【12】(朝哉視点+幼少期)
切ない描写ご注意ください。
「お前……もしかして知っているのか?」
「いえ」
違う。この返事じゃない。
おそらくこの問いの正解は「なんのことですか?」だ。
どこでそう思わせてしまったのか。自分のどこに違和感を覚えたのか。この話の流れでそんな問いが出てくるとは思わなかった。ほんの数秒でも、目を逸らしてしまったことに蓮はきっと気付いている。
固くなっていく表情を見てそう感じた朝哉の心臓はキュッと縮み上がった。
嫌な沈黙が流れる中、蓮は何も言わず背中を向ける。
「あっ、……」
「冷める前に食べたいから。……あれも、ありがとう」
そう言ってリビングへ行った蓮のあとをついて行くことも出来ず、朝哉はキッチンに残った。口調から怒っているようには感じなかったが、今何を思っているのか想像するのが怖い。
聞かれていないから言っていない。
ただそれだけだ。
それなのにどこか後ろめたい気持ちになる。自分の前ではいつも格好良くいようとしてくれるのは彼のプライドだと思っていた。
だから尊重した。
言いたくないなら言わなくていい。思い出したくないなら思い出す必要はない。
だけど何も知らないと思って接してくる蓮の気持ちを裏切っている感覚は、ずっと朝哉に付きまとっていた。
リビングから時折聞こえてくるスプーンとお皿が当たる音。
その頻度は次第に多くなり、そしてとうとう止まる。
静かになったリビングの様子が気になってそっと覗いてみると、蓮と目が合った。
「朝哉」
ちょいちょいと手招きされて喉が鳴る。ゆっくりと蓮の元へ向かうと隣に座るように促された。
「誰にも言っていないんだけどな。いつから……朝哉はどこまで知っているんだ?」
そう言われて横を向くと蓮の唇が震えていた。
彼の心中を察して言葉が出ない。
選択肢は何個か用意していた。
あまりにもショックを受けている蓮に最後まで誤魔化し通すことも考えた。だけどそれは必死に答えを知ろうとしている蓮に対して失礼ではないだろうか。
全てを正直に話す。
それは蓮はもちろん朝哉にとっても隠しておきたい話だった。
「初めて会った時のこと覚えている?」
「……あぁ」
「蓮くんに会うまでの俺は、謙遜でもなんでもなくて、本当に弱い人間だった」
組んだ両手を太ももに乗せた朝哉は背中を丸めた。
成長して見た目以上に性格も変わった自負があったが、蓮を前にすると幼い頃の自分が顔を出す。
ぽつり、ぽつり、と記憶を辿るようにして言葉を紡いでいった。
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家族のことは好きだ。
父も母も兄も。そして血の繋がりはないけど一緒に暮らすみんなのことも。
だけど好きだと思えば思うほど、自分とみんなの違いばかり見つけてしまう。好きなのに交われない孤独さは次第に自分に対する苛立ちに変わっていった。
父に似て男らしい顔の兄と違い、何故か自分は女みたいな顔。
兄と違うと癇癪をおこしても年の離れた兄は俺を軽くあしらうだけ。
兄弟仲は悪くなかったが、兄は見た目だけじゃなく性格も強さも何をとっても完璧で、俺は勝手に兄と比べては自分を卑下するようになっていた。
「俺も小さいときは女の子みたいって言われてたし。気にすんなよ」
成長すれば顔つきも変わる、という兄の言葉など信じられなかった。
十歳年上の兄は強くて格好良くて父や竜たちにも頼りにされていて、喧嘩は強いし泣いているところなんて見たことがなかったから。
そんな気休めはいらないとますます喚いた。
ガキだったんだ。
年の差と割り切ることも出来ず、納得のいかない現状に泣くしかない糞餓鬼。
そもそも痛いのも怖いのも嫌いだった。
だからいじめられても言い返すこともやり返すことも出来なくて、それでいてプライドだけは高い。泣きたくないのに感情が高ぶるとすぐに涙が出てしまう。
家族の中で自分だけがこんなに弱いと認めたくなくて、一人でなんとか出来ると思いこみどんどん鬱屈した思いを募らせていく。
