30:【願い】
またいつものように、私は駅のピアノを引き続ける。
これが日課というか…。
私の、もう居ない母さんの願いだから。
相変わらず何曲か弾いていると、人混みの中に彼女を見つけた。
「…琴音!」
私は演奏を終わるとそうそうに席を立つ。
「もう、具合大丈夫?」
るりの話だと、1週間ほど学校を休んでいたようだった。
「うん…」
私が次の曲を弾かない事を知って、ちょっとした人混みは分散していく。
「るりに何か言われた…?」
「ううん、逆に励まされちゃった。私、あんなに酷い事をしてしまったのに、それでも私の演奏が好きだって、言ってくれた」
「そっか…」
私はそのピアノの鍵盤を一つだけ押した。ポン、と綺麗な音が弾ける。
「私もね、すごく好きだよ、琴音の演奏。ずっとずっと前からね…」
どこか懐かしむような素振りでピアノを指でなぞる。
「このピアノ、私の母さんが残したものなんだ。母さん、私が中二の頃に死んじゃったんだけどね」
「え…?」
「色んな人に弾いてもらいたい。誰かのために音を奏でて欲しい。そう言って亡くなったよ。だからここに置いてもらおうと思ったんだ」
「それと、琴音に会うために」
鍵盤をなぞる手をとめて、美音は言う。
「私の母さんね、幼稚園の時、琴音にピアノ教えてたんだ…」
「まだ琴音が専門的な方向に行く前にね」
「すごく上手い子がいるって、楽しそうに話てた」
「小学生の時、私っていまいち上手くなくてさ。下手でもないとは思ってたけど」
「それで母さんは言ったんだ、この子はすごいよって。自分が羨ましいと思うほど色んなものを持ってるんじゃないかって」
「でもさ、琴音ってその辺から音がおかしくなっていったよね。母さんもそれに気づいてたよ」
「すごく悲しんでた。何が琴音にあったんだろうかって。なんでこんなに辛そうにしてるのか」
また美音はぽん、とピアノの鍵盤を鳴らす。
「私に言ったんだ。あの子を助けてあげなさいって。だから琴音のためにずっと頑張って前を向いてた」
「やっと…母さんの願いがかなったかもしれない…」
美音の声が震える。
琴音は私をそっと抱きしめた。
「ありがとう、私も、あの頃の事を思い出したよ。まだ、純粋に音楽が楽しかった時」
「だから、もう一回、頑張ってみる」
「!?」
琴音は私を抱きしめたまま、そっと唇を寄せてきた。
るりが言ってた直情的って、こういうところなんだろうかと思う。
「もうちょっと…人のいないところが良かったかな」
私は苦笑いをする。
今更それに気がついたのか、琴音の頬は真っ赤に染まっていた。




