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【6】

 

 結局ほとんど寝られなかった。

 一応セットしておいたアラームを鳴る前に解除して、いつもはまだ寝ている時間に支度を始める。こんなに学校に行きたくないと思ったのは初めてだ。どんな顔をして何を話せばいいのか分からない。おそらく朝哉が教室に来た話も俺が連れ出した話も知れ渡っているだろう。


 なるべく静かに生活を送ってきたのは、ここが地元に近いからという理由もあった。

 あの人が再婚したから苗字は変わっている。気付く人はいないと思うがこの大学は同じ小学校だった人も多い。


 俺があの“可哀想な蓮君”だと知っている人が絶対いる。


 注目の的になったらどうする?

 また「育児放棄をされていた子」そういうレッテルを貼られ、可哀想だと思われて生きていくのだろうか。


 そして、それに俺は耐えられるのか。


 悩ましいことはそれだけじゃない。

 自分のセクシャリティの話もある。

 女の人が苦手という話を朝哉にしたことなんて忘れていた。幼い頃にした話の一つ一つまでは正直覚えていないが、朝哉の言う通り俺は女の子を好きになったことがない。母親のヒステリックを浴び続けたせいかもしれないが、女性そのものを苦手と感じるようになり避けるようになっていた。


 だからといって特に同性が好きという気持ちになったこともないが、朝哉に「好き」と言われて嫌悪感を抱かず、なんなら喜びや幸せを感じたということは、もうそういうことなのかもしれない。それか、朝哉が相手だから、か。


 そもそも大学に入るまで勉強漬けだったのだ。

 大学に入ってからも勉強と一人暮らしの生活費を稼ぐためにバイトをする毎日。友人が二人も出来たことすら奇跡だ。


 そんな俺が恋愛をするなんて考えられるはずもない。

 朝哉だってきっと夢を見ているんだ。いじめっ子から助けてくれた“格好良い蓮くん”が好きなんだろう。そう考えたら朝哉の言っている意味も理解出来るような気がした。愛情というより憧れだ。きっとそうだ。そうじゃなきゃおかしい。


 だってたった一人の家族にすら愛されなかった俺が、他人から愛されるわけがないじゃないか。


 いつもより早く家を出た俺は重い足を引きずるように駅へ向かう。


 結論から言えば、朝哉に「気持ちを受け取ることは出来ない」と言い距離を置いてもらうのが一番良い。一緒にいなければ目立つこともないだろうし、過去が明るみになることもないだろう。それに嫌な記憶を思い出す頻度も減るはずだ。


 たったそれだけ。

 簡単な話。


 それなのにどうにか別の方法がないかと探してしまう。

 朝哉とまた昔のように一緒にいたいと思う自分がいる。憧れでもなんでも朝哉は自分に好意を抱いてくれているらしい。


 実際いじめられていた朝哉を助けたのは俺だ。

 けど、救われたのは俺の方だった。


 朝哉と一緒に過ごした幸福感と自分にも居場所があるという事実のおかげで、この町から離れることになったあとも踏ん張ってこられた。だから折角再会した朝哉と離れるなんて決断は簡単には出来ない。



 いつもより早く家を出たがこの時間を使う人が多いのだろうか。大学の最寄り駅で下りると、同じ電車を使っていた人が結構いたようだ。その人たちに混ざって大きな流れの一つになって大学に向かっていた俺は、突如その流れの中で足を止める。


 すぐ後ろをついてきていた人が急に立ち止まった俺にぶつかった。


「すいません」と言いながらも急に止まるなよという目を向けられて、俺も「すいません」と謝る。

 そのあとは道の真ん中で立ち止まった俺を避けるように人が流れていき、しばらくすると人通りが減ってきた。


「おはよう」


 呆然とただ見つめるだけだったが、近づいてきた彼を見て我に返り自分から駆け寄った。


「お前、いつからここにいるんだ」

「なんとなく電車の時間変えそうだなって思って」


 四月といっても朝はまだ寒い。

 赤くなった鼻先と頬を見て眉を下げた。


「なんで」

「もう心配いらないって伝えたかったから」


 それがどういう意味か聞き返す前に、朝哉が指先を丸めているのを見てその手を取った。血が通っているとは思えない冷たさに驚いてその手を両手で包み込む。


「何時からいたらこんな冷たくなるんだよ……まさか始発とか言わないよな」

 返事が聞こえない。

 見上げると朝哉は曖昧に笑いながら首をかいて誤魔化した。

「まぁ……」

「バカ。俺の住んでるところ遠いからどんなに早く出たって七時より前に着くことないのに」

「それじゃ今度蓮くんがどこに住んでいるのか教えてよ」


 ああ、そういえばそうだった。

 まだ俺たちはそんな話すらしていないんだ。隠したいことばかりで、自分のことを何も言っていなかった。


「分かったよ。っていうかこんなに冷える前にどっか店でも入っていればよかっただろ。風邪ひいても知らないからな」

「心配してくれるんだ」

「当たり前だろ」

「昨日告白したのに?」


 相変わらず朝哉の視線は甘くて再び手に視線を落とした。揶揄うような口ぶりだけどどこか緊張感がある。

 朝哉だってなにもスーパーマンってわけじゃない。

 俺と同じ、いや年下の大学生なんだ。

 両手でこすり合わせながら冷え切った朝哉に自分の体温を分ける。


「……それで避けたわけじゃないから」


 言い訳だ。だけどこれが本音。

 朝哉はスッと手を引っ込めて「もう大丈夫」と言った。


「少し話せる?」

「……あぁ」


 まだ次の電車は来ていないせいもあって周囲にほとんど人はいなくなっていた。並んで近くのベンチに座る。


「昨日のこと、ちゃんと言ってなかっただろ」

「それは。俺が途中で帰ったから」

「蓮くんを前にするとやっぱり感情が先走るんだ。告白だってもっとちゃんとしたところで言いたかったんだけど」


 どんな顔をしているんだろう。

 横目で朝哉の表情を確認するが、朝哉は俺の方を向くことなく正面を見ながら続けた。


「会えなかった間もずっと俺は蓮くんのことだけ考えていた。だから話したいことも一緒にやりたいこともたくさんある。けど、そこにあんたの気持ちがついてこないならそれは違うだろ」