そんなときに蓮くんと出会ったんだ。
強面の大人たちに囲まれて育った俺は、近づいてくる蓮くんを見て正直弱そうだと思った。だけど蓮くんの口から出る荒々しく重たい言葉に身体が震える。意固地になっていた自分が恥ずかしくなり赤面した。
それまで強いと思っていたのは身近にいる家族だけだったのに、こんな弱そうなやつでもこんなに強い。それが悔しくてつい意地を張ったが、それでも蓮くんは俺に「強いんだな」と言ってくれた。
そうじゃないことは自分が一番分かっているのに。
何故かあのときはその言葉が泣きたくなるほど嬉しかったんだ。
一緒に過ごす期間が長くなればなるほど、一緒にいることは当たり前になっていく。だから突然聞かされた引っ越しという話を受け入れられず、散々泣いて困らせてしまった。
そのせいでどこか薄々感じていた……例えばいつも同じような服を着ているとか、そういう違和感の正体を知ることになるとは思わなかったんだ。毎日わざわざこんな遠くの公園に日が暮れるまでいる理由は聞かないようにしていたのに。
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蓮くんと別れてから俺はずっと自分の行動を恥じていた。
「引っ越さないで」と散々泣いてしまった自分が情けなくなる。そういえばこれも渡しそびれていた、とお土産が入った紙袋の存在を思い出してせめて謝ろうとすぐに蓮くんのあとを追いかけた。
歩幅が違うせいでなかなか追いつけなかったが、遠目で蓮くんが二階建てのアパートの階段を上がっていくのが見えた。急いで走ったが何個目の扉だったのかハッキリと見えなかったせいで、どの部屋に入ったのかまでは分からない。
同じ扉が何個も続くアパートを見上げたまま、しばらく悩んでいると次第に辺りは暗くなってくる。
階段を上がり何度も通路をうろうろした。
今日は竜もいないしこのまま見知らぬ場所で夜を迎えるのも怖い。意を決して端からチャイムを押してみようと思った矢先、階段を上がるハイヒールの音が聞こえた。
誰か来る。
怪しまれるだろうか。咄嗟に探し物をしているように紙袋を開けていると、甘く濃い香りが鼻をついた。むせかえりそうなその匂いに眉を顰めていると女の人が通り過ぎていく。俺のことなど何も気にしていないようにカツカツと歩いていったその人は、左から3番目の扉のカギをあけて中に入った。
ドアを開けた途端「うわっ。あんたいたの?電気くらいつければいいのに本当グズなんだから」と女の声が聞こえた。
ドアは開いたままだった。
嫌な感じがする。
違っていてほしい。
蓮くんに関係のないことであってほしい。
俺は引き寄せられるように近づいていきそっと耳を澄ませた。部屋の名から千切れるような痛々しい叫び声が聞こえ奥歯がカタカタ鳴る。続けて聞こえてきた甲高い肌を打つ音と悲しい言葉の雨に思わず耳を塞いだ。
自分が聞き間違えるはずはない。
あの中に蓮くんがいる。
そう思った瞬間身体が一気に重くなった。暴言の類は同じ歳の子より馴染みがあると思っていたが、それが身近な人間にかけられている言葉となると感覚が違う。
自分が言われているわけでもないのに、その場から一歩も動けなくなり瞬きをしたらまつ毛を伝って涙が零れ落ちていった。
自分のことを助けてくれたあのときの蓮くんみたいに、今すぐ助けに行きたいのにこの身体は涙を流すだけで何の役にも立たない。
気づいたら俺は弾かれたように走り出していた。何もできない。自分は何も……。
泣きながら必死に走って家に帰ると、ちょうど家の外を窺う竜を見つける。門限はとっくに超えていた。
「おいっ!こんな時間までどこ行ってた……朝哉?」
当然竜は怒っていたが、泣きながら帰ってきた俺を見てギョッとした様子で駆け寄ってくる。
「どうした!何があった」
「グスッ、一緒に、きて……お願い、蓮くんが」
泣きながら帰ってきたせいで多分酷い顔をしていたんだろう。
