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4:【突然】

 放課後、るりと分かれる。案の定るりは赤点を連発してしまい、補習、再テストという過酷なコースに足を踏み入れていた。

 いつもの帰り道、最寄り駅でふと気づいた。

「…ピアノ?」

 そこには何でもない普通のアップライトピアノが置いてあった。

『こんなの置いてあったっけ…?』

 あまりにも唐突に存在するそれに頭を巡らせるが、少なくとも二、三日前まではまだなかったように思う。

『…こんな所に置いても、きっと悪戯されてボロボロになっちゃうんだろうな』

 この辺はお世辞にも柄の良いところではない。こんな所にピアノを置くなんて、どういう性善説なんだろう。

 立ち去ろうとすると、そのピアノの椅子に腰掛ける人物がいた。

 多分高校生くらいだろう。派手な茶髪を高い位置でまとめ、シャツも着崩してスカートも短い。カバンを見ないとどこの学校なのか分からなかった。

 どうしよう、ピアノに何か良くない事をしたりしないだろうか。駅に突然、ポンと現れたが、それが安いものではない事など知っている。こまめに調律もしなければならない。

 その手間を考えると、この子が何をするかによっては声をかけた方がいいのかもしれない。

 音楽は嫌いだが、楽器は悪くない。

 誰がどう弾くか、そういう問題だ。

 私は足を止め、少し離れたところからその様子を伺う。

 その女の子はカバンをサスティンベダルの近くに放り込むと、少し息を整えて指を鍵盤に乗せた。

『!?』

 一瞬でわかった。

 この子は「持っている」

 ノクターン第二番変ホ長調、フレデリック・ショパンの夜想曲だ。甘く囁くようなメロディーライン。優しくもある中に、情熱的な旋律を感じた。演奏能力の高さもそうだが、次第に高まっていく感情とラストの儚く余韻を残す表現力。

 あんなに嫌いな「音楽」なのに、私はその「音」が終わるまで、立ち去る事ができなかった。

 その子は演奏を終えるとカバンを掴んで椅子を立つ。

 その瞬間、バチン、と目があった。

 私は何故か慌てて目をそらし、改札に向かって走り出した。

 

 改札で定期をかざす。ピッという音のあと、ゲートが開いた。それがもどかしいくらい駅のホームに向かって駆けていった。

「はぁ…はぁ」

 電車を待っている間、息を整える。

 なんで私は逃げるような事をしてしまったんだろうか。

 多分、私はまた逃げたかったんだ。「音楽」から。

 結局私は三歳から始めたピアノを高校に入る時に辞めてしまった。まるで逃げるかのように。周りからは器楽科がある高校に進むようアドバイスされたが、もう私の気持ちは音楽から離れていた。

 他のピアノを習っている子たちは好きな曲やポピュラーミュージック、興味のある曲をたくさん弾いていた。

 それに対して、私の習っているピアノは違っていた。ひたすら出される課題曲をこなす日々、正しく音程をとり、読譜するソルフェージュ。記譜や音楽知識を習う聴音、何度も出なければならないコンクール。その「結果」しか反映されない「音楽」。

 昔はこんなふうじゃなかったのに。どこで変わってしまったんだろう。上手く弾けなければ叱責される。それに怯えながら私はひたすら「音」を「奏でて」いた。賞も何度か取っている。でも、それも嬉しくなかった。また次、その次、ずっとずっと続いていく「音楽」…こんなの、本当に「音楽」と言えるのだろうか。

 中学最後に受けたコンクールで私は最優秀賞を取った。スポットライトを浴び、丁寧にお辞儀をする。その瞬間、私のなかで何かが崩れた。これ以上はもう弾けない。弾きたくない。このままでは自分が壊れてしまう。もう、これ以上、私の心を蹂躙しないで欲しい。こんな「音楽」しかない人生なんて…。

 上手いことがすべて。私は怒りと諦め、両方の感情で「音楽」から逃げた。

 幸い、成績の方は上だったので進学校に行く事ができた。これで、やっと「音楽」から離れられる、そう思っていた。

 でも。

 あのピアノを弾いていた子からはピアノへの真摯な気持ち、音を奏でる事はどんなに楽しいことなのか、聴く人に訴えかけるものがあった。だから私はその場を離れる事ができなかったんだ。

 私の中に残る、ほんの少しの「音楽」への未練…楽しかったあの頃に戻りたい…。戻れたら…。と思う未練。それを引き出すかのような音だった。

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