04-参-旅立ちⅡ
ヒイラギは神社の表通りに立っていた。
白を基調とした軽装のローブに、薄手の外套を羽織る。
右腰には織界ノ剣〔しょっかいのつるぎ〕、左腰には護界ノ聖剣〔ごかいのせいけん〕を佩いている。
足元には、しなやかな革で仕立てられた白の旅装ブーツ。
長い移動に耐えうる堅牢さと、動きやすさを両立していた。
細く締められた旅帯が、鍛えられた体をすっきりとまとめ、
左手薬指には、銀色の指輪──タケルの想いを宿した指輪が静かに光を受ける。
右手人差し指には、交界国ヴェクセルの保管庫と繋がる指輪が嵌められていた。
この指輪は、解放Lv0の状態で使用が許可されている。
取り出せるのは、どの世界にも存在する一般的な小物類に限られていた。
肩にかかる白い外套が、風にわずかに揺れる。
背に流れる長い黒髪もまた、静かに靡いている。
周囲には人影はない。
ただ、朝の光と、乾いた風が境内を満たしていた。
ヒイラギは、旅支度を整え、そこに静かに佇んでいた。
「おはよう。……そして、お待たせ」
彼女はその言葉を聞いて顔を上げた。その先、澄みきった空気の中に、確かにひとりの存在が佇んでいた。
交界神。
白銀の髪は微かな光を受け、流れるように揺れている。
その足元には、影も光もなく、ただ静かな律動だけが広がっていた。
纏う衣は、白と金を基調とした神装。
柔らかく、しかし確かな威厳を宿したその姿は、世界の理そのものが形を取ったかのようだった。
背後に存在するはずの朝の光さえ、交界神の周囲ではわずかに屈折し、まるで彼女自身が世界の中心であるかのように、空間が凛と引き締まっていた。
その瞳は、夜空に瞬く星々を宿し、静かにヒイラギを見つめていた。
冷たさはなく、けれど人の温もりとも異なる、透明なまなざし。
一歩、交界神が歩み寄るたびに、境内を満たす空気が、わずかに震える。
音もなく、風もなく、ただこの世界に──彼女という存在だけが、確かに「在る」。
朝の光すら彼女を照らすことを忘れたかのような静寂のなかで、神は、ただ一言を口にした。
「支度は、整ったようだね」
その声は、澄み渡る空よりも高く、大地の奥深くよりも静かだった。
神は手に現れた、平たく艶やかな黒い板状の道具をヒイラギに差し出した。
掌にすっぽりと収まる大きさで、表面は滑らかに磨かれている。
ヒイラギは無言でそれを受け取った。
指先に伝わるのは、ひんやりとした金属と、わずかな重量感だった。
「これで、異なる世界にあっても、必要な連絡は取れる」
神はそれだけを告げた。
端末の表面には、触れると光が走り、見慣れない記号と共に二つの名前が表示された。
交界神。
そして、ミササギ。
ヒイラギは、それを静かにローブの内ポケットへと収めた。
「今後の異世界転移も、この端末を使うからね」
続けられた神の言葉に、ヒイラギは、この端末が単なるコミュニケーションツールではないことを理解した。
「無くしそう……」
「仮にも現役JKだった時代があるんだから、問題ないでしょ。……ミササギは壊すわ無くすわで、頭を抱えてるけど」
神は軽い口調で言い、自らの伴侶に対する愚痴を漏らした。
「ま、まあ、あの方は……その、ね?」
ヒイラギも知っていた。ミササギがどんな存在と対峙し、そして討ち果たしてきたのかを。
だからこそ、こんな小物が壊れるのは、致し方ないと考えていた。
「……ごめん、愚痴った。うん、私が一番わかってるんだけどね」
盛大なため息をついて、交界神はヒイラギの門出に視線を戻した。
「最初の世界の名はアール」
神は、指先で空間を軽く撫でるような仕草をした。
その動きに合わせるかのように、境内の空気が僅かに揺れる。
「最初にそこを選んだ理由はね。君が最も依頼を達成しやすいと、私が感じたからだよ」
ヒイラギを見やりながら、神は微笑んだ。
けれど、その微笑みは、どこか計算されたものに見えた。
「それが終わったら、任意のタイミングで次の世界に行っていい」
軽く肩をすくめる仕草。
あくまでも「自由だよ」と言わんばかりに。
「……もちろん、その世界の住み心地が良くて、住み着いてしまうのも止めはしないけどね」
神はそこで、ふっと口元だけで笑った。
しかし、その瞳はどこまでも静かだった。
「でも──そうすると、別の世界で救いを求めている誰かが、たぶん死ぬ」
最後の一言だけは、微笑みもなく、淡々と告げられた。
神の言葉を聞き、ヒイラギは心の中で静かに思った。
(それ、ただの脅しです)
交界神の権能により、境内の空間がゆっくりと歪む。
その先に、まだ見ぬ異世界の光景が浮かび上がった。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
神の声が、どこか楽しげに響いた。
ヒイラギは一度、深く息を吸う。
そして、迷いなく、光へと歩み出した。
境内を満たしていた静寂が、わずかに揺れる。
足元に広がる空間は、まるで水面のようにきらめき、その先には、まだ見ぬ世界の景色が広がっていた。
白い外套が風を孕み、黒い髪が夜のように靡く。
ヒイラギは、ためらうことなく、新たな旅へと、踏み出した。
拙作をお読みいただき、誠にありがとうございます。
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