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足りないものはなんですか?

 玉城先生の職場は葛飾区のSにあった。電車を降りると目の前に大きなショッピングモールがあり、買い物は便利そう。少し早く着いたこともあり、開拓も兼ねて寄ることにした。


 衣料品店や映画館もある商業施設でスーパーも申し分のない品揃え。スーパーに併設されたフードコートで食事をしていると、近くに座っている親子連れの会話が聞こえてきた。


「お前、残すんじゃねぇよ!」


 母親が子供を叱っている。強い口調ではなかったが、子供はまだ5、6歳。伸ばした襟足は母親と同じ金髪に染まっていた。子供に「お前」とは何事かと驚いたが、どうやらこの地域では珍しいことではないらしい。その後すれ違った客も所謂「ヤンキー」風の若い人たちが多く、中々パンチが効いている。同じ都内といえど、早瀬先生が住んでいる杉並区のAとは全く違う雰囲気である。



 ショッピングモールから大通り沿いに5分ほど歩くと、目的地に着いた。アパートとマンションの中間といった印象で、築年数は大分経っているようだ。「たまき」とひらがなで書いてある202号室のインターホンを鳴らす。はーい!と声がして、ドアが勢いよく開いた。危うくドアに思い切りぶつかるところだった。

 


「真野さんですね!いらっしゃーい」



 出迎えてくれた20代の男性は、輝くような笑顔で風香を迎えてくれた。

 まるでアルバイトではなく、サンタクロースが来たかのように。


 青年は玉城マオです、と名乗った。

 長身で真っ黒に焼けた肌。ゴツくはないがしっかりと筋肉がついている身体は、スポーツというよりも肉体労働に従事している者の力強さがあった。



「新しいアシスタントさん来たよー」

「こんちはー」



 野太いコーラスが響く。職場にいたのは3人の男性たち。筋骨隆々でボディービルダーのような男性、小柄だがやっぱり筋肉モリモリの男性、そしてすごく細くて白くて地雷系の男性。地雷系の男性を除けば、揃いも揃って白いタンクトップを着ていて、ジムに来たような雰囲気である。実際、リビングの隅にはプッシュアップ用のバーが設置されていた。



「暑かったですよねー、これ飲んでください!」

「あ、すみません……」

「テキトーに座ってください」



 玉城先生は冷蔵庫からペットボトルを取り出して渡してくれた。作業場の方は中々のカオスだったが、リビングは割と綺麗。調味料はしっかりと揃えられているし、ふと見えた冷蔵庫の中にも自炊しているらしき形跡が見られた。早瀬先生の職場と比較して、全体的にきちんと生活している感がある。


 率直に言って、私の助けは要らないような……。



 玉城先生は風香の目の前に座り、じっと見つめてきた。見た目は厳ついのに目がキラキラしているせいか威圧感はない。よろしくお願いします、と頭を下げると、やはり爽やかな笑顔で返してくる。



「…業務はどんなことがご希望ですか?」

「飯!!ですね。出来ればタンパク質と野菜多めで! ウチの職場、みんな鍛えてるんで」

「分かりました。パッと見た感じ、結構自炊されてるのでは……?」

「いや、ほとんどしないですねー。近所に姉が住んでて飯の面倒見てもらってたんですけど、彼氏できてから作ってくれなくなっちゃって。最近は毎食鶏肉とゆで卵だけになっててキツくなってきたんで、担当さんに相談したって経緯です。俺たちめっちゃ食うんで、1人2人前くらいの分量で用意してもらえると助かります」

