変わった変化に戸惑いつつ授業を受けていると、二限目は史と授業が重なった。


「おはよう」

「おはよう。今朝は大丈夫だったのか?昨日もう駅で待ってなくていいって連絡がきたけど」

「あぁ、うん。心配かけて悪い」

「それにしてもなんか今日はまた空気が違うな」


 史も何か感じたらしい。

 少し辺りを見渡しながらそう言う。


「なんか朝哉が根回ししてくれたらしい」

「それは詳細を聞くのが怖いな」

「そうなんだよ」


 顔を見合わせて笑い合う。

 史はそれ以上詮索してくることもなく、驚くほど穏やかに時間が過ぎていき、あっという間に午前中の授業が終わった。


 時計を見ながら足早に食堂に向かう。

 あー、だいぶ遅くなったな。

 最後の授業のあと教授に話があったから二人には先に食堂に行ってもらっていた。話好きなのか思っていたより時間がかかり、ようやく食堂に着くと二人はほとんど食べ終わっている。


「お疲れ」

「ごめん、遅くなった」

「気にすんなって。それより早く行かないとA定終わりそうだよ」

「マジ?」


 村田に言われて慌てて食券を買いに行く。

 今日のA定食は唐揚げだ。自分では人並み程度に好きだと思っていたが、毎回唐揚げを選ぶから二人にはそう思われているらしい。幸い売り切れにはなっていなくて無事に買えた俺が席に戻ると、村田がしみじみと口を開いた。


「本当に良かったなぁ」

「は?」


 話が見えず怪訝な顔をしながら唐揚げを頬張っていると村田は続ける。


「話、聞いたよ」

「だから何のこと?」

「朝哉だよ。なんか昨日あいつが高校一緒だった子に頭下げて頼んだらしいじゃん」

「え?」


 頭を下げる?朝哉が?

 あれは比喩じゃなくて、本当のことだったのか。


 まるで想像がつかなくて聞き返すと、村田が「さっき聞いたんだけどさ」と続けた。


「幼馴染なんだって?でも家庭の事情で離れて暮らすことになったって。周囲に馴染めなかった朝哉にとって、寄り添ってくれた蓮の存在は大きくて、すごい大切な人だから、再会できたのが本当に嬉しいって」


 あまりに驚いてまだ咀嚼も不十分だったがそのまま飲み込んでしまった。喉が詰まりそうになり慌ててコップに手を伸ばす。


 なんとも絶妙な、嘘とも言えないが本当でもない。

 ごくごくと一気に半分ほど水を飲んでいると、ロマンチストな一面を持つ村田はうっとりと目を細めた。


「自分が目立つことは理解しているけど、蓮は静かに過ごしたい人だから。また一緒にいたいけど、自分のせいで蓮の生活を変えたくない。だから俺たちのことはそっとしておいてほしい。って頭下げたとか行動まで格好良い……」


 話だけ聞けばたしかに格好良いかもしれないが、当事者としてはどんな顔をして聞いていればいいのか分からない。

 朝哉の配慮は嬉しいが急に顔が熱くなる。


「なんか漫画みたいな話だな」

「そうだよな。こんな現実があるなんて。でも二人がまた再会できて本当に良かった」

「あ、ありがとう」


 そんな話を聞いたら逆に目立つんじゃないかと思うが、とりあえずお礼を言うと村田が突然立ち上がった。


 そのまま入口に向かった村田の前には、ちょうど話題に上がっていた朝哉がいる。自分の気持ちを自覚したせいか、いつもよりさらに格好良く見えてしまいますます顔が熱くなった。


