【5】
その後、朝哉から何度も連絡が来た。
もちろん無視はしない。無視はしないが、そのどれも無難なメッセージを返しただけ。電話はバイトが忙しいし、家に帰るのも遅いからと言って控えてもらっている。
べつに嘘ではないし。
大学ではすでに俺の存在が話のネタになっているようで、あの二次元の男を手懐けた男、という異名までつけられているらしい。朝哉を笑顔に出来る唯一の男という意味らしいが、それが嘘だと言い切れないのが辛いところ。
だって朝哉は俺というときだけまるで別人のように甘くなるから。
それが困ると思いつつ、どこか優越感も感じている。
そんな自分にますます嫌気がさした。誰かに注目されればされるだけ、あの当時を思い出して不安が大きくなる。
村田と史に正直に「人の視線が怖い。一緒にいてくれると助かる」と漏らしてしまうほど、俺の神経はすり減っていた。
理由は色々あってと濁したにも関わらずそれを聞いた二人が、俺が一人にならないように気にかけてくれたおかげでなんとか大学生活を送れている。ただ朝哉のことは昔一緒に遊んだ仲とだけ説明して、二人にはそれ以上のことは何も言えなかった。
結果的に朝哉を避けるような日々が続いてしまい、このままじゃいけないと分かっているのに最善の方法が思い浮かばない。
朝哉のことは嫌いじゃない。再会できたことも本当に嬉しかった。それなのに自分のしている行動は意に反している。これじゃ嫌われるか、本当のことを知られて失望されるかのどちらか。
最悪な二択を選べないまま、ずるずると時間だけが過ぎていった。
「今日時間ある?」
「あ、朝哉……」
はぐらかしてばかりで一向に会おうとしない俺に少し苛立っているのか、声に若干の冷たさが混じっている。授業が終わると同時に教室に乗り込んできた朝哉を前にして、ごくりと唾を飲み込んだ。
この授業は俺しかとっていない。
朝哉も史と村田がいないと知っていたのかもしれない。
「ほら、あれがそうだよ」
「えっと笹西だっけ」
「あの人でしょ。二次元の男が懐いているの」
こそこそと喋っている声も自分のことだと思って聞いているせいかちゃんと耳に届く。
他にもなんだ、なんだ、と注目を浴びていっぱいいっぱいになった俺は、咄嗟に朝哉の手を掴んで教室から飛び出した。
人気のない空き教室に向かい扉を閉めると静寂が広がる。
朝哉は何も言わずについてきたが、実際のところどう思っているんだろう。そもそもこんなところまで連れてきて何を言えばいいのか。手を掴んだままだったことに気付き、慌てて離すと朝哉が息を吸った。
「……俺のこと避けてる?」
投げかけられた直球な質問に喉の奥が萎む。
そんなつもりはない、と言いたいが俺がやっていることはそう思われる行動だ。
ただ、それは朝哉のことが嫌いとか会いたくなかったからとかじゃない。それだけは分かって欲しいが、なんと伝えればいいのかが分からなくて「いや、そんなつもりは」とだけ言う。
まともな言い訳すら出来ないまま、沈黙が続くと朝哉が再び口を開いた。
「この前、史って奴が言っていたことが原因?」
「っ!」
「目立つのが苦手だって知らなかった……俺が、こんなんだから一緒にいたくないってこと?」
それは違う。
はっきりと首を横に振るが、そう思わせてしまったという事実に顔が上げられなくなっていく。誤解をさせてしまう行動だと分かっていたのに、まさかそんな風に受け取られるとは思っていなかった。
いや、考えが及ばなかった。
俺は自分を守るのに必死で相手のことを考えられない最低な人間だ。
今にも心が凍り付きそうになる。
「あ、朝哉違う。そうじゃない。朝哉が悪いんじゃなくて、ただ俺が」
「困らせたいわけじゃないんだ」
「え?」
「今の俺ならだれにもあんたのことを傷つけさせない。今度こそちゃんと守れるように強くなった。だけど、そもそも俺といることで蓮くんが傷つくなら……」
「な、何言って……」
朝哉が急に一歩近づいてきた。
状況を把握する前に朝哉に手首を捕まれて引き寄せられる。咄嗟のことに対応できず、あっさりと俺は朝哉の胸の中におさまっていた。
「朝哉!?」
「どうしたらいい?それでも、あの頃から俺の気持ちは変わらない」
この状況はなんて説明すればいいんだ。
なんで俺は朝哉に抱きしめられている?