今まで何をされてもこの家に泣いて帰ってきたことはない。部屋で泣くことはあってもそんなダサい姿家族に見られたくなかったから必死に耐えていた。だけど今はそんなこと考える余裕すらない。
様子のおかしい俺を見て、何かされたのかと竜は怒ってくれている。俺ですらビビるくらいの怒気を纏う竜に縋りついた。こんなに優しい竜ならなんとかしてくれる。竜は兄ちゃんと同じくらい強いし、父さんにだって認められているから。だから……。
拙い言葉でなんとか事情を伝えた。
「ねえ、今すぐ蓮くんを助けて!あんなところにいたら死んじゃう。俺の家に連れてきてよ」
竜ならきっとすぐに助けてくれる。
もう大丈夫。俺は何もできないけど、俺には頼れる人がいる。
ようやく安心できると思ったのに、竜は怒気を払ってしまい苦しそうに顔を歪めた。
「それは……俺たちがどうこう出来る話じゃねぇんだよ」
「えっ。……は?なんで?……な、なんでだよ!竜強いんだろ!竜ならあんな女の人簡単にやっつけられるじゃんっ」
「朝哉。落ち着け。たしかに蓮をこの家に連れてくることだけなら出来る。だけどそれは根本の解決にはならないだろう?」
「そんなのいいの!とりあえずあそこから蓮くんをっ!!」
「何の騒ぎだ」
竜なら俺の言うことを聞いてくれると思ったのに。
しゃくりあげるように泣き出した俺の声に気づいたのか家の中から父さんが出てきた。嗚咽交じりで話にならない俺に代わって竜が経緯を説明する。話を聞いた父さんが竜に耳打ちをすると、竜は気遣うように俺を見た後すぐに家を出て行った。
「もう大丈夫だ。そういう事情なら警察の方が動ける」
そう言われても信用できない。
今すぐ助けにいかなくちゃ、としゃくりあげながら外へ飛び出そうとする俺を父さんは「いい加減にしろ」と一喝した。俺の肩を力強く掴んだ父さんは、グッと眉間に皺を寄せてしゃがみ込む。
「大人の私たちですらそれを聞いても直接何かをしてやることは出来ない。本当は朝哉も分かっているはずだ……お前は今何に対して泣いている?何に怒っているんだ」
ひゅっと息を吸い込む。
ボロボロと涙を溢れさせる目を大きく瞠った。
「身近な人間、それも親しい人が傷つけられるのを見て怖かったのか?」
再びそう問われて弱弱しく首を横に振る。
違う。
たしかに怖さは感じた。だけど今身体を占めているのは恐怖ではない。
「ふっ、ぇっ。ぅ……なにも、……できない」
言葉にしたらますます涙が溢れてくる。
意地になっているのは分かっていた。竜を困らせていることも、自分が駄々を捏ねているただの子どもだってことにも気づいてしまう。
「弱い自分が、……助けられなかった、あの場から、に、げてきちゃった。自分が、悔しい」
そう口にしながらまた涙が溢れてくる。しゃくる俺の身体を父さんは優しく引き寄せてくれた。
「悔しいな」
自分の気持ちに寄り添ってくれる父さんにまた目が熱くなった。
「誰かを守るというのはそれだけ難しいことなんだ」
父さんはそう言いながら俺を優しく抱きしめた。泣いているときにこうしてくれる相手が俺にはいる。
けど、蓮くんは?
きっと今蓮くんは一人で泣いている。
一人きりで心細いはずだ。誰よりも強くて誰よりも優しいから。俺が、俺が父さんみたいに抱きしめてあげたい。
大丈夫、俺がそばにいるから。と強く抱きしめて一緒にいてあげたい。
「それなら。俺、つよくなりたい。あそこから蓮くんを連れて逃げられるように。ひっく。……たすけられるくらい強くなりたい」
思い切り鼻を啜って服の袖で目元を擦る。
「俺も、父さんや兄さんみたいに、強くなりたい」
痛いのも、怖いのも、嫌いだった。
だけどそれよりこんな思いはもう絶対にしたくない。今までの弱い自分も小さなプライドもなにもかも全て捨てて俺は父さんにそう言ったんだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!




