第5話 締め切りって地獄ですね
漫画家にとって「締め切り」は死線である。早瀬先生と漫画の原動力について話したその日、風香はその擬似体験をすることになった。
あの会話の後、鳴海と山名、程なくして担当編集者の林田も合流。後から聞いたが、林田が仕事場に顔を出すのは締め切りがヤバイ時らしい。
風香が林田と顔を合わせるのは勤務契約を結んだ時以来ぶりだった。頭が切れる体育会系といった雰囲気の林田は、明かに苛立っている様子だった。
「早瀬くん、あと何ページなの?」
「ペン入れしていないのが3ページです。あと写植がまだ……」
3ページ!?と職場に悲鳴が漏れた。
「合併号だから今回は入稿遅らせられないって釘刺したよね?せめて相談くらいしてくれよ。至急、編集部にスケの確認をしてくる。鳴海くん、あとお願いね」
「了解でーす。ぶっちゃけ林田さんは脅してるだけだと思うけど……。とは言っても3ページは中々やばいね!とりあえず先生がキャラ絵にペン入れしてる間に背景進めちゃうんで、指示出しお願いします。この背景、前回のクリスタの素材使っちゃっていいですよね?」
現場で最年長の鳴海がテキパキと場を取り仕切っていく。風香は大変そうだなあと人ごとのように思いながら米を炊飯器にセットしていた。と、肩を叩かれ、驚いて振り向けばそこには満面の笑みの鳴海が。
「風香ちゃん、タイピングできる?」
「え?ま、まあ……前職で動画に字幕とかつけたりしてたので多少はできますけど……」
何だか嫌な予感がする。鳴海の笑顔が途端に不穏に思えてきた。
「動画の編集できんの!?風香ちゃんてすごく器用なんだね」
「いや、そんな持ち上げられても……」
「可愛くて料理できてパソコンも使えるとか女神だよ!じゃあこっちきて、写植を手伝って欲しいんだ」
写植……?半ば強引に引っ張られるようにして、作業部屋に連れていかれる。貸与された小ぶりのパソコンには漫画の原稿が映し出されている。
「これが和風異能バトル『神戯契約』の第14話です。分かってると思うけど、公開日まで内容バラしちゃダメだからねー」
風香は息を呑んだ。
絵が信じられないくらいうまい…!!
漫画にはほとんど馴染みがないし、パッと名前が思いつくのはドラゴンボールとワンピースくらいである。申し訳ないが、早瀬先生の作品はチェックすらしていなかった。バトル漫画だとは聞いていたが……。
映し出されたページには、月夜の中、一戦を交えている二人の少年の姿。そのうちの一人は画面に背を向けており、彼の足元から見たアングルで全体の絵が描かれている。その一枚絵には文字が存在していないのに、雄弁に闘志を語っていた。
「すごいです……!これは何のシーンなんですか?」
「でしょー、早瀬先生はアクションに定評があるからね。これは主人公とライバルが初めて一戦を交えるシーン。風香ちゃんにやって欲しいのは、写植っていう手書きの文字をデジタルにしていく作業。このショートカットで挿入できるから、とりあえず打ち込みをお願いできるかな。吹き出しとか文字のフォントは早瀬先生が後でやるからスルーでいいよ。これ、キャラ絵と設定だから参考にしてね」
「でもご飯の支度が……」
「大丈夫、どうせ今日はゆっくり飯食べている時間はないから。申し訳ないけど米はあとで冷凍しておいてもらえるかな?別の日にみんなで食べよ」
何かあったらすぐに聞いてね、と告げると、鳴海はさっさと早瀬先生との打ち合わせに戻ってしまった。タイピングに抵抗はないとはいえ、雑誌に載せる原稿とYouTubeの字幕では責任が違いすぎる。
出来ない、と断ろうと思ったが、作業場は凄まじい雰囲気である。鳴海はつけていた映画を消して作業に集中しようとしているし、山名は呪詛のような言葉を吐き続けている。お誕生日席に座っている早瀬先生に至っては、まるでテスト終了5分前にミスに気づいた人のような焦り様である。
……やりたくない、なんて言えるわけがない!
また流されてる、と自覚しつつも、到底言い出せる雰囲気ではない。
とりあえずデータを一通り見ると、全部で19ページ。
毎週話を考えて、これだけの作画をするなんてちょっと信じられない。週刊連載というシステムは、1週間が24時間×7日しかないことを無視しているのではないか。
各ページには絵と合わせて、セリフやナレーションと思しき文字が並んでいる。そんなに量があるわけではないが、技名などに凝った漢字が使われているからミスをしないか不安である。とりあえず1枚目に目を凝らすと、
「天寶神器……?」
どうやらアイテムの名前らしいが、初っ端から意味不明である。
漢字が合っているかも分からないけど……。いや、とりあえず早く終わらせて、チェックを繰り返したほうが精度は上がる。
ふっと息を吐いて、風香は覚悟を決めた。
サンドイッチをもっと作っておけばよかったなぁ。
修羅場はまだまだ始まったばかりである。