「俺はそんな食いませんよ!」



 地雷系の男性が声を上げる。悪い悪い、と返答しながら玉城先生はニヤリと笑った。


「1人2人前で頼みますね。漫画は体力勝負なんで食ってもらわないと困るんスよ。食べられなかったら俺らが食うし」と風香にしか聞こえない声で言った。



「ところで! 真野さんはあの早瀬先生のところで働いてるんスよね!?」

「は、はい」

「いいなーっ!! 早瀬先生ってどんな感じなんすか? 普段どんな物食ってるんスか? どんなサイクルで漫画描いてます?」

「ど、どんな感じ……? 普段は猫みたいなだけど、機嫌良い時は子犬みたいな感じ、ですかね……」

「うわっ、マジか! 猫みたいなんだ!」



 玉城先生は頭をぐしゃぐしゃと掻きむしり、心底羨ましそうな顔をした。



「玉城先生は早瀬先生と面識ないんですか?」

「ほぼないっスねー。何気に第102回阪本賞でデビューした同期なんスけどね……。早瀬先生は史上3人目の入選で、俺は佳作。仲良くなりたくて、授賞式でめっちゃ話しかけたんだけど塩対応されました。多いんスよ、そういうヤツ。早瀬先生は祝賀会も若手の集まりも全然顔出してくれない。早瀬先生の元で働けるとか、めちゃくちゃ羨ましいっすよ!!」

「早瀬先生のことお好きなんですね……」

「そりゃね!若手はみんなそうっす。悔しいけど、才能の次元が違う。一目で引き込む絵力とか、演出の巧みさとか。あれはもうセンスの世界っすよね……」

 


 玉城先生が深いため息をついた。本心で言っていることがわかる表情だったが、風香がここに来た理由は早瀬先生の連載が打ち切られそうだからである。しかも、みんなが言うには玉城先生の作品に押し出される形で。



「玉城先生の『池袋スクワッド』、毎週すごく楽しく読んでいます。先生の連載はかなり好調ですよね?」

「あざっす! 単行本は割と低調スタートだったし、まだまだっすよー。でもこのままアニメ化まで突き進みます!」

「本当に面白いですし、アニメ化したら絶対もっと人気出ますよね。こんな言い方したら失礼ですけど、早瀬先生の連載はあまり調子が良くないみたいで……」

「あー、ほんとそれね……。すげえ歯痒い」



 玉城先生はうーんと考え込んでしまった。どうしてか、と考えているというよりも、どう言おうかと悩んでいるといった様子だ。



「ウチは他の雑誌と違って単行本売り上げより読者アンケートが重視されるんですよね。ほとんどアンケで打ち切りが決まると言っても過言じゃない。『神祇契約』は単行本売上はかなり良いの知ってます? 悔しいけど『池袋スクワッド』より売れてる。なのにアンケはあまり良くない」

「はい、林田さんが大喜びしてました」

「うわ、目に浮かぶようだわ」

「アンケと単行本売り上げの乖離ってよくあることなんですか?」

「んー、あんまりないんじゃないかなあ。乖離することもあるけど、最終的には同じ方向に収斂していく感じっすね。上か下かは分からないけど」

「玉城先生の中ではどっちに向かうかのイメージはある……んです?」

「んー…、なんとなくは。とにかく、今の状況に思うところはめちゃくちゃある。あー、早瀬先生と飲みてぇなあ。漫画のこと色々語り合いたい。真野さん、早瀬先生の連絡先教えてくれませんか?」

「私の一存では流石に無理です、ごめんなさい。」

「ですよねー……」



 玉城先生はしょぼんとした。そこで早瀬先生の話はそれで終わりとなり、あとは業務の話。

 例の駅前のショッピングモールで買い出しを済ませ、調理をしていても聞こえる聞こえる……。玉城先生とアシスタント達の雑談。どうやら映画を見ながら作業をしているらしく、ツッコんでは大笑い、関係ないことで大笑いと、とにかく騒がしい。早瀬先生の職場とは大違いだ。


 その後早瀬先生の職場にも寄ることになっていたので、早い時間での夕食となった。アシスタント達の名前は皆川、横浜、紫竹といい、マッチョな皆川は元々の知り合いらしい。



「腐れ縁なんすよ」



 白飯を口一杯に頬張ったまま玉城先生が言う。



「俺が中学の時に入り浸ってた溜まり場にコイツも来てた。俺が春日部から上京する時、コイツまでついてきて」

「おい、事実を捏造するなよ。何が悲しくてお前の尻を追わなきゃいけねーんだよ!俺が追ってたのは元カノのFカップだよ」

「あの頃にはもう振られてたじゃねーか! 風香さん、コイツ手が早いんで気をつけてくださいね」

「あー!もう尻だの胸だのうるさい!黙って飯食えないんすか……」

「お前は欲求不満過ぎるんじゃね」



 ギャーギャーギャーギャー。あまりの騒々しさに風香は終始苦笑いだった。

 

