【14】
最終話です。一話で”寝られなかった”蓮が朝哉と出会ったことで変わります。
あ、キスされる。
目を閉じた瞬間、触れるか、触れないか、そんなギリギリの軽い口づけを落とされ身体が震えた。それは恐怖でも不安でもなく湧き上がってきた期待感で、気付けば自然と腕が伸びて強請るように自ら顔を寄せる。
薄く目を開くと欲情を携えた瞳とぶつかった。後頭部に手を添えられ、髪の間に指が滑り込み頭を固定される。このまま丸ごと呑み込まれそうで強く目を閉じた途端、角度を変え何度も何度も唇を奪われた。自分の身体が勝手に支配されていくようだ。腰が砕けて呼吸も儘ならないのに、それでも全然嫌じゃない。むしろ愛おしさが増してくる。言葉だけじゃ伝えきれない。触れる手や肌、吐息、自分のすべてでこの気持ちが伝わってくれればいいのに。
こみ上げてくる感情に甘い息が漏れた。
「……本当に夢みたいだ」
「ははっ。朝哉がそれを言うのかよ」
至近距離で目が合うのが照れくさい。激しい運動のあとのように大きく呼吸を繰り返す俺に、ぼそりと朝哉は呟いた。小さく笑いながらそう言うと、朝哉は急に真剣な顔をする。
思わず身構えると朝哉は「だって」と口を開いた。
「両想いってことだろ?……やりたいことがありすぎる」
「は?」
「まずは一緒に住みませんか?蓮くんの家よりここのほうが学校も近いですし、二人でいられる時間も増える。本当は蓮くんと行きたいところがいっぱいあるから毎日デートしたいけど、それは現実的に無理なんで週末にデートしましょう。そうだ。久しぶりに竜にも会ってください」
「いやいや、ちょっと待て!」
きょとんとして首を傾げる朝哉が可愛い……じゃなくて。
咄嗟に朝哉の言葉を遮って気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸した。
「正直、こうしているだけでも恥ずかしいというか。俺、こういうの全然慣れてないし、だから急には無理だって」
「そう、なのか」
さっきまでの勢いが急になくなる。
言い方がきつかっただろうか。嬉しくないわけじゃない。決してそうじゃないけど。
「今すぐは無理だけど、でもゆくゆくは……」
「たしかに。ゆっくり考えましょう。時間はいくらでもあるんでした」
その笑みにまた身体がゾクゾクと震える。
あれ、これはどっちの意味だろうか。今なら捕食される動物の気持ちが分かりそうな気がする。
期待か、不安か、それとも防衛本能か。
優しく「蓮くん」と呼んで懐いてくれる朝哉は昔の面影と重なってもちろん可愛いが、こんな治安の悪い顔で笑う朝哉を俺は知らない。
けど……その顔も好きなんだよな。
物好きかな、俺。
「……お手柔らかに頼む」
「もちろん」
即答した朝哉の満面の笑みにつられてあははと乾いた笑い声をあげる。
やっぱり防衛本能かもしれない。早まったかなと思わなくもないが、この選択を後悔する日は絶対ないと言い切れるほどには浮かれていた。
朝哉の肩にぽすと頭をもたれる。
そのまま朝哉を見上げると、目を合わせて「何?」と問われた。甘く蕩けそうになる視線が、むず痒くて嬉しくて感じたことのない幸福に身が焼けそう。
そして、そう素直に感じられる胸の内であの頃の俺が笑っている。
「なんでもない」
「なんだよ、それ」
冷静になって思い返すと朝哉はずいぶん照れくさいことを言っていたはずなのに、何故か今の方が頬を赤らめている。それがおかしくて小さく肩を震わせた。
「笑ってないで。休むならベッド行きますよ」
「ええ。ここでいいよ」
「駄目だ。しっかり休まないと。村田……さんにも言われただろ?」
とってつけたような敬称だがきちんとそう呼ぶ。それが面白くて口元を押さえた。笑い続ける俺にムッとした朝哉は、ガシガシと頭を掻くと急に俺の身体を抱き上げる。
「わっ!」
「揶揄う元気があるなら段階飛ばしてもいいですけど?」
段階?