 俺が思っているより朝哉は俺のことを考えてくれている。

 なのにまだ、俺は自分の保身のことし考えていない。情けなくて俯いていく俺の手を朝哉が握った。


「だから不安材料があるならまずはそれをなくそうと思って、周りの奴らにお願いした」

「お前、……なんか、したのか?」


 そのお願いは穏便なやつか?と問う前にようやくこっちを向いた。目が合うと「失礼だな」と朝哉は笑う。


「本当にちゃんと頼んだんだ。この俺が、頭を下げて」

「……本当?」

「もちろん」


 そこまできっぱりと言い切るのなら信じよう。そっか、と頷くと朝哉はまた正面を向いた。


「だから多分大丈夫だ。今日一日今まで通り過ごして、まぁ多分まだ噂にはなるかもだけど、それもだんだん落ち着いてくると思う。あんたと一緒にいたいっていうのは俺のエゴだし。もう大丈夫って思ってからでいいから。告白のことも、それこそ蓮くんの気持ちが最優先だろ。友達でもなんでも、俺は昔みたいにあんたと一緒にいられるならなんでもいい」


 朝哉は眉を下げて息を吐き出す。

 泣き出しそうな雰囲気にのまれ居たたまれない気持ちになるが、朝哉は再びゆっくりと口を開いた。


「だから昨日も言ったけど……俺のこと避けるのだけはやめてほしい」


 一生懸命自分の気持ちを言葉にしてくれる朝哉が、思い出の中の朝哉と重なる。成長して変わったと思っていたが、そんなことはなかった。


 朝哉は朝哉だ。

 何も変わっていない。一生懸命自分の思いを伝えてくれる。そんなところが眩しくて好きだった。自分にはその資格がないと思っていたから気づかないふりをしていただけで、俺は朝哉のことがあの時から好きだった。

 朝哉のような純粋な憧れからくる愛、ではなくて、俺だけを好きでいてほしいという強欲な愛。


「……もう、泣かないんだな」

 ぽつりとそう呟いたが返事はない。沈黙が続きハッと朝哉の顔を見た。照れているのか真っ赤になった顔でじとりと見据えられ慌てて首を横に振る。

「いや、揶揄うつもりはなくて」

「はぁ……蓮くんの中から俺の恥ずかしい頃の記憶だけ消したい」

「恥ずかしいことなんてないだろ。あの頃の朝哉ほんとうに可愛かったし」


 照れている姿が可愛くて、思わず肩を震わせていると朝哉が指を絡める。まだ冷えたままの指先を、指と指の間に滑り込ませながら自分のコートのポケットに一緒につっこんだ。

 ほんのりとした温もりの中、一本一本指の輪郭をなぞるようにゆっくりと朝哉の指が動く。ただ指を弄られているだけなのに、なんでこうもドキドキしてしまうのか。

 壊れ物を扱っているかのように優しく動いていたのに、突然カリッと引っ掻かれて咄嗟に顔を見上げる。


「可愛い?これでも?」


 わざとだ。

 ずいぶんと意地が悪い。初心な反応をしてしまって顔が熱くなる。


「っ、昔。昔の話だって!」

「そうそう。今は蓮くんのほうが可愛いんだし」


 あまりにも真面目な顔でそう言うからますます気恥ずかしくなってきた。


「はぁ?お前何言って」

「そういう顔のこと」


 どんな顔だ、と言い返す前に朝哉が手を離した。慌ててポケットから手を抜いて頬に触れていると、朝哉は目を細めて微笑みながら立ち上がる。


「そろそろ次の電車が来る」

「もう、そんな時間か」

「人が下りてくる前に行こう」


 一瞬二人で歩いているところを見られたら、と不安がよぎるがただ一言「大丈夫」と朝哉が言った。何の根拠もないがその言葉に妙に安心した。


 これも自分に向き合うチャンスかもしれない。

 朝哉が「大丈夫」と言うなら「本当に大丈夫」なんだろう。それなら俺も誠意を見せるべきだ。いつまでも逃げているのは格好いい蓮くんとしてあるまじき行為。


 そもそも朝哉の中にある出会った頃の俺の像を壊したくないというのが、最初の目的だったはず。


「いつもはもう少し遅い電車に乗っているんだけど」

「やっぱり避けてるじゃねぇか」

「いや、だからさ。明日から今日と同じ時間にしようかな」


 隣を歩く朝哉の歩くペースが少し落ちる。振り返った俺は朝哉の顔を見て自然と自分の口元が緩むのを感じた。


「大丈夫、なんだろ?……俺も朝哉と話したいことたくさんあるんだ」


 朝哉は一瞬目を見開いた後大きく瞬きをして頷いた。

「避けてごめんな」

「ああ……もう、やめてくれよ」

 少しだけ語尾が震えているのには気付かないフリをして、そのまま二人並んで大学まで向かった。


 朝哉の純粋な愛を守りたい。

 過去の自分も、弱い心も、気づかないふりをしていた強欲な愛も、何もかもを隠し通すことを決めた。

 

 朝哉の中で生きている、朝哉が好きでいてくれる“蓮くん”を守って、今を幸せに生きるために。



ここまで読んでいただきありがとうございました!

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