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4(おわり)

 木枠の窓に寄りかかるようにして、外を眺める。心地よい秋の風、草木が揺れている。庭園は広く、花々はいきいきと咲き誇っている。


 私が聖女となったのは、数年前のことだった。教会の修道女見習いにすぎなかった私は急に聖女と名指しされ、それでその日から、私はもう私ではなく、「聖女」になった。

 何か特別な力があったわけでも何でもない。政治的な必要性の中で、様々な要因を加味した時に都合の良い女だったというだけの理由で。だけど期待されることは嬉しかった。期待に応えたいと思った。


(でも実際はどう?期待に応えるどころか、私は聖女にもなりきれないまがい物)


 聖女などと聞こえはいいが、結局は小さな歯車の一つでしかない。教会に属する限り、彼らと国とのしがらみや関係性の中で、誰かの意向に従ってでしか動けない。その一つがこの国の王城に留まっている事だ。国との関係性を強固にしたい教会が都合よく使えるただのコマ。大きな流れは私の手の届かないところにあり、私はただこうして、日々をこなすしかないのだ。


 不満を持ったところでどうなる?私が聖女としての責務を放り出して、それで何が変わる?結局本質にはなんの影響も及ぼさない。聖女など替えのきく存在で、けれど私はもうその役割としてでしか、誰からも認識されない。


 矮小で、無意味で、でも人々は私に期待を寄せる。助けてくれ、救ってくれ、と。その期待だけがかろうじて私の行いに意味をくれる。それしかない。それしかないのに。


『お前は聖女である前に一人の人間だろう。違うのか?』


 ではなぜ誰一人として、もう私の名前を呼んでくれないの?私と向き合ってくれないの?私はあなたたちにとって「聖女様」で、それ以外の価値はないのでしょう?


(名前も知らないあなた、あなたが羨ましい)


 いっそ飛び降りてしまおうか。夢破れて死んだあの女性の息子のように。そうしたら自由になれるだろうか。


 それは衝動に近かった。私は木枠に手をかけ、それから身を乗り出してみる。


 空が高い。雲がゆっくりと流れていく。


 遠くで誰かが声をあげる。聖女様をお止めして、と声がする。


 どのくらいそうしていたかわからない。ただただ流れていく雲を見つめていると、


「逃げるのか?」


 背後からかかった声は、あの失礼な王子だ。


「……毎朝、起きて考えるんです。憂鬱な一日のこと。期待と、それに応えられない自分のこと」


 正しい聖女でありたいと思うのに、できることならば彼らを本当に救ってあげたいのに、


「毎朝毎朝、重石が積み重なっていくみたい。もう、息もできない」


 自由になれたらいいのに。


「そうか。では、跳ぶか」


 一瞬何を言われたのかわからず振り返ると、殿下がスタスタと足早に近づいてくる。あっという間もなくその手が私の腰を掴み、連れ戻されるかと思えば、彼は木枠に足をかけ、


 そして跳んだ。


(ーーーーっ!)


 急速に地面が近く、


(わたしは)


 庭園の緑が向こうに、


(しぬの?)


 風が、


 ぼすん、と間抜けな音と共に柔らかな感触の何かに包まれた。上も下もわからない一瞬のあと、視界いっぱいに青空が広がる。雲。


「殿下、聖女さま、ご無事ですか!」

「ああ、間に合ってよかった!」


 左右から口々に言われるが、何がなんだかわからない。ふかふかの……これは毛布だ。騒ぎを聞きつけた使用人達が下で毛布を広げ構えていたらしい。


(バカバカしい、本当に窓から跳ぶだなんて、落ちた先が毛布だなんて)


「……ふふ、あはは!」


 私は堪えられず、声をあげて笑った。


「あはは、はは」


 なんてバカバカしいことだ。こんな高さで終われるはずがなかったのだ。その上毛布で受け止められるだなんて。


 でも跳んでみてわかった、私は、死にたいわけじゃない。私はただ。


「はは……ふっ、う、うぅ、あははは」


 笑いながら、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。止め方がわからない。一度堰を切ったそれは、まるでこれまでに溜めてきた分もまとめて溢れ出しているようだった。


「どうだ。気がすんだか?」


 アレクシス殿下は私と並んで毛布の上にみっともなく座り込み、こちらを見ている。なぜか少し楽しげに、笑みまで浮かべて。

 どうかしてる。毛布が間に合わなければどうなっていただろう。私にはこの人の考えることがさっぱりわからない。


 私はなんとか息を整え、途切れ途切れになりながら話す。 


「はい、殿下、私……」

「なんだ、言ってみろ」


 徹底して偉そうだ。言ってやる。私は泣きながら、目に力を込めて男を睨む。


「私、あなたのこと、き、嫌いです。意地悪ばかり言うし、怖いし」

「……悪かった」


 それから?と促され、泣きじゃくりながら続ける。


「わた、私、アリエラさんの息子さんのこと、できるなら、助けたかった。助けられなくて、私には、何も、で、できなくて……それが、とても悲しいです」

「そうか。だがお前のせいじゃない」


 おかしな人、こんな時だけ優しくする。


 他に言いたいことはあるか?と続けられ、考える。こんな風に大声をあげて笑ったり、泣いたり、どれも久しぶりだ。

 私は聖女となる前、どんな人間だっただろう。遠い昔のように、輝かしくもなんともない、けれど一人の娘の毎日が思い出される。私は、


「……私の名前は、シルヴィアと言うんです」


 私は聖女で、でも確かに、普通の人間であったのだ。


 殿下はふわりと笑った。これまでに見たことのない、柔らかな笑みで。


「では今後はそう呼ぼう。シルヴィア」


ーーーー


 朝がきて私はまた薄く絶望する。秋の日差しは柔らかで優しい。窓から差し込むそれが、けれど私には、なんの喜びももたらさない。


 命のなんとうっとうしいことだろう。そしてその、なんとしぶとく、したたかであることだろう。私は今日も目覚めて、そして息をする。


 殿下は引き続き偉そうで嫌味で意地悪だが、あれ以来少し優しい。「聖女を使った関係構築を目論む教会などこちらから切れ」などと言いながら、月に一度の教会訪問にはついてきて、そのあと外で昼食を取るのがお決まりになっている。


 私は相変わらず、聖女になりきれない聖女のままだ。人の言動ばかり気にし、信念も弱く、落ち込んだり喜んだりを繰り返している。

 ただ、感情を殺すことはやめることにした。それはそれで疲れることだが、腹がたてば怒り、悲しいことがあれば泣くことにしている。どうして知るのか、殿下はそんな時をめがけてはふらりとやってきて話を聞いてくれる。


 あの人の考えることは、やっぱり私にはわからない。


(何も変わらない。でも、私は生きている)


 思い通りにいかない毎日、歯を食いしばって生きている。


 たまに叫び声をあげて、子供のように泣いてわめき散らして、それでも夜が明ければまた目を覚まし、顔を洗って服を着替える。


 消化しきれない感情の渦を、重く引きずって、たまに忘れて、そうやってなんとか一日を生き延びる。何も生み出さないとしても、それでも季節は巡るから。


(いつか私もそちらに行くけれど、でももう少し、頑張ってみようと思うの)


 私はもうどこにもいない青年に話しかけた。


ご拝読ありがとうございました。

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