 何か会話を交わしたあと二人はそろってこっちに戻ってくる。

 朝哉は俺をちらっと見たあとすぐに視線を逸らした。


「村田に誘われたんだけど。……一緒に食べてもいいのか?」

「え?あぁ、もちろん」


 横で史が「村田、さんな」と言っている。俺が注意しなくちゃいけないのに、ゆっくりと顔を上げた朝哉と目が合ったらその瞳に思考が絡めとられてしまった。

 こうやって朝哉はいつも俺を気遣ってくれていたんだ。いっぱいいっぱいになっていてそこまで気づいていなかった。


 朝哉が俺のためにしてくれたことを考えると断るなんて選択肢はない。俺が即答すると朝哉は躊躇いがちに声のトーンを落とす。


「無理してねえの?」


 もう一度「あぁ」と返事をすると、ようやく安心したのか目じりを下げた。


「俺のせいで面倒かけたな。……いろいろ無理させてごめん」

「何言ってんだよ。面倒なんて思ったことないし、俺が好きでやってんの」


 こんなところでなにを、と一瞬焦るが、文脈的に違う。

 単純に今「好き」という単語に敏感になっていることを自覚して耳まで熱くなった。


 俺たちが二人でいるときは無遠慮な視線を感じることが多かったが、やっぱり今日はいつもと違う。

 ふと視線を感じてパッと振り返るが誰とも目が合わない。顔を戻す時に隣のテーブルに座る二人組の女の子たちがこっちを見ていたことに気づいたが、目が合う前に何故か小さく会釈されてしまった。わけも分からずつられて軽く頭を下げると女の子たちは不自然なほどに顔を逸らす。


 なんだか色々な人に気を遣われている落ち着かなさはあるが、事情を知らない人が向けてくる視線とは違って、これくらいならまだ何とかやり過ごせそうだ。

 身体の震えも今は落ち着いている。


「どうせならこれから一緒に食べようぜ!朝哉は何食べるんだ?」

「まだ決めてないけど」


 嬉しいのだけど、どこか落ち着かない。そんな空気を吹き飛ばすように村田が朝哉の腕を引っ張った。


「そっか、じゃあ蓮がA定食だからB定食にすればいいんじゃない?おかず分けたら二度美味しい」


 ニっと笑ってそう提案する村田を見て朝哉は目を丸くする。何かまた失礼なことを言い出さないか内心ヒヤヒヤしていたが、朝哉は「……そうする」と素直に返事をしてすぐに食券を買いに行った。


「お前あいつといつの間に仲良くなったんだよ」

「ん~。いつからだろう。昨日かな」

「俺は苦手」

「ああ、同族嫌悪ね」


 へらへらっと笑う村田に史は何か言いかけたが代わりにため息を吐いた。


「お前のそういうとこ昔から変わんねぇよな」

「そんな褒めるなよ~」


 返事の代わりに史はまた大きなため息を吐いた。

 俺は史と朝哉は気が合いそうと思っていたけど、幼馴染的には違うらしい。


「そういえば俺も村田のおかげでこうして二人と友達になれたんだよな」


 二年前のことを懐かしむようにそう言うと村田は得意げな顔をする。


「誰でも声掛けるわけじゃねぇよ。直感的にさ、友達になりたいって思っただけ。俺そういう欲求は大事にしてんの。」

「そっか。それならなおさら嬉しいよ。俺ずっと友達とかいなかったから」


 するりと口が滑った。

 知られたくないと言っておきながら、自分から過去の話をするなんてどうかしている。慌てて取り繕うとするが、二人は特に気にする素振りもない。不憫な物を見る目じゃなくて、いつも通り何も変わらないまま。


「じゃ俺、友達第一号じゃん」

「一号は俺だろ」

「ええ、絶対俺でしょ。俺が声かけたんだから」


 あっけらかんとそう言う二人に胸が詰まってしまいゆっくり箸を置いた。

 この感情を言葉にするには何が一番相応しいか。頭の中にたくさん言葉が浮かんでくるのに、結局良い言葉は思いつかなかった。


「……ありがとう」


 お皿に残る唐揚げに視線を落とすと史が「蓮」と俺の名を呼んだ。

 恐る恐る顔を上げると二人は俺を見て微笑んでいる。


「この前、駅であいつと会ったとき、蓮が俺のこと大事な友達って言ってくれたこと結構嬉しかったんだよな。なんかまだ遠慮しがちだけど、ちゃんとそう思ってくれてたんだなって」

