第10話 先生、信用しすぎです
「『泊まって』って……!さすがに急すぎますよっ、徹夜するほどの体力ないですし」
「あ、徹夜させるつもりはないです。そんなこと、風香さんにさせられません!」
ナンセンス、とでもいうように指を振る早瀬先生。
「風香さんには、原稿が全部終わった後に気になることがないか、読者視点で意見してほしいんです。もちろん、林田さんのチェックの後にね。それまでは寝ててもらってもいいし、自由に過ごしてください」
「でも、着替えも持ってきてないし……」
「そっか、気が回らなくてすみません」
ちょっと待っててください、と言って戻ってきた早瀬先生の手には財布が握られていた。
「これ!お渡ししますから、必要な物を好きなだけ買ってください。確か駅前にウニクロと東友があった……気がするので、そこで揃うはずです」
早瀬先生は財布を丸ごと風香の手に押し付けた。
ずっしりと重い財布。
財布ごと渡すなんて……!
「……ちょっ、ちょっと待ってください。お財布ごとは預れないですっ!身分証明書とかも入ってますよね?万が一落としたり、盗難された時に責任取れないですしっ!」
「……確かにそうですね。気づかなかったや」
しょぼんとした早瀬先生は財布を開いた。その中には現金がびっしり。
少なくとも20万円近くはあるようだった。風香は目を丸くした。
21歳の男の子が持ち歩く額じゃない!
風香の驚きにも気づかず、早瀬先生はクレジットカードを取り出し、風香に渡した。
「自由に使ってもらって構わないので」
普通はクレジットカード渡さないんだよ……。でも、こういう常識は彼には通じないのだろう。
「……レシートと領収証もらってきますから、請求が来た時にちゃんと確認してくださいね」
早瀬先生は分かっているのか分かっていないのか、にこやかに作業場に戻っていった。林田に「早瀬先生っていつもこんなに不用心なんですか」と聞くと、「うん」という返事。
「作家全体的に世間知らずの傾向はあるんだけど、早瀬くんは特にそうだな。21歳って若さもあって危なっかしいんだよなぁ。真野さんも見守ってあげてね」
「身守るって……。そもそもあんな大金をお財布に入れてるのが危険ですよ!担当の林田さんが注意してあげてください」
「いやー僕の言うこと聞かないんだよね。ハハッ。いちいち銀行でおろすのが面倒なんだろうね。給料のうち、何割かは現金で持っていたいんじゃないの?」
「何割かって……一体いくらもらっているんですか?」
林田は「あくまでも参考だけど」と前置きした上で、公表資料を見せてくれた。それによれば、原稿料は新人でも1ページ19,000円〜となっている。
つまり、1ヶ月の原稿料だけでも19,000円×19ページ×4週≒約150万円〜。
こんなにもらえるのかと目をまん丸にしてしまう風香。林田は、「ここに専属契約金や単行本売上、版権売上が加わるからもっと膨らむよ」と続けた。
「アシスタント費用とかも払うから全部が手取りになる訳じゃないけどね。単行本300万部売れれば、一生働かなくていいくらい稼げる。どう、真野さんも漫画描いてみる?」
絶対に描けるわけがない。
風香は苦笑いで応えるしかなかった。