そのまま朝哉が向かう先が寝室だと気付いてカッと頬が熱くなった。
「あ、あ、っ。あさや」
「ふっ……冗談だ」
焦る俺を見下ろした朝哉がにやりと笑った。どうやら俺も揶揄われたらしい。それすら分からないなんてあまりにも余裕がなさ過ぎる。恥ずかしくて無理やり降りようと動くと「おいっ」と言われた。
「危ないからジッとして」
「自分で歩ける」
「いいから。ほら大人しくしていてください」
額に軽く口づけされた。
いや、これは……。恥ずかしさは度を超すと思考を止めるらしい。そのまま寝室に入った朝哉は俺をベッドに寝かせた。
「……随分慣れているんだな」
諸々の対応を優しさで済ませてもいいが、あまりにも手慣れている。別に不貞腐れているわけじゃないがつい口が滑った。さすがに幼稚だったか?別に深い意味はないと言おうと口を開いたが、朝哉の手が俺の頭を撫でる。
「八年」
「え?」
「八年、俺は蓮くんのこと一度も忘れたことない」
「あ、ああ」
「その間いろいろ想像していたから。看病だってなんだって一通りやったんだよ」
「それはやったって言うのか?」
「俺の想像力を舐めんなよ。……いいから、ほら早く寝てください」
一通り。いろいろ。
なんだか含みのある言い方にじわりと胸が熱くなった。朝哉の頭の中で俺は何をされているのだろうか。
絶対赤くなっている。熱くなった頬を隠すように頭から布団をかぶった。朝哉の気遣いを受け入れよう。ちょうどお腹もいっぱいになりこのまま目を閉じたら眠れる気がした。
横向きになりいつものように布団の中で身体を丸めると「蓮くん?」と疑問形に名を呼ばれた。布団から目だけ出すと、困惑したような顔で見下ろす朝哉と目が合う。
「どうした?」
「いや……ちょっと、ごめん」
珍しく言葉を濁すとおもむろに布団を剥がされる。
小さく丸まっている俺を見て朝哉の眉間にわずかに皺が寄った。
「急になにすんだよ」
「……手出して」
「は?」
意図が分からず聞き返すと朝哉はベッドの横で膝立ちになった。差し出された手の平と朝哉の顔を交互に見ておずおずと手を伸ばす。俺の手をしっかりと握ると朝哉は反対の手で俺の肩をゆっくりと向こう側に押した。ごろんと身体を転がされた俺は天井を見上げて唇を噛む。無意識に繋いでいた手に力が入り、縋るように朝哉の顔を見上げて首を横に振った。
「これは気にしないでくれよ。俺はこれじゃ……寝られない」
「俺がここにいるのに?」
すぐに返事が出来なかった。
分からない。
だって仰向けで寝たことなんてないから。寝ようとしたけど寝られなかった。不安になって怖い想像をして落ち着かなくて。でもそんなことを口に出したくない。情けないところを何度見られても、それでもまだ朝哉の前では格好良くいたい自分がいる。今更なのは分かっていても、だ。
「目、閉じて」
「でも」
「大丈夫だから」
真剣な朝哉の声に観念してゆっくりと瞼を下ろした。カーテンを開けないまま出てきたから寝室は薄暗いまま。目を閉じるとさらに暗さを感じ足の先がぞわぞわしてきた。
朝哉がいたからって無理なものは無理。
長年の癖がそう簡単に直るわけない。落ち着かなくて体は横を向きたくなる。こんな風に気を遣われてもやっぱり駄目だ。何をそんなに怖がっているのか自分でもよく分からないまま、腰を少しだけ捻ると布団が持ち上がる。どうしようもなくて薄っすら目を開けると、朝哉は持ち上がった布団の隙間に腕を差し込みそのまま体をすべり込ませてきた。
「な、なんでお前まで入ってくるんだよ」
「別に何もしませんよ」
「そういう問題じゃなくて」
普通のシングルサイズよりは大きく感じていたが、男二人が並んで寝るには狭すぎる。
無理やり入り込んできた朝哉に場所を譲るべく反対側を向いた。壁際にくっつくように身を寄せるが、朝哉の手がまた俺の身体を転がす。
再び天井を向いた俺は首だけ横を向いた。
「こんな状態で寝れるわけねぇって」
「いいから。さっきみたいに目閉じて」
「だからっ」
ムリだと言う前に朝哉の手が目を覆った。無理やり視界を遮られ「朝哉」と抗議の声をあげるが聞き入れてもらえない。
「もう一回試してよ。ほら」
「何されたって無理だよ。長年の癖はそう簡単に」
まだぶつぶつと言っているとリップ音が響く。視界が塞がれているせいでふにっと残る感触がやけに生々しく感じ、心臓がギュッとなった。
「まだ必要?」
どこか揶揄うような口調に大きく首を横に振る。
このまま拒み続けたら何をされるか……。半ば諦めて渋々目を閉じた。朝哉の手が視界を覆っているせいかさっきよりさらに暗く感じる。
どうせ無駄だ。
さっきだって駄目だったんだから。
朝哉になんて言えば分かってもらえるのか考えていると、心許ない足先に朝哉の足が触れる。朝哉のいる側だけ妙に温かい。左半身から感じる温もりが冷たい布団の中で拠り所になった。
なんだかさっきと違う。
怖くはない。けど心臓が大きな音をあげる。不安とはまた違うなんだか感じたことのないぞわぞわ感に、何か言わなければと言葉を探した。けど胸の内でぐるぐるとしているだけで自分が何を言いたいか考えがさっぱり固まらない。
けど、その内朝哉の手がまるで幼子をあやすように俺の胸の上に乗った。
指先がリズムを刻みだす。恥ずかしくて布団の奥に逃げるように潜り込むが、朝哉は何も言わなかった。
こんな状況で寝られるわけがない。そう思うのに不思議と恐怖や不安を感じていない。実際それどころではないのだが何故か自然と瞼が落ちていく。朝哉の指はこうしている間もずっと規則正しいテンポで動き、それが自分の鼓動と同じテンポだと気付いた。
だから心地が良い。
触れる箇所から伝わる体温と、すぐ近くで感じる吐息に安心する。
一人じゃないのだと全身から感じていく。
固く握っていた右手の拳を解く。強張っていた身体から力を抜いて自然とベッドに身を任せてみた。どこか覚束なさも残るが、それでも怖くない。仰向けのまま呼吸の速度が徐々に穏やかなものに変わっていく。
とん、とん、と朝哉の指がそう促してくれる。
絶対無理だと思っていたのに、まるで魔法みたいだ。
遠のいていく意識の中「おやすみ」と優しい声が聞こえた気がした。
企画に応募したくてBL作品書きましたが、最後まで書き切れました!書きながら読む人を選ぶ作品だなと思っていましたが、ブクマ・評価など応援していただけた方もいらっしゃって、とても励みになりました。嬉しかったです!最後まで読んでいただきありがとうございました!
今回重めの話だったので書きながら軽めの話を書きたくなり、今構想していたのを形にしています。次はサクサク読める会話メインになる、はず、です。