「俺もこの前頼ってくれたこと嬉しかったんだよね。史とは付き合い長いけど、そこに蓮が遠慮する必要ねぇし。困ったことあったらなんでも言ってよ」

「あいつだけじゃねぇから。俺たちも蓮のこと大切に思っているし、力になりたいって思っている」

「そうそう。俺らは蓮の味方だからね」


 なんだこれ。あーあー、もうダメだ。

 二人の気持ちを初めて知って目の奥が熱くなってきた。

 こんなところで泣くなんてどうかしている。込み上げてくる気持ちを抑え込み両手で顔を覆った。気を抜くと喉の奥から嗚咽が溢れそうで硬く口を閉じて何度も頷く。


「あはは、泣くなよ~」

 村田の明るい声に「泣いてねぇ、よ」と答えながら目元を強く抑えた。両手を離して顔をあげると戻ってくる朝哉を見つける。

「ほんとに、ありがとな」

 二人に改めてお礼を言ってもう一度目を擦り戻ってきた朝哉を迎えた。


「蓮くん?」

「っ。……あ、やっぱBの生姜焼きも美味しそうだな。ほら俺のから揚げあげるから」


 隣に座った朝哉がなにか違和感を覚えたのか俺の顔を覗き込んできた。潤んだ瞳に気付かれないよう、朝哉のお皿に唐揚げを一つ放り込みながら口早に言う。


 何か言いたげな顔をされたが、それ以上追及することなく朝哉はすぐに熱々の生姜焼きを俺のお皿にのせてくれた。静かに手を合わせた朝哉の横で、俺も分けてもらった生姜焼きを頬張る。


 こんなに幸せでいいのだろうか。


 今まで感じたことのない幸福に心臓がぎゅっと縮み上がって少しだけ呼吸が浅くなる。

 体調がおかしくなる前触れと同じ症状だが、ぐっとお腹の底に力を込めてしっかりと顔を上げた。


 談笑をする二人を見て、そして横を向く。

 俺の視線に気づいたのか朝哉もこっちを向いた。目が合って、ちょうど頬張っているのか少しだけ膨れた口元に手を当てる。


「ん?」


 もぐもぐしながら「なに?」と言いたげに首を傾げる朝哉を見ていると、徐々に呼吸が落ち着いていくのを感じた。


 不安や恐怖は付きまとうけど、幸せなことに俺の側には優しくて頼もしい人たちがいる。そう思うだけで心が強くなった気がした。


「ん、なんでもない」

「……なにそれ」


 俺が首を横に振ると朝哉はクスっと笑う。

 また泣きそうになりながら、とりあえず食べることに集中していると村田が急に身を乗り出してきた。


「そういえばさ。朝哉って身長何センチあるの?」


 何の脈絡もなしにそう問いかけてくる村田に朝哉はカタと箸をおいた。


「……蓮くんの友達だからいいけど。あんまり馴れ馴れしくすんなよ」

「おい、朝哉」

「こいつこういう奴だぞ」


 つっけんどんにそう言った朝哉に対してそれぞれ口を開くが、言われた本人はけらけらと笑う。


「まぁまぁ。いいじゃん。俺と朝哉の仲だろう?」

「は?なにそれ。意味が分からない」

「それに俺けっこう君のこと気に入ってんだよね~」


 めげない村田に朝哉が困惑しているのが分かる。

 今まで周りにこういうグイグイ来るタイプがいなかったのかもしれない。返事をしないで再び黙々と食べ始めた朝哉は、しばらくして「186」と呟いた。


「え?」

「だから、身長」


 それだけ言ってまた黙々と食事をとる。

 だいぶタイムラグがある返答に三人は顔を見合し、次の瞬間吹き出した。突然笑い出した三人に「なんだよ」と朝哉は不満気だがそれもそれでなんだか可笑しい。


「あはは、……っていうかそんなに身長伸びたんだな」

「蓮くん昔は大きかったのにね」

「はいはい、今は小さいですよ」

「でも、そこもかわ」


 可愛い。と言いだしそうな朝哉の言葉を遮って言葉をかぶせた。


「あの!ほら、俺のピークは小学生だったから。中学入ってから全然伸びなかった」

「そうなんだ」


 朝哉は言葉を遮られたことよりも、知らない話が聞けたのが嬉しいというように俺を見つめてくる。


「史負けちゃったなぁ」

「うるせぇ」

「こいつは何センチなの?」

「だから、こいつとか呼ぶなって……えっと」


 二人のことはなんて呼んでもらうのが正解だろうか。

 史は、原史和はらふみかずという名前を短縮したあだ名。村田は基本名前では呼ばない。なにか嫌な思い出でもあるのだろうか。俺的にはいい名前だと思うが、最初に本人から「俺のことは村田って呼んで」と言われて以来ずっとそう呼んでいる。