困惑が勝って成すがままになっている俺を余所に朝哉は心の内を吐露し始めた。
「好きだ。ずっと、今でも好きなんだよ。俺が絶対になんとかする。約束するから。だから頼む。もう離れるなんて言わないでくれ」
語尾が揺らぎ俺を抱きしめる腕に力がこもる。
一瞬聞き間違いかと思ったが、聞き返せるような雰囲気でもない。それに今どくんどくんと大きな音を立てているのは俺の心臓なのか、それとも朝哉の心臓なのかも分からない。
「結論を出すのは、もう少し待って」
「ちょ、ちょっと待って。俺が悪かったけど、こんな風に揶揄うのは違うだろ」
信じられない。
むしろ違うと言ってほしくてそう言うと、朝哉は俺を抱く腕に力を込める。
「まだ信じてくれない?俺はずっと真剣なんだけど」
「でも。俺もお前も男じゃん」
「だから良かったよ。昔は散々女の子みたいって言われてきたけどさ」
何が良かったのか、その答えを聞くのが怖い。茫然としていると耳元に朝哉の顔が近づいてきた。
「蓮くん昔から女の人苦手って言っていただろ。俺、ちゃんと男だからさ」
吐息が耳にかかり全身が震えた。
バッと耳を押さえ言葉にならない声をあげると朝哉は薄く唇の端を上げる。
「今は返事いらないけど覚えといて」
「な、っ……」
「蓮くんの不安は俺が全部取り除く。だからもう、俺から離れないでくれ」
笑っているような、それでいてどこか切なげな表情を浮かべて朝哉はそう言うと、俺の身体をゆっくりと離す。
言いたいことも聞きたいこともたくさんあるのに、喉元まで出かかった言葉はどれも形にならず霧散していった。
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あのあと、どうやって家まで帰ってきたのかよく覚えていない。
急に廊下が騒がしくなったことに驚いて「とりあえず話はまた」と言い残し、また逃げるようにその場から走り去った。なんだかこんなことばっかりだ。情けない。逃げるか避けるしか能がないのか俺は。
バイトがない日だったからそのまま大学を出て……ああ、そうか。また授業をサボってしまった。これまで真面目に学生生活を送っていたからどうか見逃してほしい。
布団を頭から被り蹲る。
思い出すたびに心配になるくらい動悸がする胸を押さえ、深呼吸をするが一向に落ち着かない。かろうじて残っている自制心のおかげで叫びだしたい衝動は抑えられているが、それもいつまでもつことやら。
頭の中では「今でも好きなんだよ」が繰り返されている。
好き?朝哉が?俺を?
それに今でもってどういう意味だ?
冗談ならともかく、朝哉に限って俺を騙そうとするわけがない。だからといって信じられるわけでもない。だってそうだろう?俺は朝哉を身勝手な理由で振り回して傷つけたのに。今だってこうして逃げ帰って……。
自制心が薄れ出し、堪えきれず布団で口元を抑え呻き声をあげる。
もし仮に万が一でも、朝哉の言っていることが本心だとして、それで俺が「俺のことを好きになってくれて嬉しい。付き合おう」なんて言ってみろ。
それこそどの面下げてそんなことを言うんだという話だ。
自分と重ねたからという理由で助けて、何も知らず懐いてくる朝哉を可愛がり、再会して嬉しいのに本当の自分を知られるのが怖いからと避けた挙句、好意を向けられたからハッピーエンド。
そんな都合のいい話があっていいはずがない。
あっていいはずがないのに。朝哉の「好きだ」という声を思い出すだけで耳の先まで熱くなってしまう。全身の細胞までもが嬉しいと訴えてくるような感覚に舌打ちをした。
「チッ。……あぁクソ」
どこまでも自分本位の奴。
だから俺は、俺が嫌いなんだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!