冬三日月
「そういえば絵莉ってさぁ、高校の時、看護師目指すって言ってたよね」
夜、高校の同窓会の帰り。浅川唯子と潮絵莉は駅へと並んで歩いている。
「ああー、うん。そうだね。言ってた」
絵莉が答えると、唯子は顔を絵莉の方へ向けた。
「なんでやめたの?」
問い詰めるような唯子の雰囲気に、絵莉は少し答えに詰まる。
「私、美術部だったでしょ?そっちに進みなよって、言われたから」
「えー、誰に?彼氏?」
「いや、お兄ちゃんに、、、」
少し躊躇いがちに、絵莉が言う。
「あ、そうだったんだ。ごめん」
申し訳なさそうに唯子がいい、絵莉は首を振る。
「いいよ。もう6年経つし」
「6年か。遥人さん良い人だったのにね」
「良い人過ぎたかな」
苦笑いを浮かべて、絵莉が言い、続ける。
「何?記事の為の情報収集?」
唯子は最近、WEBライターの副業をはじめている。
「違う違う。あの時は聞けなかったから。絵莉が落ち込んでて、やっと前向きになって看護師目指すって言ってたのに、美大に行ったからさ。そんなものなの?ってちょっとガッカリしてたっていうか」
「怒ってたんだ?」
「いや、怒っては、、、」
唯子は右手を頭にあてて、それから続ける。
「まぁ少しはね」
「絵莉好きだったもんね。お兄ちゃんのこと」
「あ、やだ。知ってたの」
「3回告白されたって、話は聞いてます」
「しつこい女ですいません」
「いや別に謝らなくても」
絵莉は苦笑して、少し俯き加減に歩く。
「ん、まぁだからさ。妹の絵莉は頑張って欲しかったんだけど。そっか。遥人さんに言われて、美大にしたんだ」
「倒れる前の日にね。進路の話してて、絵は才能なさそうだから辞めるって言ったら、好きなのに辞めたら後悔するよ、って言われて。言われた時ははさ、月並みなこと言うなって大して気にしてなかったんだけど、、、」
「うん」
と、しんみり唯子が頷く。
「時間が経つにつれてさ、その言葉が大きくなっていって」
「そっか。事情もしらずに、勝手に怒ってごめん」
「いいよ。っていうか、言ってくれればよかったのに、気になってたなら」
「いや、絵莉が1番辛いだろうなと思って」
「なんで?」
「だって遥人さんと絵莉ってさ」
唯子の言葉に絵莉はブンブンと首を振る。
「ない、ないよ。そんな変なこと。そんな風に見えた?」
「いや、、、だって遥人さん、私をフッた時、身近に守りたいヤツがいるからって。あ、私がしつこく駄目な理由聞いたら、苦笑いしながら答えたんだけど、私てっきり絵莉のことかと」
「ないよ。確かに一緒に暮らしはじめたの、高校生になってからだったけど、そういうのは意識しないようにって、2人で話してたし」
「ああ、そうなの?でもあれは絵莉のことだと思ったけどなー。違ったか」
「違う違う」
「でも羨ましかったなー。同じ高校のイケメンの先輩とさ、急に兄妹とか」
「そんないいものじゃないって。めちゃくちゃ気使ったし、怯えてたし。完全な他人だからさ、何かされてもおかしくないわけじゃん?」
「あー、それおいしいと思えなかったんだ」
「思えるわけないじゃん。タイプでもなかったし」
「私は羨ましい限りだったけどなぁ」
「親がバカだったの。せめてお兄ちゃんが卒業してから、くっつけばよかったのに。大学で一人暮らしするの決まってたから」
「でも仲は良さそうだったね。お兄ちゃんって呼んでるし」
「そうやって距離取らないと、変な風になるの嫌だったから」
「でも、結局遥人さんの言葉に心撃たれて、美大に行ったんでしょ?大切な人ではあったんじゃないの?」
唯子の言葉に、絵莉は眉を寄せた。
