第15話 食べ物の恨みは怖いです
先生のこと、怒らせちゃったかな……。配慮が足りなかったかもしれない。
そんな反省をしつつ、夕飯の支度に戻った風香。しかし、背後からチクチクした視線を向けられているような……。
ふと後方に視線をやると、すぐ背後にリリが。
「きゃあ!?」
ほとんどゼロ距離のリリは、能面のような顔でじっと風香を見つめている。目は座り、口元は真一文字。アイドル風の朗らかさは消え去り、21歳の女性とは思えない圧を発していた。
「ななな、何ですか?」
「あなた、何者なの? 神とはどういう関係?」
「どういう関係って……見たままですよ。私はここで家事代行として働いてるんです。原稿のお手伝いもちょっとしてますけど」
「原稿のお手伝いって? あなたも漫画描くの? もしかして『メシアシ』?」
「いえ、漫画は描かないです。原稿の方は成り行きで、夕飯作ったり、執務環境整備したりがメインです」
「なんだ、ただの一般人か。でも……そ、そうか、そんな方法があったのね……!」
リリはひどく衝撃を受けている様子だが、全く話の要点が掴めない。どういう意味ですか、と聞くと、リリは体をワナワナと振るわせながら語ってくれた。
「つまり絵が描けなくても神に近づく方法があった……と。それも生活を支えるという、最も根源的な方法で。悔しいけどお見事と言うしかないわ。あなた、さては策士ね……!?」
??
一体、何を言ってるんだこの子は。
「何をおっしゃっているのかちょっと……」
「ふふ、取り繕う必要はないわ! あなたも神の信者で取り入ろうとしてるんでしょ? リリはたとえ敵でも認める主義なの。イエス・キリストよろしく、超越的な才能を持つ人間は多くの人を惹きつけてしまうものだから。言っておくけど、譲るつもりはサラサラないわよ。神のことを一番理解できるのはリリだもの。この日のために、ずっと努力してきたんだから。結局、正攻法が一番強いんだって分からせてあげるわ!」
リリは豊かな髪を後ろに振り払うようにして去って行った(と言っても2メートル先のダイニングテーブルに戻っただけなのだが)。
風香は呆気に取られて反論ができなかった。
神だの正攻法だの、彼女は何の目的でここに働きに来ているのだろうか。
いや、その答えは明白だ。リリは神―早瀬先生―を射止めるべく、この職場に現れたのだ。
――「常勤は1名だけ」。
先ほどの鳴海の説明を思い出す。寺坂に決定の出来レースということでリリに同情する気持ちはあったが、今では綺麗さっぱり消え去っていた。
◆◆◆◆
その日の夕飯は生姜焼き定食と豚汁、早瀬先生だけカレーライスというメニューになった。食卓にはリリ、寺坂が加わったことでぎゅうぎゅう詰めである。エアコンをつけていてもみんなの体温で暑いくらいだ。
「いただきまーす!」
「……いただきます」
鳴海の威勢の良い声に元気の無い声で続く早瀬先生。なるほど、まだ機嫌は治っていないようである。
「うんまー!! こんなうまい飯食わせてもらえるなら、尚更ここで働きたいっす!」
「言っておくけど、これくらいならリリもサッと作れちゃうんだからね。もう一品、二品くらい付けちゃうわよ! でも確かにまあ……美味しいと言えるかもしれないわね」
「リリちゃん料理できるんだ!? 真野さんの飯もうまいけど、今度食べてみたいなっ」
「リリは神のためにしかご飯作らないです」
「あ、そう……」
「風香ちゃん、突然のリクエストだったのにありがとうね。久々の生姜焼き、めっちゃうまいわ。豚汁も出汁が効いてるし」
「……」
会話に加わらず、無言でスプーンを運ぶ早瀬先生。1人だけすごいスピードでカレーを平らげていく。
「ごちそうさまでした」
そう言って席を離れようとした早瀬先生を引き止めたのは山名だった。
「早瀬先生、聞いてくださいよ。リリちゃん、メインキャラと本部の3Dモデルを作ってきてくれたんですよ。さっき試しに動かしてみたんですけど、かなりいい感じでした。これで作画の負担が随分減りますよ」