 それに付き合いの長い2人が「村田」「史」と互いを呼び合っているから周りにもそれが定着していた。

 一瞬言葉に詰まった俺をフォローするように史が間延びした声をあげる。


「他の後輩からは、普通に原さんって呼ばれるかな」

「俺は村田さんか、村さん」

「聞いてたか?朝哉もちゃんとそう呼べよ」

「……」

「朝哉。返事は?」


 分かりやすく口を閉ざした朝哉を窘めていると、史がくっくと肩を震わせた。朝哉はじろりと史を見るがすぐに目を逸らして俺と目を合わせる。


「それより蓮くんは?呼び方変えたほうがいい?」

「俺?俺は……いいよ。今まで通りで」


 あんまり後輩と関わりはないが、呼ばれるときは苗字にさん付けで呼ばれていた。


 だけど朝哉に「笹西さん」と呼ばれるのを想像するとなんだか違和感がある。

 朝哉だけが呼ぶ「蓮くん」は特別だ。


 俺の名前に意味を持たせてくれたのは朝哉が初めてだったから、余計にそう思うのかもしれない。今まで通りでいいと聞いた朝哉が嬉しそうに「うん」と返事をした姿に、俺はせわしなく瞬きを繰り返した。


 微妙に甘い空気の中、村田が史と朝哉を見比べる。


「あ、そうそう。史はね高3で180いったんだよ。大学入ってからは止まったかな?今は185くらいだっけ?」


 それを聞いて初めて朝哉は史に向かって口角を上げた。


「どうりで」

「っ!おいっ、やっぱりこいつ生意気」

「ふっ。……村田は?」

「早速呼び捨てかよ。村田さんだろ」


 挑発するように鼻で笑った朝哉に史がこめかみを引き攣らせる。村田が笑いながらまぁまぁと史を宥めてVサインを出した。


「やっぱり朝哉おもしれぇな。村田でいーよ。俺は172。ギリギリ蓮に勝っている」

「俺だって170はあるから」

「15㎝差か……やっぱりちょうどいい」


 ボソッと朝哉が呟く。

 なにがちょうどいいのか聞くのは憚れるが、それよりまったく態度が直っていないことのほうが気になった。

 あまり真面目にとらえていないようだからあえて厳しい顔をする。


「それより俺に対してならいいけど、朝哉は後輩なんだから言葉遣いとか気をつけろよ。二人の優しさに甘えちゃだめだからな」

「でも村田が良いって言ってんじゃん」

「そういうことじゃねぇの。礼儀は大切だってお前の家なら分かるだろ」

「……まあ」

「それに事情を知らない人が聞いたら悪く言われんのは朝哉なんだ」

「別に俺は誰に何言われても関係ねぇし」

「朝哉はそうかもしれないけど。俺が朝哉のこと悪く言われんのが嫌なんだよ。それに敵は少ないほうがいいだろ。いろいろ心配してんの」


 そもそも見た目だけで色々な二つ名がついているんだ。だいたい“二次元の男”で統一されているが、それは朝哉に対して肯定的な人が言う名で、中には悪口みたいなものも多い。

「生意気だ」「遊んでそうだ」ほかにもあれこれ聞こえる悪意のある言葉に言い返したい気持ちになったことがどれほどあったか。

 ただ昔と違い今の俺にはそんな勇気はない。

 何も言えないからこそ、そう言われているのが悔しかった。朝哉の優しさも頼もしさも気遣いも何も知らないくせに、適当なことを言う奴らにこれ以上付け入る隙を与えたくないというか、なんというか。

 朝哉自身の行動で気を付けられることがあるなら気を付けてほしい。


「……俺のために言ってんの?」

「は?当たり前だろ」


 なんでだ?別に変なことを言った覚えはないのに大きなため息を吐かれる。そのまま目を逸らされたが「分かった」と聞こえた。


 うん。意地っ張りというか気が強いだけで素直で良い子なんだよ。


 気持ちが伝わり晴れやかな気分になるが、朝哉は俺の顔を見てまたため息を吐くと、残っていたご飯をかきこんだ。


「蓮って意外とお兄ちゃん気質なんだな」

「たしかに」


ここまで読んでいただきありがとうございました!

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