大切な人。それはいなくなってから思ったことで。お兄ちゃんがーー、彼が生きていた時に、そう意識したことはなかった。
「当たり前になってたから。側にいるのが、いつの間にか。大切とか、そんな風には考えなかった」
絵莉は答えて、顔をあげて夜空を見上げる。
雲が少しかかった三日月が、夜空に浮いている。
ああ、あの日の夜も、こんな冬三日月だった。
夜、2人で晩御飯を外に食べに行こうとして。
私が先に外に出て待っていても、なかなか彼は出てこなくて。
いつまで待たせんの?って玄関を開けたら、彼が胸を抑えて倒れていてー。
丁度仕事から帰ってきた両親に彼を任せて救急車を待つ間、玄関の外で見た空にあったのも、三日月だった。
「一緒に暮らしたのも、1年にもならなかったし。好きになるとか、そんな余裕ないままだったよ」
「ああ、まぁそうか。そうだよね。外から見てたら夢の暮らしに見えても、現実はそんなもんか」
彼の父親が付き添いで救急車に乗って。私はお母さんとタクシーで病院に向かった。
私はどうしてかずっと、
死なないで。
死なないで。
死なないで。
と、右手で胸をぎゅっと抑えて、祈り続けていた。
いつの間にか、大切な人になっていたと、その時はじめて気付いた。
でもーーー。
「死んだ時だった。大切な人ってわかったのは」
哀愁の瞳で、絵莉が言う。
「そっか」
「してもらったことってさ、勉強教えてもらったり、描いた絵見てもらったり、たまに2人でご飯食べに行ったり、その程度で。本当に普通の兄妹みたいだったけど」
「それがね、いかに大切かってね」
「でも、私に対して好きとか、そういうのはまったく見せなかったから、本当に普通に、お兄ちゃんみたいに。だから、多分、唯子に言ったその人は私じゃないと思う」
「んーまぁ、そうなのかな」
「そうだよ」
絵莉は自分に言い聞かせるように頷く。
「絵莉は結局どうだったの?」
「え?」
「大切な人って。兄として?それとも、男としてさ、好き、だったの?」
「ごめん、わからない。今もごちゃごちゃしてる。あれは何だったんだろうって。病院に向かうタクシーで、自分の命に替えても助かって欲しいって思った気持ち、何だったんだろうって、今もわからない」
「ま、そういうもんか」
さっぱり、唯子が言う。
ふと、絵莉は気になり、唯子に聞く。
「いけないかな?その、、さ」
「なに?」
「もし、私が好きだったとしたら、いけないことかな?」
「別に血は繋がってないし、いけないことはなかったんじゃない?いやまぁ、わからないけど世間体がどうとかは」
「もういないけど、好きって思ってもいいのかな?」
「思うのは自由でしょ。誰に迷惑かけるわけじゃないし」
「そうだよね。何をごちゃごちゃ考えてたんだろ、私」
きっと好きだったんだろうな、と絵莉は思う。
勉強を教えてくれる賢さも、絵を褒めてくれることも、2人で他愛ない会話をしたファミレスでの時間も。
きっと私は好きだったから、普通に自然に過ごすことが出来たんだろうな。
「なんか気持ちの整理がついた」
晴れた表情で絵莉が言う。
「そう。ならよかった」
「話せる人もいなかったし、このこと。だからこのことだけは、ずっと時間が止まってた。自分では認めちゃいけないって」
「それで結局は?やっぱり好きだったの?遥人さんのこと」
「好きかな。もういないけどね。届くこともないけど」
「喜んだと思うよ、遥人さん。生きてたら」
「それはわからないよ。それに生きてたら、きっと言えない。無理じゃん、血縁なくても兄妹なんだから」
絵莉は笑って、夜空を見上げる。
冬三日月に彼がいて、見守ってくれている。なんだかそんな気がして、愛しい気持ちになった。