【11】
まだ賑やかな夜の街を朝哉と並んで歩く。
身体の震えは収まったが、まだ少し胃のあたりがムカムカとして気持ちが悪い。顔色が悪い俺を気遣うように朝哉が「家に来てください」と言った。
「いや、そこまで迷惑かけられない」
「蓮くんのことで、俺が迷惑と思うことなんてないから」
そういう問題じゃないんだが、たしかにこの状態で二時間以上かけて家に帰るのは正直気が重い。
「それに俺の家この近くだし」
「……それじゃ、少しだけ休ませてもらおうかな」
「どうせなら泊まってよ。まだ気分悪いだろ?朝起きたら雑炊用意しておくから」
「雑炊……酔っ払いに魅力的な提案をするな」
「はは。それじゃ決まりで」
本当は酒に酔ったわけじゃない。
朝哉だって分かっているはずなのにあえてノってくれた。
一人暮らしにしてはずいぶん立派なマンションのエントランスに入る。部屋は広々としてあまり生活感を感じるものではなかったが、朝哉が暮らしている空間に包まれて安心したのかもしれない。玄関で靴を脱いだ瞬間気力がぷつんときれた。
ガクッと膝をつきその場にへたり込んでしまう。
慌てたように俺の体を支える朝哉の腕の力を感じながら、俺はそのまま意識を手放してしまった。
瞼の向こう側に光を感じてうっすら目を開ける。
カーテンの隙間から差し込む光をぼんやりと見つめゆっくりと上半身を起こした。
そういえば朝哉の家だっけとまだ寝ぼけた頭で昨日のことを思い出していく。
玄関で靴を脱いだ覚えはあるがそれ以降の記憶はない。ふと下を向くと見たことのない服を着ていた。ずいぶんと長い袖は手の平まですっぽりと隠してしまう。
このジャージもきっと朝哉が……。
想像したら顔が熱くなった。ベッドまで連れてきてもらうどころか、おそらく着替えまでさせてしまったらしい。
「朝哉?」
ベッドから起き上がり寝室の扉を開ける。
リビングの方を覗くがそこに人の気配はなく、洗面所もトイレも一応声をかけるが誰もいない。買い物にでも行ったのだろうか。家主のいない部屋にいるのは落ち着かない。
とぼとぼ廊下を進みキッチンを覗くとコンロの上に置きっぱなしの鍋を見つけた。
チョコレート店のメニュー考案をしていると言っていたが、まさか料理まで作れるなんて……。
勉強と一緒でやった分だけ成果が目に見えるものと違い、料理の腕だけはちっとも上達しなかった。腹が満たされればなんでもいい。俺の食に対する気持ちはその程度。
興味本位で蓋をあけるとふわっと湯気があがった。
「これは……」
鍋の中には雑炊があった。ほんのり塩気のある香りに唾を飲み込んで、昨日の会話を思い出す。俺の為につくってくれたのかと思うと頬が緩んだ。「お皿借りるよ」と呟きながら雑炊をよそう。
前言撤回。
やはり食は大事だ。
誰かが俺のことを思い、俺のために作ってくれたものというだけで、食べる前にまず胸がいっぱいになる。
スプーンを取りリビングへ持っていってソファに座った。
さっそく一口頬張って少し首を傾げる。
(ん?)
随分煮たのか咀嚼がいらないくらい米粒が柔らかい。酒を飲んだ挙句ストレスに晒された胃にはちょうどいいが、ただ強いて言うなら想像していた味ではない。
味がないわけでもないし出汁の感じも伝わる。でもなんだろう。雑炊ってこういう味だっけ?
「……あったけぇ」
でもちゃんと美味しい。
朝哉の気持ちが伝わってくる。素朴で温かな雑炊に視界が滲んだ。
鼻を啜りながら半分ほど食べすすめていると玄関のドアが開く音が聞こえた。慌てて目元を擦り、帰ってきた家主に片手をあげて挨拶をする。
「おかえり」
「あ、蓮くんもう起きて……って、おいっ!それ、なんで」
スプーンを咥えた俺を見て朝哉はギョッとしたと思ったらキッチンに駆け込んだ。なんだ?と目で朝哉を追っていると、すぐにお皿を持ってリビングに戻ってくる。
「え、これ俺のじゃなかったのか?ごめん、てっきりそうだと思って食べちゃった」
「いや。蓮くんのだよ。蓮くんの為に作ったんだけど……そんなまずいもの食べてほしくなかったのに」
朝哉の手にぶら下がるビニール袋には中華料理屋の店名がかかれていた。袋から取り出したパックの中身をお皿に移し替える。
「こっちを食べてください」
ほわっと中華の匂いが香ったお粥を差し出された。お皿を覗き込むとエビとかホタテが入っているのを確認できたが、俺はそれを受け取らず手の中にあるお皿をしっかりと持ち直す。
「やだ」
「は?」
「俺はこれがいい」
「いやいや、おかしいって。絶対こっちのほうが美味しいから」
無理やりお皿を取り上げようとするから、俺はソファから立ち上がった。呆気にとられる朝哉の横を通り抜けキッチンに駆け込むと、鍋に残った分も全てお皿によそう。
「だからダメだって!」
あとを追ってきた朝哉にそう言われるが「うるさい!」と反論した。
「まずくないし、俺はこれがいいって言っているだろ」
「えぇ……なんで」
頑なにそう言うと朝哉は困惑した声を上げる。
呆れられたかもしれない。朝哉にとっては失敗作かもしれないが、俺にとっては何にも変えられないものなんだ。
もう無理やり取り上げるようなことはしないが、口を閉じて立ち尽くす俺に朝哉は小さく息を吐く。別に困らせたいわけじゃない。リビングに置き去りにされた海鮮粥から上る湯気を見ているとやるせない気持ちになる。
あれだって朝哉がわざわざ自分の為に買ってきてくれたものだ。
もちろん嬉しい。
だけど手元にあるこの雑炊以上の価値を見つけることが出来ない。
「今日はあっちを食べてください。今度は上手に作りますよ。それに俺でよければいつでも温かいご飯を作って待っていますから」
これじゃどっちが年上か分からない。
宥めるようにそう言われて下唇を噛む。ずっと気付かないようにしていたが、とある疑惑が胸の内から溢れようとしていた。
「……あのさ」
「なんですか?」
「お前……もしかして知っているのか?」
ずっと感じていた違和感。
朝哉は俺の欲しい言葉をくれ、俺が望むことを先回りしてくれる。俺のこと好きすぎるだろ、なんて馬鹿げた漫画の主人公みたいに思ったこともあるが、どう考えてもやっぱりおかしい。
静かなキッチンに俺の問いかけが響く。
朝哉は「いえ」と言ったが、一瞬目が逸れたのを見逃さなかった。
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