「まだサンプルの段階なので神にお見せするのは恥ずかしいのですが……♡」
「マジか、ちょっと見せてくれる?」
山名はタブレットを起動させ、早瀬先生の隣りに移動した。
「これがアサギの3Dモデルです。動かせば360度画角で線画になるので、一からアタリをつける必要がなくなります。外注したら1キャラにつき20万くらい請求されますよ。リリちゃん、めちゃくちゃ優秀ですよ! さっき背景描いてもらった時もパースの取り方が正確で、基礎がしっかり出来ている印象でした! 先生、リリちゃんを雇いましょうよ!」
「リリは可愛いだけでなく仕事デキですよ♡ 雇っていただければ、3Dももっと作っていきます♡ 絶対後悔させません♡」
鳴海が苛立ったように机をコツコツと叩いた。
「リリちゃんが優秀なのは分かったけど、ウチは徹夜や泊まり込みも多いから男の方が都合がいいって事情は山名には話したよね?それに今は食事中だぞ。食べ終わってから話そう」
「いや、今話しちゃいましょうよ。作業に戻ったら早瀬先生はどうせ聞く耳持たないんだから。鳴海さんが良い様に言いくるめちゃうかもしれないし」
山名と鳴海は無言で数秒間睨み合った。2人の間に火花が飛び散っている。
「こう言っちゃなんだけど、寺坂くんは全然基礎ができてないですよ。クリスタの使い方もよく分かっていない。使い物になるまで1から全部教えてあげないといけないですよ。鳴海さんが責任とって教育係やりますか?」
「もちろん俺も教えるけど、お前は一切指導責任を負わないみたいな言い方はやめてほしいね。俺がさっきチラッと見た限りだと、この作品に合わせたモブの描き方とかは寺坂くんの方が上手い印象だったよ。リリちゃんを雇うにしろ、慣れるまで指導や矯正が必要になるのは変わらないだろ」
「俺、絵柄合わせるのめっちゃ得意ですよ! 体力も自信あります! 最高で1週間に2回2徹したことあるっす! 2徹明けにスポッチャ行きましたからね、ハハっ」
「でも寺坂くんは3D作れないじゃないですか。リリちゃんのこの能力は超役立ちますよ!」
「3Dだけリリちゃんに外注してもいいだろ。今は常勤の話をしているんだ」
議論は延々と続き、4人は総立ちである。ああでもない、こうでもないと言い争いが続いた。
せっかく作ったご飯が冷めてしまう……。漫画が最優先なのでしょうがないけど、美味しいうちに食べてほしかったという気持ちがないと言ったら嘘になる。
はあ、と見えないくらい小さくため息を吐く。
その時、議論を終わらせたのは早瀬先生だった。
「いいよ、2人とも雇おう」
水を打ったように静かになった後、「やったー♡」「よっしゃー!!」の大騒ぎに。鳴海は全く納得がいっていない様だった。
「2人も雇うって、スペースどうするんですか? それに新人が一気に2人増えると、俺の負担もキツいんですけど」
「奥に詰めればもう1個くらい机置けると思います。指導については、山名さんが椎名さんを、鳴海さんが寺坂くんを担当するって棲み分けでどうでしょうか」
「……先生がそこまで言うなら良いですけど。もう少し俺にも相談してくれませんか?一応チーフアシスタントなんで。先生からしたら俺の意見なんて取るに足らないかもしれないけど、俺もプライド持ってやってるんすよ」
「分かりました。じゃあ鳴海さんも風香さんにご飯のリクエストを出すときは、僕に事前に相談してください。出し抜かれたくないんで」
ここでもまた火花が。それにしても、仕事の相談とご飯の相談じゃ全然重要度が違うような……。食べ物の恨みは怖いということだろうか。
「風香さん、ご飯中にすみませんでした。大所帯になりますけどよろしくお願いします」
早瀬先生は頭を下げると、さっさと作業場に戻って行ってしまった。
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