第8話 そんなに期待しないでください
「よし、写植完了!!」
林田が野太い声で吠えた。
時刻は20時40分。林田と風香は2人で写植を担当していた。早瀬先生たちの仕事はまだまだ…のようだが、風香たちの分は一旦終わりである。林田の完了宣言を聞きつけて、すすっと早瀬先生がやってきた。
「風香さん、申し訳ないです。迷惑かけて」
「ちょっとー、俺はスルーなの?」
「林田さんは本来の仕事ですからね。風香さんは飯作ってくれるだけで業務終わってるのに」
「お前、可愛げないな……」
林田編集とは気心が知れているらしく、悪びれる様子もない。ほんとすみません、と風香にだけは申し訳なさそうに頭を下げてくる。
早瀬先生、今日は色んな人に謝りっぱなしだな……。なんだか気の毒になってくる。
「今日は真野さんがいてくれてよかったな。彼女はアシスタントとしても優秀だよ。写植は初めてなのに、ポイント掴むのがすごく早いんだ。俺が見逃したミスも見つけてくれるし」
「優秀だなんてそんな……」
YouTubeの字幕業務で培った技術がここで役立つとは。
「謙遜しないでください。めちゃくちゃありがたいんで。俺、文字の部分でミスりがちなんですよ。林田さんが気づいてくれたらいいんですけど、林田さんも細かい作業が苦手っていう」
「お前、ほんとに言いたい放題だな……」
「文字のミスだけじゃなくて、『何かおかしいな』って点があったらガンガン言ってください!ちょっとしたミスが作品の没入感を損なってしまうので。時間が許す限り、全力で対応します!」
何点か気になるところはあった。でも、今は時間がない。余計なことを言って困らせても……。
早瀬先生は風香が逡巡した瞬間を見逃さなかった。
「なんでもいいんです。勘違いならそれでいい」
風香は覚悟を決めた。
「そうしたら、申し上げにくいのですが……」
風香はびくびくしながら気になった点を伝え始めた。
一箇所だけ一人称が異なっていること。
左手が右手になっているコマがあること。
連続するコマで背景が変わってしまっていること。
早瀬先生と林田は風香の指摘を無言で聞いていた。
「これで全部です。私の間違いだったらごめんなさい」
――「何も分かってないくせに、俺に楯突くな」
ふと、レストラン時代の上司の声がこだました。
やっぱり余計だった気がする。遠慮しないでと言われたが、素人から指摘されたらイラッとくるのが人情だろう。
風香は返答に身構えて、目をぎゅっと瞑った。