 でも今日が初対面だと言うのに、不思議と居心地がいい。みんな対等で伸び伸びしている。職場ではあるが仲間の溜まり場のような……。


 『池袋スクワッド』は未来の荒廃した東京を舞台に、青年たちが街づくりをしていくという物語だ。キャラクターたちはみんな個性的で自分勝手。ぶつかり合いながら成長していく。まさに――。



「『池袋スクワッド』の現場って感じですね」

「そうっすか? もしかして俺の威厳が足りないってこと……?」

「いい意味で、ですよ。みんな楽しそう」

「「「楽しい!?」」」



 全員の声が重なり、再び大爆笑。つられた風香も声を上げて笑っていた。



 帰りは玉城先生が買い物のついでに送ってくることになった。

 

 アシスタント達に頼まれた買い物のリストをスクロールしながら、「あいつら、遠慮しねーんだから……」とひとりごちている。

 

 残暑も和らいだ9月中旬。肌寒いくらいだが、玉城先生は白のタンクトップ一枚だ。週刊漫画家とは思えないほど溌剌とした生命力に溢れている。いつも追い詰められているような早瀬先生とは……やっぱり違う。風香は気づかれないように玉城先生のことを横目で観察した。

 

 ゴツくはないけど、鍛えた体。艶の良い焼けた肌。

 週刊漫画を連載している漫画家というより、建設現場で働いている気の良い若者といった風貌だ。



「玉城先生の元気の秘訣はなんですか?」

「『元気の秘訣』?長寿の爺さんへの質問じゃないっすか」

「確かに」


 

 風香は爆笑してしまった。玉城先生はすごく楽しくて軽快で、嫌らしさを感じない。この居心地の良さは、彼の気取らなさから来ているのだろうか。



「玉城先生は締め切りは余裕なんですか? 早瀬先生の現場は結構ギリギリなんですよ」

「まあそうだよな……。うちもギリギリですけど、徹夜はしないようにしてます。センターカラーの時はそうも言ってられないけど」

「スケ管理がうまくいってるんですね……。楽しんで、心に余裕を持って作業に取り組んでいらっしゃるように感じました」

「早瀬先生のところは違うの?」

「そう言うわけじゃ」



 慌てて否定する。が、玉城先生は突っ込む気満々のようだ。「誰にバレるわけじゃないし、本音を聞かせてほしい」と食い下がってくる。



「職場の雰囲気が悪いってことは決してないです。ただ、もっとシステマティックなんです」

「管理が行き届いてるってこと?」

「うーん……。そうですね、チーフアシスタントさんの鳴海さんが仕切ってくれてる感じです」

「ウチの皆川より働いてくれてるってことね。羨ましいわ」



 ハハっと笑う玉城先生。嫌味がなくて、気持ち良い。



「でも皆川さんと玉城先生は気のおけない仲って感じで微笑ましいですよ。早瀬先生と鳴海さんはそんなに近い感じじゃないです」

「そっか。他のアシスタントさん達と早瀬先生はどんな感じなんですか?」

「あまり会話しないですね。先生は作業で忙しいし」



「ふーん」と玉城先生はまたしても考え込んでいる模様。駅に着き、今日のお礼を言うと玉城先生が「またよろしくお願いします」と頭を下げた。


改札を通り、ホームに向かう風香に玉城先生が声をかけた。



「早瀬先生がアンケで苦戦してる理由、なんとなく分かったかもです。早瀬先生に『俺と一緒に天下取ろうぜ!』って伝えてください」

「ええ!?」


 連絡先、絶対伝えてくださいね!と言い残す玉城先生。玉城先生は風香が見えなくなるまで、改札でニコニコと手を振っていた。

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